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2004/07/07(水) 願い
「こどもが、しんじゃうような、せんそうがなくなりますように」

深い考えがあったわけじゃない。でも、その七夕飾りの短冊を見た父は、頭を撫ぜて、「忘れないようになっ」って呟き、そして私は今でも憶えている。9歳だった。

松谷みよ子さんのモモちゃんシリーズの隣に立っていたその本を、読んだばかりだった私は短冊にそう書いた。

「ふたりのイーダ」

この本を読んだとき、泣きじゃくらないでも、涙が溢れる事を初めて知った。

それまではそんな事を考えたことも無かった。でも、その本は静かに戦争や、原爆や、待つことや、一人ぼっちだと言う事、そして数え切れないその時はまだ知らなかった、それから出会ってきた心の動きを、教えてくれた。

その年の夏休みに入って、スノーマンやサンタさんのカワイイ絵が大好きだったレイモンド・ブリッグスの棚の端っこで、風が吹くときを見つけた。それを読んだときの驚きと、恐れと、そして言葉に表せない不安は例えようも無くて、その本を持ったまま、何もすることが出来ずに、長い時間座り込んでいたのを思い出す。

帰った来た父は、様子のおかしい私に気付いて、話を聞いてくれた。

「ちょっと早かったかも知れないな。その二冊を続けて読むのは」

私の質問に父は丁寧に答えてくれたし、母も答えてくれた。少しずつ、知らなかった事を理解し、怖い気持ちは薄れて、でも大切な事だということは理解していった。

今西祐行さん、長崎源之助さんから読み始め、中学を卒業する頃には原民喜さん、峠三吉さんに辿りついていた。

整理していた父の残したレコードにこんな歌がある。

『死んだ女の子』  作 ナジム・ヒクメット 訳:中本信幸・服部伸六  作曲:外山雄三 編曲:近藤 進
高石友也フォーク・アルバム VOL.1。ライナーより引用
*********************************
以下引用

開けて頂戴 叩くのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしは叩くの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 十年前に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれてった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
甘い飴玉もしゃぶれないの
紙切れみたいに燃えたあたしは

戸を叩くのはあたしあたし
平和な世界にどうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
甘い飴玉をしゃぶれるように 

以上引用
********************************

父の残した古いノートや日記には、思考や思想についての記述もある。

資料引き無しの独断的な結論や、当時大学を席巻していた流行思想への傾倒や、今は形も無くなった空虚なユートピア主義を背景にするものや、単なる若い思い込みにも溢れてはいるけれど、それはその日に、父が思っていた事なのは間違いない。

父は最期まで、そんな事は一言も語らなかった。事実は事実として私の問いに答えてくれて、自分の思考とは分けて伝えてくれていた事が、今は判る。

知っていた、あるいは好きだったナジム・ヒクメットの詩に似た言葉を、七夕の短冊に書いた娘に、父はその時何を思ったのだろう。また少しずつ、父を読み続けていこうとも思う。

今の私に、こんな大きなテーマについて、何か書くだけの力も思考も、まだ無い。

だからせめてもう一度願っておくことにする。

「こどもが、しんじゃうような、せんそうがなくなりますように」


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