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2005/01/25(火)
side A: 父を読むこと
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街を見下ろす場所にその有名な洋館はあって、その場所から見える風景は傾く陽射しに染まる。
前の年、父の走った道を少し辿った。迷いながらも読み始めた、父の書き残した文字を追い、30年以上の時は経ているのだけれど、その残景に逢ってみたくて私は短い旅をした。
それから一年、密封された箱を一つずつ開き、父の様々な思いに触れ、父方の祖母の文字にも直接触れた。その時々には、その文字たちに驚いて、私の中で整理も出来ず、ただただ私は抱いて眠った。
去年の九月、私は入院した。
薬品の香りだけが濃い、無機質なまでに清潔な病室で、様々な大きさの、色も変わったノートを何度も読み返す。言葉は風景になり、感情になり、想いになって私を包む。
日付があるものも無いものもあって、どこが始まりで、どこが終りかもわからないシーンも多い。そんな続いているようで、別々な毎日が、すこしずつ私の中で流れを持つ。
去年の2月にまたこの日記を書き始め、それから何度も思ったことがある。何故、私はここに言葉を書き続けているんだろうって。
密封されていた父の言葉たちは、捨て忘れて私が見つけてしまった、死の直前の、恐らく誰にも読ませたくはなかった言葉や、見せたくなかった記録とは違い、やはり誰かに読んで欲しかったんだって思う。そして、その「誰か」は私だとの確信が今はある。
私がここに残している言葉たちは、家族や私に連なる人へ伝えたいものじゃない。きっと、知られたくも無い言葉だと思う。それは、恥ずかしいとか、隠したいとか、そんなものとも違っている。
家族は私と血は繋がっているし、とても大切だ。でも、今の私の家族は、母とその祖母と妹と弟で、私がもし生まれていなくても、きっと今日を暮らしている。
父がいなければ、私は居ない。それは祖母も母も、もういない祖父母達も同じだけれど、私が居なくて、存在しない家族はいまのところはいない。私が今の暮らしを選んで、ここに言葉を残しているのは、私が決めたことで、だれもそのことを引き受ける必要も義務もないんだと思う。
私はきっと、父からバトンを渡された。3人の子供の中で、両親を独占できた時間があるのは私だけだし、私が生まれて物心が付き、父が死ぬまでに二人だけで過ごした時間は、夜を除けば、恐らく母より多い。そして、私の生まれたことが、家族の今日を決めていた気がする。
父を私は読んでいく。それは娘である私だから。せめて私が知る事が、父が生きていた証のような気がするから。
私はいる。でも私のいることを知っているのは、私とこの日記を読んでいるみんなだけだ。私は誰かに私を読んで欲しくて、ここに言葉を残しているんだと思う。その言葉にやっと行き当たり、確信を持ったのは、洋館から祖母の街を見ていたときだった。でも、ここに書けるまでに、2ヶ月以上かかった。
現実の暮らしの中の、家族や誰か信頼できる人に、話してみたらって、アドバイスを何度もメールで、色々な方からもらった。背景や理由は色々で、私なんかのために、心をかけていただくことに感謝しながら、そうかなぁって思うこともあったのだけど、きっと私は一生誰にも、この暮らしの事を話すことはない。
私自身が、受け止め切れていないこの暮らしを、同じ現実の場所で、同じ時間の中で暮らす誰かに、一緒に背負ってもらうことはぜったい出来ないって思うから。
ネットの向こうで、ことばを受け取ってくれる、みんなにもう一度、ありがとう。
もうすこし、よろしく。
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