最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2005年1月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

直接移動: 20066 月  20059 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月  200311 10 9 月  200212 10 8 7 6 月 

2005/01/25(火) side A: 父を読むこと
街を見下ろす場所にその有名な洋館はあって、その場所から見える風景は傾く陽射しに染まる。

前の年、父の走った道を少し辿った。迷いながらも読み始めた、父の書き残した文字を追い、30年以上の時は経ているのだけれど、その残景に逢ってみたくて私は短い旅をした。

それから一年、密封された箱を一つずつ開き、父の様々な思いに触れ、父方の祖母の文字にも直接触れた。その時々には、その文字たちに驚いて、私の中で整理も出来ず、ただただ私は抱いて眠った。

去年の九月、私は入院した。

薬品の香りだけが濃い、無機質なまでに清潔な病室で、様々な大きさの、色も変わったノートを何度も読み返す。言葉は風景になり、感情になり、想いになって私を包む。

日付があるものも無いものもあって、どこが始まりで、どこが終りかもわからないシーンも多い。そんな続いているようで、別々な毎日が、すこしずつ私の中で流れを持つ。

去年の2月にまたこの日記を書き始め、それから何度も思ったことがある。何故、私はここに言葉を書き続けているんだろうって。

密封されていた父の言葉たちは、捨て忘れて私が見つけてしまった、死の直前の、恐らく誰にも読ませたくはなかった言葉や、見せたくなかった記録とは違い、やはり誰かに読んで欲しかったんだって思う。そして、その「誰か」は私だとの確信が今はある。

私がここに残している言葉たちは、家族や私に連なる人へ伝えたいものじゃない。きっと、知られたくも無い言葉だと思う。それは、恥ずかしいとか、隠したいとか、そんなものとも違っている。

家族は私と血は繋がっているし、とても大切だ。でも、今の私の家族は、母とその祖母と妹と弟で、私がもし生まれていなくても、きっと今日を暮らしている。

父がいなければ、私は居ない。それは祖母も母も、もういない祖父母達も同じだけれど、私が居なくて、存在しない家族はいまのところはいない。私が今の暮らしを選んで、ここに言葉を残しているのは、私が決めたことで、だれもそのことを引き受ける必要も義務もないんだと思う。

私はきっと、父からバトンを渡された。3人の子供の中で、両親を独占できた時間があるのは私だけだし、私が生まれて物心が付き、父が死ぬまでに二人だけで過ごした時間は、夜を除けば、恐らく母より多い。そして、私の生まれたことが、家族の今日を決めていた気がする。

父を私は読んでいく。それは娘である私だから。せめて私が知る事が、父が生きていた証のような気がするから。

私はいる。でも私のいることを知っているのは、私とこの日記を読んでいるみんなだけだ。私は誰かに私を読んで欲しくて、ここに言葉を残しているんだと思う。その言葉にやっと行き当たり、確信を持ったのは、洋館から祖母の街を見ていたときだった。でも、ここに書けるまでに、2ヶ月以上かかった。

現実の暮らしの中の、家族や誰か信頼できる人に、話してみたらって、アドバイスを何度もメールで、色々な方からもらった。背景や理由は色々で、私なんかのために、心をかけていただくことに感謝しながら、そうかなぁって思うこともあったのだけど、きっと私は一生誰にも、この暮らしの事を話すことはない。

私自身が、受け止め切れていないこの暮らしを、同じ現実の場所で、同じ時間の中で暮らす誰かに、一緒に背負ってもらうことはぜったい出来ないって思うから。

ネットの向こうで、ことばを受け取ってくれる、みんなにもう一度、ありがとう。

もうすこし、よろしく。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.