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2005/05/05(木) side A : 紙の鯉のぼり
窓から少し離して置いていたハイビスカスを窓辺に寄せる。ほんの少し前にはあたっていた位置に、もう陽射しが伸びないほどに、太陽は高い。

チューリップはほとんど散って、葉が枯れるまではこのまま育て、掘り上げてから夏の花は庭に戻る。

あれは、妹はまだ生まれていなかったので、入ってすぐの幼稚園でだったと思う。子供の日の少し前、紙を切って色を付け、先生が二枚張り合わせてくれ、背びれと胸びれも張ってくれて、鯉のぼりを作った。

何匹作ってもいいよって言われたのは、今思えば片親の家庭や、祖父母と同居の家庭への配慮だったのだと思うけど、私は、濃いブルーで父に見立てた大きな鯉と、母に見立てた赤い鯉と、少し目を大きく書いた、ピンクの鯉の三匹を作った。

丸い中空のポールに紐を通し、矢車代わりの小さな風車を先っちょに付けて、出来上がった、口を開いた鯉のぼりは、とてもステキに思えた。

紙の鯉のぼりは少し重いので、走らなければ泳がない。でも、二階にあった私の住むアパートのベランダなら、風も強くて、泳いでくれそうな気もして、ワクワクしながら、帰りの時間を待っていた。

帰りの列は、もうお祭りで、みんなが鯉のぼりを振り回す。先生は注意するけれど、危なくなければ笑っていて、私は手を、ピンっっと上げて、青空を背にした鯉のぼりを見上げた。

一番最後の私の家には、病気がちであることもあって、先生が玄関の前まで付いてきてくれる。

挨拶が終わって、ベランダへ一直線に向かい、「父さんと母さんと私だよ!」って、はずんだ気持ちで、鯉のぼりを見せた時、「何故、4匹じゃないの?」って叫んで、突然母が泣き崩れたのを、私は忘れられない。


今になれば少しはわかる。

私の名前は、ほんとはねぇさんの名前で、少女の感性を持ったまま大人になった母は、私を呼ぶたびに、亡くしたねぇさんを思い出してしまっていたことを。

私にねぇさんが居たことを、ずっと知らなかった私は、何が起こったのか、まったくわからずに、ただ、ただ、悲しかった。

母の中ではその時家族は4人で、妹が生まれ、弟が生まれてやっと、ねぇさんは死んでしまった事が現実になって、でも父が死に、心を閉ざした時には、いつか、同じ名前の私も居ないことになってしまった。

ねぇさんが居たことを、知ってから、私はすこしずつ母を理解する。そして、それを思いやり、寄り添って守ろうと力を尽くしていた父の心を。

紙の鯉のぼりは、結局泳ぐことは無く、帰ってきて異変に気付いた父が、次の日に買ってきた、小さな布製の4匹の鯉のぼりがベランダで泳いだ。

母は「ごめんね」って言ってくれて、私もホッとしたのだけれど、子供の日が近づくと、いつもなんだか悲しかった。




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