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2004/04/04(日)
side A : バスに乗る
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バスに乗った。バスには誰も乗っていなかった。
一番後ろの席に座って、ちっちゃい頃はこの席に座るのが好きだったことを思い出す。運転手さんの隣や、すぐ後ろも好きだったんだけれど、小学校に上がる頃には、お年寄りや、おなかの大きなおかぁさんや、赤ちゃんを抱いた人が前に立つと、父も母も、必ず席から立つので、一番後ろの席で、大きな窓から小さくなっていく風景や、車や、人や犬を、眺めているのが好きだった。
冷房も暖房も入っていないバスなので、小雨の中で少し窓を開いてみる。桜の花びらがいくつか舞い込んできて、桜と雨の香りの風を吸い込む。
選抜試験に受かって、留学が決まり、嬉しくて堪らなかった時、でもその日は雨で、少しでも早くお家に帰りたくて乗ったバスのこの席で私はぴょんぴょん跳ねていた。
もう家にそれだけの余裕が無いこと、だから今回は諦めて欲しいと父に言われて、私は次の日に逆向きのバスに乗って、先生にそれを伝えにいった。自転車に乗る元気が無くてバスに乗った。 それがとてもつもない挫折のようで、世の中がすべて暗転したような気分で、憧れだったその街の本やパンフレットや、まだ受かってもいないのに、調べて調べて、作り上げていた生活マップを持っていって、「いらないかも知れないけど、補欠の人にあげてください」って渡した。「補欠の人」って言葉を吐いた時の私は、恐らく人生で壱弐を争う、嫌な顔と声だったと今でも思っている。
思えば、自転車で自由に動けるようになってから、バスの風景はいつも雨か暗い。
会えない事は判っていたけど、入院している母の、春のお洋服や下着を届けに今日はバスに乗った。父が居なくなったあと、母は車窓から景色を眺めるように、思いとは距離のある現実を暮らして、そして思いの中だけに生きるようになった。一度、私達の手で、引き戻せたはずだったけど、アルバムをめくり、昔の日々を思い出す中で、今度は、笑顔と、未来と、夢ばかりだった、私さえ存在しない、父と二人で過ごした日々に行ってしまった。
電車の速さなら、それが景色なんだとはっきり判る。信号で止まったり、カーブでスピードを落とすバスの車窓から見える風景は、そこに自分がいるような気がする。
春休みが終わって、大学へ通う。講義を聴きキャンパスを歩き、サークルで笑う私と、全身にローションを塗って、陰毛と性器でお客さんの全身をマットの上で洗い、ベッドで毎日4人以上と性行為をする私の、どちらが風景なのか、自信はない。でも、どちらも自分だって認めてしまうと、明日を迎えられない気もするし。
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