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2004/03/01(月)
sideA :父の走った道(3)
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草千里からやまなみハイウェイへ向かう。山を下る道は強い風の後のようで、路面に砂が乗っていて、コーナーの立ち上がりでアクセルを開くと、後輪が流れる。
道沿いに、そして道から見えるところに、いくつもトンガリお屋根のメルヘンっぽいカワイイ建物が建っていて、コーヒーショップだったり、ペンションだったりする。でもその幾つかは、壁の色は褪せ、窓には板が打ち付けられて、ほとんど見えなくなってしまって廃業の案内がはってあったりもする。
父が居なくなって、父の会社は破産し、その玄関には裁判所の張り紙と弁護士さんの張り紙が並んで張ってあった。無機質な言葉が並び、そこに明るい笑い声や、活気に満ちた仕事があったことなんて、まったく信じられない様子だった。
20人近い働いてくれていたみんなに、父は死ぬ直前に、会社にあった全ての現金を別けて振り込んでいた。自分の分は取らずに。結局そのことは、清算を進める弁護士さんの手間を増やすことになってしまったが、葬式には全員が顔を揃えてはくれた。でも、当たり前かも知れないが、御香典袋は1枚だけで「株式会社**元従業員一同」となっていて、一万円札が一枚入っていた。
長く父と一緒に働いていた人達は、その前の年にほとんど辞めてしまっていた。家族には死ぬ直前まで良い父だったが、仕事では元々、かなりワンマンで、金銭的に追い詰められて行く中で、ある意味、父は錯乱していっていたのだと今は思う。
ずっと苦楽を共にしていて、私達も「○○のおじさん」と親しく呼んでいた専務の肩書を持っていた人とも、恐らく心からの諌言であっただろうに、それが原因で殴り合いの喧嘩になり、社内の人心もそれを契機に変わってしまって、人々は離れていった。
葬儀の時、○○のおじさんは私達に深々と頭を下げて詫びた。「判っていたのに、判っていたのに、自分のチャチなプライドに負けてしまいました。一緒に居るべきでした。すみませんでした。」
急なワインディングロードが終わって、後ろに中岳を背負ってゆったりとした道に出る。自動販売機だけに電気が点いている、つぶれてしまった「ミルクと自家製ケーキとアイスクリーム」って言う看板のかかった草色の建物の前で、ひと休みした。入り口の横には、フラワーボックスが並んでいて、指先で土を触ると、チューリップの球根に触れる。
「残念ですがお店を閉じることになりました。短い間ですが、御世話になりました。」
薄くなってはいたけれど、優しい感じの文字で書かれた張り紙が、ドアの内側から張ってあって中は椅子もテーブルも無くてガランとしている。私は建物に話し掛けてみる。
きみはきっと、楽しかったよね。お店の人にきれいにしてもらって、お客さんが来てくれて、美味しそうな香りが好きだったんだよね。明日もお仕事しようって思って待っていたのに、お店の人も、お客さんも来なくなっちゃったんだよね。お花も枯れちゃったし。
外に出ている売り店舗の看板に「いいお仕事紹介してあげてね」って言ってから、私は大観峰へ向かう。暗くなっていく道にヘッドライトの光が伸びる。
まだ、まだ走らなくっちゃ。
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