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2003/10/08(水) 処女はビデオカメラの前 で無くしました。
日記の日付が空いてしまった。書きたかった事はあったけど、書けなかった。元気でいようと思うのだけれど、気持が沈んでいる。私達に会えなかった母の心が私に流れ込んでくる。

父が死んだ後、母はよく一人でアルバムを見ていた。その頃は気が付かなかったのだけれど、母は毎日アルバムの中に遊びに行って、少しづつ帰って来なくなった。

今日開いたアルバムのページには、まだ詰襟で坊主頭の父がいて、父が育った遠い街の風景がある。「八景水谷」と書いて「はけみや」と読むその街は、大きな火山のある麓の県庁所在地の市にあった。そこで父は生まれ育ち、家庭的には恵まれない思春期を過ごした。

少し斜に構えて笑っている父。肩を組んでいる友達は、前歯が一本抜けていて、それでも大きな口を開いて笑っている。始めてこの写真を見た母に、父はどんな話をしたのだろう。アルバムを見ながら、まだ出会わない頃の話を、きっとニコニコ聞いていた。ちょっと照れながら、ちょっとはにかみながら、父はきっと話した。そんな柔らかな時間を過ごした二人のおかげで、今、私はここにいる。

そんなお話も、そんな時間も、もう増えないって判ってしまった時に、母はアルバムの中に行ってしまった。

去年、少し戻って来てくれて、この家で過ごした。私は女子高生だったけどもうソープ嬢で、、毎日帰りは夜中だったし、土日は殆んど出勤していた。せっかく戻って来てくれた母とゆっくり過ごす時間も持てず、母のそんな心を思いやるには、祖母は強すぎたし、弟と妹はまだ幼かった。そして、母はまた戻っていってしまった。

時々思う事がある。もし私が一緒に戦おうと母を誘っていたら、お家は無くなっていたかも知れないけど、母は居てくれたんじゃないかとも思う。私は市内の短大に通い、本当に居酒屋でバイトをしていて、母もお弁当屋さんかなんかでパートをしていて、暮らしていたような気もする。

明け方の夢で、私は母に、妹に、弟に汚い言葉を投げていた。どんなに自分が頑張って、どんなに自分が犠牲になって、暮らしを支えているのかを怒鳴っていた。すごい顔で、すごい声で怒鳴っていた。

今の暮らしを選んだのは、本当は私の我侭だ。お金の掛かる大学を諦められず、想い出のいっぱいあるお家に居たくて、一番楽で自分を高く売れる今の仕事を選んだ。その仕事で得られる収入が、結果としてみんなの暮らしも支えられる金額だったいう事を、ほんとうは私は知っている。

始めてセックスしたのは、アダルトビデオの仕事だった。そのいきさつは、途中まで書こうとして止まっているけど、私はカメラの前で処女じゃなくなった。私の身体を商品として最初に得たのはそのお金だった。それは高校生の私が、コンビニならシフトに入って一生懸命働いても、一年近くかかる金額だったし、私はきっと、それに味をしめた。ほんとうは・・・・・・・・。

ごめん。今日はもう寝ます。明日、今日の日記は消すかも。
朝起きたら、ちょっとはマシな私になっていますように。
こんなもの読ませてごめん。ありがとう。おやすみなさい。


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