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2004/08/09(月)
side A: 長崎 1945年8月9日 原爆
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その日、父方の祖母は家から離れ、早岐という町の親戚のお寺に疎開していた。
黒い雲に覆われてしまった長崎の町が、大変な事になっていると知り、親戚の制止も振り切って、両親と生まれたばかりの弟が待つはずの、お家に向かい、5日後にたどり着いた場所には、何も無くて、祖母は独りになった。
もし、その日、長崎でピカドンが光らなければ、恵まれた家庭でそのまま育ち、熊本の街で、「妾」と呼ばれる境遇になることは無かっただろうと、そして自分の人生も違ったものであっただろうと、父はずっと思っていたようだった。
偶然、私が原爆という事に興味を持っても祖母のことは、一言も父は語らなかった。
もちろん、幼い私には「妾」の意味も判らなかっただろうし、父が私生児だと言うことも、理解はできなかったと思う。
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画文集 第二楽章 長崎から」(講談社)
「帰り来ぬ夏の思い」 下田秀枝 より引用
炎の雨の降り注ぐ中 ぼくは母さん探しています
回りがだんだん 熱くなってくよ母さん ぼくのおうちは どこへいったの母さん さっきの話の 続きをしてよ母さん
母さん 母さん 母さん 早くここへ来て ぼくを抱いて もうじきぼくは もうぼくでなくなるよ
目を閉じて ごらんなさい 見えるでしょう 炎と灰に埋もれる街
聞こえるでしょう 母の子供のすすり泣き 帰り来ぬ夏の あの呪い あの思い
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毎年その時間に私は黙祷する。そして祈る。
失われたすべての魂に、今も苦しみを抱えて暮らす、すべての人に。
父の母である人に。
そして、もう二度と、ピカドンが光りませんように。
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