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2005/04/04(月)
side B : 始まり そして
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唇を噛んで、暮らしていた。
伝わらないことに苛立ち、病院へ逃げてしまった母に、少し割り切れないものを感じながらも、わかろうとし、そして、わかったつもりになって、カラダを売るようになった。
もちろんそれは、誰のためでもなく自分のためで、今日の暮らしに限りなく近い、私の希望と我侭を、家族を理由にして、実現しようとしたことを私はホントは知っている。
嫌で嫌でたまらなくて、でも、コンビニで高校が終って毎日5時間以上働いて一週間かかって、もらっていたバイト代を、一人のお客さんに挿入されて、射精してもらい、**分過ごせば、手に入れられるようになった。
バイト時間は半分にしても、払わなければならない支払いをし、暮らしの掛かりをおばぁちゃんに渡しても、少しずつお金は残せたし、父の建てた家で家族は暮らし、自分を売って、買った時間で、目標の大学にも入ることができた。
16歳からのこの4年以上の日々は、絶望したし、泣いたし、壊れたし、壊れたときは、公園で後頭部をブランコの鉄柱に何時間もぶつけ続けて、大きなコブが出来て、2週間以上、仰向けには眠れなくて、お店でも、出来るだけ騎乗位やバックばかりにお客さんを誘っていた。
手首を切らず、死のうとも思わなかったのは、ほんとにここに残していた言葉と、受け止めていてくれたみんなのおかげで、でも、仕事にも、学校生活にも差し支えない範囲で、私は私を壊したかったんだと、今は思う。
最近書いた日記で、そんなみんなに、心配をかけてしまったようで、心が痛む。
読み返してみると、確かに読み方によっては、私が死に憧れているように取れなくもない。
急にまた壊れて、自死しないと断言は出来ない。でも出来ればしたくない。今の私は、毎日が大切で、大切な大きな一つがここだって、また気付いて、言葉を残している。
突然だけど、私が小学生だったときに好きだった紫堂恭子さんの作品にこんな言葉があったことを思い出す。
『うんと悩んで、失敗も、つらい思いもたくさんなさい。 それは、生きるものだけが持つ、最高の特権なのだから。」
私はきっとこれからも揺れる。でも、大切な物がたくさんあって、お花にお水もあげたいし、ハイビスカスは、そろそろ部屋からだし、むくげは南の庭に移動して、そこにあった侘び助は西に移動する。
5月になったら、ひまわりの種を蒔き、あじさいが手まりになる少し前には、朝顔棚をちょっと修理して種を蒔く。
でもその頃には、今日一斉に花を開いたスイトピーは、もう株全部は眠っているし、今咲いている、いろんな花たちも、一輪だって咲いていないことは知っている。
今の私は、微笑むことは出来るし、大声で笑う。もう一年足らずの日には、就職活動を始めているのだし、再来年には、どこかの席に職を得ていたい。そのために頑張る。
でも、始まりがあれば終わりは必ずある。
今日があることに、心から感謝して、眠りに就く。
そして、みんなにも、いい日が明日がきますように!
ありがとう、この文字をみてくれるみんな。
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![](/user/reversible/img/2005_4/4.jpg) |
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