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2005/03/09(水)
JFKの暗殺とブリティッシュ・インヴェイジョン-2
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ロックの歴史が、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から始まったということについては、賛否両論あると思うが、この曲が映画『暴力教室』の主題歌として用いられたことは象徴的だと思う。 つまり、ロックンロールはその初期から大人社会に反抗的な子どもたちのものであり、既成の価値観に懐疑的な若者たちのものであり、反体制的であったということだ。 50年代を代表するスターになったエルヴィスは、リーゼントにぴったりした革のパンツで腰をくねらせながら「監獄ロック」や「ハウンド・ドッグ」を歌って「良識ある大人」たちから顰蹙を買い、つづいて登場したボブ・ディランは、しゃがれた声で「風に吹かれて」や「ハティ・キャロルの淋しい死」を歌って、保守的な大人たちから目の敵にされた。 60年代の日本で「エレキを弾くのは不良だ」といわれたのもたぶん似たようなことだったのだろう(笑)。
さて、ここから先は思いっ切り私見になるのだが、いずれにしてもロックンロールに熱中することは若者の特権ではあったが、いわゆる「良家の子息・子女」には許されないことであった。 そこに英国から登場したビートルズは、長髪と細身の襟なしスーツという外見上の奇抜さはあったものの、礼儀正しくユーモアがあって、紳士の国から来た若者らしく、不良っぽさは感じられなかった。 彼らの歌う唄は「君の手を握りたい」とか「彼女が愛してるのは君だよ、イエイエー」というような、明るくてノー天気なもので、ブラック・ミュージック特有の「腰を振って、ベイビー、ひねって叫んで!」というような性的暗喩を持つ唄でも、彼らが歌うと健康的なダンス・ミュージックに聞こえたから、彼らたち・彼女たちは安心してビートルズに熱狂できた。
そして何よりビートルズの音楽は、ケネディ大統領の暗殺や泥沼化するベトナム戦争というような、当時のアメリカがもっていた時代の閉塞状況とは無関係であったがゆえに、突き抜けるようなあっけらかんとした明るさがあったのだ。 それは陰鬱で息が詰まりそうな日常を(少なくとも音楽を聴いている間は)打ち破る力があった。 ビートルズの全米上陸を機に、ブリティッシュ・インヴェイジョンが忽然として64年のアメリカに起こったのは、こうした背景があったのではないかと思っている。
みなさんのご意見をお待ちしています。
参考文献 三浦久 著『追憶の60年代カリフォルニア すべてはディランの歌から始まった』 平凡社新書 018 1999年
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