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2005/05/02(月) side A : あ の 日
生まれて初めて 死にたいと思った

クラス替えの後、数日は普通に過ぎて、入院の間隔は少し開くようになってはいたけど、今ほどアレルギーに対しての理解はなくて、給食を食べない日のある私は、まだ子供な級友から奇異に見えたのは仕方なかった

発作が出ると、まず手持ちの吸入をこっそり使う。その頃はメジヘラーDだった

それでも止まらない時は手を挙げて、保健室でステロイドと気管支拡張剤の吸入をする。それでもダメなら病院へ運んでもらい、そのまま入院になることもまだ少なくなかった

治療してくれる先生の方針で、インタールを吸入してから体育にも出ていたし、手帳に薬の使用状況とピークフローの数値を書き込むのは当然の日課で、でも、少しずつ増えてきたサーフィン仲間の上級生や男子達、そして中学生や高校生や大人の人と、廊下や帰りの道で楽しそうに話していたのも、異端だったのかも知れないと今では思う。まだクラスと近所と塾だけが、生活の範囲で当たり前の年齢だった。早い子は、もう生理が始まり胸が膨らむ年ではあったのだけれど

半月ほど経って、少しクラスが交わり始めた頃、1日だけの入院から登校した私の机には、しおれた白い菊が汚いビンに生けてあった

周りを見回すと、目をそらす子とクスクス笑う子がいて、流しに菊を持って行って、洗面器で水切りし、ビンもキレイに洗ってから先生から見えない足元に置いた

昼休みには菊はピンと咲いていた

次の日、菊は花びらをむしられて椅子に散らしてあり、机には「バイキン女、出ていけ」「バイキンはクラスのめいわく」「病気を移すな」と大きく書いてあった。油性ではなかったので、箒で花びらを掃き、雑巾で机は拭いて、私は授業を受けた

そんな態度が、今ならかえって反感を煽ってしまうことはわかる。でも、私も子供だった

給食の時間、開いたお弁当に、食べることのできないおかずをかけられる。大好きだった真っ白いシャツは、お家に帰って気付いたのだけれど、背中にソースがかけてあった

箱に入ったカエルは、手に乗せて校庭の隅の茂みに放したし、今度はマジックで繰り返し書かれる罵倒の言葉に、家からベンジンを持って通うのが日課になった

親しいと思っていた友達も、積極的に参加してはいないようだったけど、遠巻きに眺めているだけで、それが一番悲しかった記憶がある。私は一人で学校に行き、一人で授業を受け、そして一人で帰った

背負ったD-BAGを後ろから掴まれ、後ろ向きに引き倒されるようになり、ころんだ私を蹴りはしないけど、靴で土や砂をかけて、笑いながら走り去る後ろ姿を見るのが日常になっていった

誰が扇動者かは判っていた。でも、何故なのかは解らなかった

ある朝、1時間以上早く学校に行き、見つからない場所に隠れ、それを知ろうとした

3人の人影は、「くさいくさい」と笑い合いながら、扉を開ける。持っているのは魚のアラのようで、「くさい女にぴったりだね」「身体の腐った女にぴったりだね」と囃しながら、きっといつものように机に文字を書く

扇動者は裕福な家の娘で、キレイだったしいつもキレイな服を着ていたし、身体も頭一つ大きかったし成績も良かった

「先生がヒイキしている。絶対カンニングしている。腐った女のくせに」

そんな言葉で、理由が少しずつ解ってくる

前のクラスからの申し送りで、私に病気があること、そのために給食をいつも食べることはできないこと、発作が出るかもしれないので少し注意すること、そんな話しが自己紹介もした最初の級活で先生からあった。きっとそれが「特別」に見えた

最初何度かテストを返してもらったときにその扇動者は、一応成績がいいと思われていた私のところへ来て、「何点だった?」って尋ねていた。私は尋ねなかったけど、正直にテストの点数は言った

それまで私は、私が何か悪い事をしたのだと思い込んでいた。何か理由があって、その理由に気付かない私に非があって、こんな毎日になったのだと思い、そんな自分が死ぬほど嫌だった。

死んだほうがいいとも思った。辛かったし

でもそうじゃなかった

インタールを吸ってから立ち上がって「何してるの?」って私は言う。それまで私はモンクも言っていなかったし、でも学校では泣くこともなかった

振り返った三人はギクッとした表情を一瞬だけしたけど「なんだよ、バイキン」「クサレ女、何かモンクがあるのかよ?」ってすぐに居直って、扇動者がシャツの襟を掴み二人が私を囲む

護身術として知っていた私は、人指し指一本だけを掴んで、でも折れないように注意はしながら捻って、その子はあっけなく床に倒れこむ。持っていた魚のアラの袋が裂けて、その子の髪と床に散らばる

「離せよ、バイキン。腐ったのが移る!」

二人は私を何度か殴り、蹴り、手を掛けて引き離そうとするけど、その度に、倒れた子が大きな悲鳴をあげるので、少し離れて私とその子を見る形になる

「私は病気だよ。でも他人には移らない。それはホントだし、ほんとはわかってるんでしょ?」

背中に馬乗りの形で私は話す。指を握ったまま

その子は突然大きな声で泣き出して、コクコクと頷く

手を離して立ち上がり、二人には「もう止めてね」って頼んだ。そして、その子はその日学校を休み、私は床の掃除をしてから机の文字を消し授業を受けた

朝の異変は、昼休みにはもうクラスに広がっていて、ビミョウな雰囲気でその日は終わった

次の日、机には何も書かれていなくて、アラもカエルもその他の汚物も無かった。二人からは、言い訳に満ち溢れた連名の手紙を渡され、その他何人かからも謝られた

遠巻きにしていた何人かは私に話しかけるようになり、普通の暮らしが戻ってきた。でもその世界は、前とはなんだか違って見えた

今は、その事に感謝さえしている

もし、あんな事が無くて、あの日が無ければ、父が死んだとき私は一人で立っていられなかったと思う

いいことか、そうでないかは判らないけど、今の私はあの日出来た。


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