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2005/04/17(日) 追悼−高田渡
渡ちゃんがほんとうに死んでしまった。
ほんとうに、というのはギター弾きの集まるサイトで4、5日前からそんな噂が流れていたからだ。
そのときは体調を崩して北海道の病院に入院しているということがわかって、「なんだ、やっぱりガセかよ〜」なんて高を括っていたのだ。
高田渡は若いころから老成して見られたからずいぶん歳をとっているように見えたが、ぼくと5つか6つぐらいしか違わない。
まだまだ死ぬはずがないと思っていたのが甘かった。

ライヴを一度だけ見たことがある。
1972年のことだから渡ちゃんがまだ23のころだ。
いつものようにギター1本とウィスキーかなんかの入ったグラスだけ持ってステージに現れ、「鮪と鰯」や「生活の柄」といったそのころの代表的ナンバーを7、8曲やった。
何の飾り気もない、いかにも渡ちゃんらしいステージだった。

最近では(といっても10年くらい前だけど)、地元のTV局でスタジオ・ライヴをやったのが印象に残っている。
そのとき初めて「ブラザー軒」を聴いた。
菅原克己というプロレタリア詩人の詩に曲をつけたものだ。
著作権の関係で歌詞を載せられないけど、
七夕の夜。
東一番丁のブラザー軒という小さな店で、ぼくは死んだ父と妹に出逢う。
ふたりはカキ氷を食べているのだ。
けれどふたりにはぼくが見えない。
だからぼくは見ていることしかできない。
まだ小さな妹が氷をこぼしながら一生懸命食べているのを。
「死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向こうの闇に」


今年のお正月にもWOWOWで渡ちゃんはこの歌を唄っていた。
そのときはいつもと変わらず元気そうだったのに。
それが最後になった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


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