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2004/05/01(土)
手をつないでください(入院中の母へ)
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何でもない白い紙ナプキンが、バラ色のリボンで結ばれて、お祝いの色になる。
3人分のナイフとフォークが並べられている小さな食卓の脚の間には、電器炬燵のヒーターが見えている。
その炬燵テーブルにもパッチワークの布と、それを汚さないように透明ビニールクロスがかけてあって、ちっちゃな私は、先っちょの丸い、プ〜さんの付いたフォークとスプーンを握っていて、並べられた質素だけれど、手をかけたお料理たちと一緒に、手をつないだ母と父が後ろで笑っている。そして小さなホールケーキには、ロウソクが5本立っていた。
写真の母は、数えてみれば20代の半ばなのだけれど、三つ編みの髪を片方の肩にたらして、少女のように笑っている。背景には、狭いシンクと、湯沸し器が写っていて、その小じんまりとした部屋へ、右手を母と繋ぎ、左手は手すりを持つのだと言い張って、カンカンカンって言う音を立てて昇った、外階段の音を思い出す。
今思い出しても、母と父は仲良しだった。
連れて行ってもらった、小さな動物園で、「ひとりであるくもんっ!」って繋いだ手を放し、先のほうまで駆けていって振り向くと、2人は手を繋いでいた。「私が手を繋ぐ〜っ」て、ちょっと幼い嫉妬心で戻ると、父がひょいって肩車をしてくれて、母はそのシャツの肘のところを、つまんでいた記憶がある。
母の本箱には、ナルニア国物語があり、オズはシリーズだったし、ホビットの冒険からシルマリルの物語、はなはなみんみがあって、安房直子さんが揃い、さべあのまさんや坂田靖子さんのコミックス、そして沢山の絵本が並んでいた。その本たちとその本たちを好きな母の心に包まれて私は毎日を過ごした。
アルバムには、ぎこちなく並び、少しずつ寄り添い、そしてしっかり手をつなぐ、同じ時を歩んできた、母と父の写真がたくさんある。家族全員で撮った最後の写真も、私達妹弟の後ろの二人は手をつないでいた。
父が自ら命を断ったとき、母は心を閉ざしてしまった。山積になっていた実務上の問題や、心細くて泣いてばかりいる妹や弟さえそのままに、自分だけの世界に行ってしまった。
恨んだことがないと言えば嘘になる。夢の中では、何度も母を怒鳴りつけ、殴りつけ、足蹴にしたこともある。
「勝手すぎるよっ!かぁさん!!」
一度退院できた母は、昔通り美味しい、そして綺麗なお料理を作ってくれて、色の褪せたカーテン地を、飲み終わった紅茶の葉で染めてクッションを作り、お花を植えて、ハーブを育てていた。そして独りでアルバムをめくっていた。
少し経って、テーブルに父の分のお料理が何度目か並べられ、その事を祖母が少し強く言った日、母は階段を駆け上がってアルバムだけを抱き、玄関から飛び出していった。私達は、全力で追いかけて、追いついたけど、もうその目には私達は見えていなくて、父の名前を何度も何度も、出会った頃の、そして二人で歩くことを決めた頃の愛称で呼んでいた。何度も何度も。
ペンキの剥げた外階段を昇ると、ペコペコのベニア板のドアがあって、そこには母が好きなダヤンのWelcomeBoadが揺れていて、まだ三人だった家族の名前が、レザーの表札にステンシルで書かれていた。微笑んで、ほんのちょっと叱られて、そしてまた微笑み、笑いあう。妹が生まれ、父は家を建て、弟が生まれて、ずっとずっとそんな暮らしが続くのだって思っていた。
母と父は仲良しだった。きっと愛し合っていた。私にはまだ愛は判らないけれど、少しずつ母の心が染みてくる。
少しずつ戻ってきてね。とぅさんはもう居ないけれど、そして、とぅさんみたいには愛してもらえなくても、私達はかぁさんが好きです。私達と手をつないでください。
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