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2013/10/02(水)
誕生日の翌日に……
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失礼な書き方かもしれませんが 恩人が亡くなりました
超有名な方です クリエーターとしては雲の上の存在です
私は中学生の時に彼が作ってた雑誌に出会いました 贅沢に作られた雑誌なのに安価だったのが嬉しかったです
その雑誌の世界観や投稿者の作品が本当に好きで好きでね
それから自分でも見よう見真似で創作を始めて 常連の投稿者であった方に手紙を書き半ば押しかけで師弟のような関係になり 一方で美術の勉強を始め結果的に服飾の道に進んだわけです 前にも書いたことがあるが常連の投稿者の方(→いわゆる私にとっての先生)は私より10歳年上の女性です
今と違い良い時代だったので掲載された投稿者の殆どは最後ページに当たり前のように顔写真と自分の住所などの連絡先を載せてました
私が彼女の作品を好きだったからではありません(ぇ 彼女が美人だったからですWWWWW 最低のクソガキですねWWWWW
もちろん最初は雑誌が好きで超大御所の彼に認められたくて創作と投稿を始めたのに目的は美人作家に近付くこと(←書き方が托いなW)になってたわけですからWWWWWしかも私には普通に彼女もいて浮気とかもしてた 当時からとんでもないエロガキだったわけです
手紙と数々の作品を送ったら本当に手紙が返ってきて文通による添削が始まり月に一度、都内にあった彼女(→以後、先生)の自宅に教わりに行くようになったのです
約三年ぐらいその関係が続き先生は年間グランプリを受賞し私も新人賞を頂き 超大御所の大先生にもお会い出来たんです 大先生は意外にも冷たく毒舌で当時の私にはショックでした もう25年以上前の話です 大先生にお会いしたのはその時の一度きりです
当時、私はごくごく狭いその世界では天才少年なんて言われ浮かれまくり付け上がってましたが実は自分に「言葉や文への」才能を全く感じてませんでした
そもそも絶対的な読書量が足りなく文に対する興味も才能も全く己に見出だすことが出来なかった 先生のように作詞で金を稼ぐ自信なんてゼロでした
天才?にまでなれたのは先生に対する片思いの恋心とエロパワーのお陰ですWWWWW
他方、美術と服がどんどん好きになり美術予備校に通いだし美大を志すようになったんです 何度も書くが美術は始める前から自分の才能を信じられた というより唯一信じられ自分の才能
受験では某W大に現役で受かったけど蹴って親の猛反対を押し切り美大受験の浪人をすることになりました
故に物理的に時間もモチベ的にも言葉や文を紡ぐことが不可能になり先生にも事情を話し離れることになりました 雑誌はその後も五年ぐらいは買ってましたがね
いつの間にか完全に離れてしまいすっかり忘れてたわけですが(大先生のご活躍は当然知ってましたが……)
これも前に書いたはずですが7〜8年前にmi○iで私のコミュが存在してることを聞きビックリしたんです 私自身は今だにコミュは見てません
正確に言うとこっ恥ずかしくて見る気にすらなれません
伝説の天才美少年とか言われてるらしいんですもん
絶対見たくない
メンバー数は5人ぐらいしかいないらしいけどねWWWWW クソログなんてやってるの知られたり 独身時代に八股かけてたこととか知られて夢を壊したら殺されそうだけどねWWWWW 美少年とか笑っちゃうよね もう4○歳だぜ?WWWWW
とにかくまぁ大先生の私立美術館があり別館に私の当時の作品も置いて下さってる話も聞いてるので 色々なツテを使い先生の居場所の情報を手にして5年ぐらい前から再び先生と交流を始めました
先生の話は長くなるから別記事に書きます
現在、先生は原発による放射能汚染を恐れ都内から九州に引っ越してしまい震災後はお会い出来てません
大先生が亡くなったのを知ったのは先生からのメールでした 久しぶりに電話でも少し話しました
大先生には上記のとおり25年以上も前に一度お会いさせて頂いたきりです
しかし彼がいなければ私は今の仕事に就くことも無かったし妻と出会うことも無かったし美術に全く興味を持ってなかったに違いありません ハイカルチャーを知らずに無視してアニメやマンガなんかを日本が誇る文化などとほざいてたかもしれません 疑いもなく某W大を卒業し親の会社を継ぐか?普通にサラリーマンやってたでしょう(←今でもサラリーマンだけどな) 想像するだけで恐ろしい
私が世界で最も尊敬し感謝してるのは 「や○せ○○し」さんです
こんなクソログで書くのは失礼すぎますが 本当に本当に心から感謝しています
ありがとうございました
先生もツイッターで追悼を感謝を記してますが ささやかすぎて先生らしいなと笑ってしまいました あの方は今でもやはり風のような方です♪ そして「や○せ」さんは太陽のような方でした
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