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2004/05/14(金) side A :   薬
ルピナスのもう一本はピンクで、いっしょに紫の花芽も伸びてくる。

妹と年が離れているのは、私に原因がある。妹も、少し同じ病気があるのだけれど、私はある時期まで入退院を繰り返し、恩人とも言える医師に巡り合うまで、安静に近い生活を送っていた。

その先生の思い切った治療方針のおかげで、常時、発作止めの吸入薬とステロイド錠剤を持ち歩き、それでも止まらない時のために、携帯式の液状薬品の電動吸入器まで持ち歩いていたけれど、学校に通い、遠足にも、運動会にも参加できるようになって、ひょろひょろだった身体は、少しずつ、少女らしい身体になっていった。

毎月、心電図を採り、3ヶ月に一度CTを採りながら、発作が出れば即吸入をするという治療と言うか対応方針が、良かったのかどうかは判らないけれど、少なくてもそのおかげで、ほぼ普通の学校生活をおくることができたのは間違いない。

父と母も、本当に手の掛かる私に、全力で付き合ってくれた。少しでも、発作時に対応できるように、父は勤めていた会社を辞めて、住と職を近くしてくれたのだし、母も出産後復帰するつもりだった職を辞して、私だけの母になってくれた。

発作の間隔が遠くなり、ある程度私が自分で病気と付き合えるようになってから、妹が生まれ、弟が生まれた。私が健康に生まれていれば、家族は違う形になっていたかも知れない。

でも、それからずっと、吸入を手放せたことは無いし、今も病院へ毎月一度通い、ひと月分ずつの薬をもらい、その薬のおかげで、普通の暮らしがおくれている事に変わりは無い。いつも薬を傍に置いて、父とキャッチボールをし、マラソン大会にも参加して、海で遊び、バイクにも乗って暮らしてきた。

今、飲んでいる薬たち。

ピルと眠剤以外は、もう長いお付き合いだ。


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