|
2004/03/19(金)
side A:言葉のいなかった1週間。そして御礼
|
|
|
日記を削除されて、ほんとうに落ち込んだ。考えてみれば、その日、その日の日記の題名は扇情的だったし、楽天市場の、楽しいお買い物日記を読もうと思ってブラウザを開く、漢字もだいぶ読めるようになった小学校中学年くらいの女の子と、真っ白なエプロンを付けて、今日は手造りのグラタンとポテトサラダを作ろうと思っているおかぁさんが目にするには、あまりにも性的な文章だったことは判る。
最初、この日記を書き始めたのはLycosの無料スペースだった。更新報告は日記才人で行う構造で、性的な表現をした日はアダルトカテゴリーで報告すればよかったので、楽天に移行した後、どんな日記も一律に楽天広場で更新報告されることに、正直、気が付いていなかった。ただ、いくら無料スペースだとは言っても、警告も停止期間も無く、いきなり全データを削除するサービスが存在するとも思ってはいなかった。
私専用のPCのHDがクラッシュし、あーあ、って思っていた翌日に、web上の日記も消えてしまったとき、もし戻ってこないときは、もう一度書けばいいなって、最初は思った。
今の暮らしになる前から、一日のメモって言うか備忘録を残す習慣があって、今の暮らしになってからは、縦長変形判の手帳に、言葉の羅列だけど、けっこうびっしり書き込んでいる。ソープで働くようになってからは、正直に言えば、毎日のお仕事の記録があり、お店でお相手したお客さんの外見的な特徴や、話題や趣味や、そして、あくまでも自己申告の生年月日やお仕事や、性的嗜好や性的なサービスの細かな部分まで記録してある。もちろんそのデータは、別に整理してもあるのだけれど。
そこには事実があって、少し心も書いてある。それを元におばちゃんしか居ないお家の、茶の間にある共用のデスクトップを開いて書き始めてみたとき、前に書いた私の言葉とは、まったく違う言葉になってしまうことにとっても驚いた。
最初に日記を書き始めたとき、私はまだ17才から18才になったばかりで、ソープで働いてはいたけれど、個室で殴られる前で、毎日の暮らしは「高校生」として過ごしていた。そして、父の死後、入院していた母は一時快癒してお家にいたし、少し落ち着いてきた暮らしの中で、18才の心と、少しずつ熟れていく身体を持て余し、お金を稼ぐことが面白くなってきていて、苦労して進学する事から逃げようともしている状態だったと思う。それを日記に書くことで、自分自身を確認しようとしている私がいる。少なくても、今日の私は、そんな風に思っていて、その日からはずいぶん遠い。そして、それがほんとうのその時の私かは、もう判らない。
日記を書かなくなって過ごした2002年の8月から2003年の10月まで、私は何度も何度も、ネットにいで自分の日記を読んだ。そこには言葉を飾ってはいるけれど、必死で綴った言葉があった。その日から日々を送り、その日より、数多くの性器を受け入れ、殴られないまでも、たくさんたくさん、嫌なこともあった日を支えてくれたのは、少なくても色んな事を諦めてはいなかった私が残していた、言葉たちだった。
そのことに思い当たったとき、その言葉たちが愛しくて、愛しくて、とにかく戻ってきて欲しくて、私はパニックになった。お仕事にも行けなくて、記憶している言葉の端々を書き留め、ネット中を検索して、少しだけ言葉を見つけて、何度も何度もまた検索した。
今の私は、もうあの時の私じゃない。良くも悪くも。ほんとうにその事を実感した。というか、認めようと思った。
そう思ったら少し落ち着いてきて、16日の日記を書いてみた。そして、一昨日、この日記にも書いたように、ほとんどすべての私の言葉は戻ってきてくれた。
今度の事で、私は新しい力も得た。ここに言葉を置いていたおかげで、私の事を心に掛けてくれている方たちが、こんなにもたくさんいてくれた事が、ほんとうに嬉しかった。
また少しづつここに言葉を残してみます。 もう一度、ありがとうございました。 こんな私ですが、もうすこしお付き合い下さい。
|
|
|