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2004/05/31(月) くせ
くせ (初めてカラダを売りにいった日)
梅雨の街は色を無くして灰色に沈む。暗い空から降りてくる銀色の糸は、紫陽花にだけ刺繍をしたように色をつけるのが、幼い頃から不思議だった。

小さな出窓からの見慣れた風景のなかで、鯉幟の泳ぐ青空の下では淡かった、南の庭の額紫陽花は紫に染まっていき、西の庭の紫陽花は青に染まっていく。こんな季節のあの日、私はカラダを売りにいった。

小学校に入ったばかりの頃、念を押されて、念を押されたのに、朝晴れていると、学校に傘を持っていくのを忘れていた。病弱だった私のために、母か、父が傘を届けてくれて、私は濡れずに家へ戻る。

「今日こそは忘れちゃだめだよ」って言われているのに、また忘れる。

帰り道に手をつないで、結局持ってきてくれた私の傘はささずに、一つの傘で帰りたくて、朝は晴れていて、昼過ぎから雨が降ることを、願っていたりした。ほんとうは。そしてそのことを、父も、母も知っていたとも思う。

初めてカラダを売った日も朝は晴れていた。一度交わってから見た窓ガラスには、雨粒がついていて、外の夜景がそこだけ曲がっていた。もう私は傘を忘れては居なかったのだけれど、深夜、その部屋をお客さんと出るときに、その傘はあげた。

家に帰る道で、曲がり角のたびに目を凝らし、時々後ろを振り向いた。そして、傘の無いまま、私は濡れてお家に着いた。17歳だった。

今でも、紫陽花の季節の急な雨のときは、もう死んでしまった父か、心が壊れて入院している母が、傘を届けてくれそうな気がしてしまう。

いつか、傘を届けてくれる人に出会うまで、この癖は治りそうにもない。


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