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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

直接移動: 20066 月  20059 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月  200311 10 9 月  200212 10 8 7 6 月 

2004/02/28(土) side A:同窓会
そのクラスの7回目の同窓会があった。会いたい笑顔もいくつかあって、毎年開催されてるその会に4年ぶりに参加した。

少し長くなっている顔が幾つもあって、吹き出しそうになる。童顔の頃の記憶しかないと、なんだか画像ソフトで縦に伸ばしたようなその顔達は、懐かしんだけど、おかしな感じがして、私もそうなのかなぁて、思わず化粧室に飛び込んで、鏡の中の自分の顔を見詰めてしまった。

今風に髪を染め、流行の服を着て、男の達もアクセを付け、メイクと判るメイクをした女の子達が居て、ちょっと背伸びをした級友たちがいる。

毎年参加していた人、久しぶりな人、それぞれ色んな話をしている。私は壁際で、懐かしく無い顔に、忘れていた子供っぽいわだかまりを思い出してしまったり、懐かしい顔に懐かしい思い出を重ねてみたりして、時間を過ごした。

声をかけてくれたみんなに言われた。

「ゆか、なんにも変わらないね!」

黒髪に近い真っ直ぐな髪、そしてメイクと判らない薄化粧は、その日も4人と性交してきた、ソープ嬢な私の、お客さんに一番受ける私なんだけど。

2004/02/27(金) side A:天国の隣の街
その街は天国の隣にありました。そこで暮らす人々は穏やかで、勤勉で優しく、お互いに助け合って平和に幸せに暮らしていました。そして、何よりも自分たちの街が天国の隣の街だという事を誇りにしていました。

でもその街はあまり豊かではありませんでした。冬は長く雪に閉ざされ、春は霞が街を覆い、長雨の季節が過ぎると、暑い、どうしようなく暑い夏が来ます。秋は駆け足でやってきて、収穫された穀物を冷たい雨で濡らし、そしてまた冬がきます。でも、その街は幸せに暮らしていました。

雪の季節に、一年で一番大きなお祭りがあります。遠い街から、天国へ行くことを許された人が来ます。天国の隣の街は、隣だから世界中で唯一天国へ行くことを許される人を選ぶ権利はありませんでした。でも、そのお祭りをすることが許された唯一の街だったのです。

今年のその人は、疲れきって街に着きました。そんな事は今までなかったので、街の人達は驚きました。
「選ばれた人なのにどうしたんだろう?」
今年のその人は、まだ若い男の人でした。亜麻色の髪は絹のように細く、目は湖のように深く蒼く、きりっと結んだ形の良い唇は、強い意志を感じさせるものでした。でも、疲れきっていて、病気のようでした。

「残念です。選ばれたのに、病気になってしまって」
街に着いた、その人はベット中で泣いていました。そして次の日には、死んでしまいました。

「祭りはどうするんだ?」
「せっかく準備をしたのに」

そうだ!誰かこの街で選んで、天国へ行かせれば、一石二鳥じゃないか!」

行きたい人を募ると、街の10分の1の人が手を挙げました。

「どうやって選ぶんだろう?」
天国へ行くことを許される人を選ぶ権利がその街には無かったので、どうしていいのか判りません。

結局、くじ引きで選ぶ事になって、選ばれた人はまだ幼い少女でした。

少女は、盛大な祭りに送られて天国へ向いました。
「どんなところかな、天国って?」

雪の道を少女は歩きます。
「きっと光に満ち、お花が咲き乱れる素敵なところなんだろうな!」

何日か歩いて、天国の門が遠くに見えてきました。大勢の豆粒のように見える人が少女を迎えてくれます。少女は小走りになって、全力疾走になって、門を目指します。でも走っても、走っても、人の姿がおおきくなりません。

足元に豆粒くらいの人が沢山いました。少女はちょっと戸惑って、挨拶をしました。
「こんにちは」

答えは無くて、門の上に備えてあった鉄砲が火を吹いて、少女の心臓を打ち抜きました。

「対策を考えなくてはな。」
「柔らかくて美味しかったが、量が足りない。去年の”天国へ来る男”が太った男でなかったら飢え死にするところだった」

神様と呼ばれる豆粒くらいの小さな人達が、相談したことなんて、美味しかったことしか憶えてもらえなかった少女が知る事はありませんでした。

2004/02/26(木) side :B 開脚しアップになる処女膜にゆっくりと挿入は始まる。
私は参加者のあいだを全裸で歩き、テーブルに乗って開脚し、しっかり広げて処女膜を見せてまわった。私に触れる事と個人での撮影は禁止されていた。

額に汗の粒を浮かせる太った人。遠近両用の眼鏡の、焦点を慌しく変えて、なんとかちゃんと見ようとする白髪をオールバックにした初老の人。腕組みをしてオペラグラスを取り出す、髭面の人。

ほとんどの人は、お金の掛かった服装をしていて、スーツが多い。そして、仮装用のマスクをしている姿が、なんだか可笑しい。「こっちこっち、こっちに向けて!」なんて、思わず声を出す人がいて、「ストリップじゃありませんよ」と、笑いながらたしなめられ、「おっ!その声は、○○さんじゃないですか?」と声が掛かって、会場が爆笑する。

参加者はみんな顔が判らないようにマスクを付けている。これは私が撮影の時に顔を晒さないで済み、そしてこのイベントでの違和感が無いようにと、プロデューサーの人が考えてくれた形でもあった。

テーブルに乗ってその行為を繰り返す。横にはプロデューサー役のあの人がいて、「ご祝儀もありですよ」と上手く話してくれる。私のバックだと設定してある小道具の通学カバンの口を開けて、財布から取り出すお金を受けていく。

一回りして、ステージに戻る。いよいよイベントの開始だ。シャンパンが抜かれて、乾杯をする。簡単なオードブルが壁際に並べられている。

「最初は、ポラロイド撮影の権利です!青い縁取りのビンゴをご用意ください。」参加費には、3枚のビンゴが付いている。3×3が一枚、5×5が二枚。ポラは3×3だ。番号が呼び上げられて、シャンパンの甘い香りと、アルコールの入った雰囲気が、会場を盛り上げていく。ポラの権利は3人だ。

一人目の人が、手を振りながら小さなステージに上がってくる。渡されたポラロイドを頭の上にのせて、おどけて見せる。オプションはタンポンだった。

撮影も始まる。私の足は、これ以上開けないという角度まで開脚して、すべてのカメラが処女膜をアップにする。それは左手の壁に積まれたモニター8個に映し出され、少し顔を傾けると私からも見える。ほとんどオナニーもしていなかったので、大陰唇さえ薄い唇の色で、クリトリス包皮から小陰唇は薄い桜色、そして広げられた処女膜とそれに繋がる膣前庭から内部は、キラキラ光るピンクがかった真珠色だった。

千円札中心のご祝儀が入ったカバンから私は、ジュニア用のタンポンを取り出す。包みを外して、足の間に当て、注意深く開口部に当てる。処女膜の中心に、ゆっくりとアプリケーターが吸い込まれていって、開口部が少し開き、襞がそれを押し包むのが見える。

処女膜はハッキリした膜状になっているわけではなくて、膣開口部を粘膜が覆い、それが襞状となっていて、裂け目のように開口している。それを割らないように、ゆっくり挿入する。ポラを持つ人の手は少し震えていて、ズボンの前が盛り上がっている。

フラッシュが光り、出て来たプリントを御約束のように、パタパタ振る。出て来た像を私に見せてくれたけど、ちょっとピントがボケていて、撮った人は残念そうで、何故か私も残念な気がした。

モニターにはアプリケーターを抜いた後のひもが出ている、私の処女膜がアップになっていて、少し濡れているのが恥かしかった。

2004/02/22(日) sideA:最初で最後のデート。/カメラの前で処女を無くした日(3)
その前の土曜日、私は男の子に会った。湘南電車の時間と、車両番号を決めて待ち合わせをした。同じ車両の東京寄りの端っこと、小田原寄りの端っこに乗る。あまり混んでいなかったので、彼が見える。ローカルな私の街では、駅で待ち合わせをすると誰かと出会う。それは私の初めてのデートだった。

告ッた訳でも、告ラレた訳でもなくて、中学の同級生で大船の進学校へ行った彼と偶然再会したのは、その頃興味のあったある資料を国会図書館へ調べ物に行った時だった。それから携帯番号とメアドを交換して、連絡を取っていた私達は、少しづつ近づいている気がしていた。

そんな頃父が自殺して、私の暮らしは大きく変わった。心配したその男の子は、メールで相談に乗ってくれたり、色々私を励ましてくれたけれど、心を閉ざしてしまった母に代わり、相続から法的な問題の実務を判らないながら、調べ調べ、親身になってくれた父の知人の弁護士さんとのやり取りに忙殺されて、少しづつ疎遠になっていった。

その頃の私は、急に世の中の様々な事に向かい合わなくてはならなくて、気持ち的にもイッパイイッパイで、当たり前なのだけど16才の男の子の子供っぽさが鼻についていなかったと言えば嘘になる。そして、背伸びをして、大人ぶっていた私が、見下す対象にしてしまっていた事も今なら判る。でも彼は、とっても優しかった。

中学の時から、彼氏と一緒に遊びに行く友達を横目に見ながら、学校と塾と海で私は過ごしていた。興味はもちろんあったし、何度かは告ラレた事もあったけど、なんとなく機会がなかったし、私の方から絶対付き合ってみたいって思う男の子は現れていなかった。

その日は、カーテンの陰に吊るしておいた照る照る坊主の効果が、あったのか無かったのか良く判らない、どんより曇った朝だった。そして寒かった。

突然の誘いに、すこし困惑しながらも、彼はOKしてくれた。ジーンズにするかパンツにするかずいぶん悩んで決めたその日のコーディネイトは、取って置きのYELLOW RUBY?で買ったミニスカにジップ付きのスウェットパーカーだったのだけれど、思い切り寒そうだった。でも、一番可愛く見えそうな気がして、そのまま出かけた。ストッキングを履こうとは思わない、まだ、いつも生足の高校生だった。

乗り換えた電車はゴトゴト走って、海辺の古い町へ向かう。隣に座って少し近況を話し、市街地を抜けて海が見えてきた頃から、自然に二人は手をつないでいた。空は曇り空のまんまで、沖に白波も立っている。

電車を降りて、大きなお宮まで歩いた。つないでいる手が温かくて、うれしかった。お参りをしてまた少し町を歩く。駅を抜けて海岸へ向かう。少し、冗談も言い合えるようになってきて、いい人なんだなぁ、って改めて思ったりもした。少し重いことも話した。少し涙ぐんでもしまった。彼はウンウンと聞いてくれて、励ましてくれた。

少し雲が切れて、海にお日様の光が何本ものラインになって射す。彼はカバンから、リボンのついた箱を取り出して私にくれた。中には小さなブルートパーズの石のついた、ネックレスが入っていて「え?」って尋ねる私に、「クリスマスにこれ渡して、告ろうって思っていたんだよ」って笑う。「あんまり力になれないけど、付き合ってください。」彼は、真面目な顔でそう言った。私は「ハイ」って言いそうになって、来週には誰か知らない人に処女を売って、それからビデオも発売されて、今の私は居なくなっちゃうことを思い出して。そしてその事を全部話したくなって、もう一度彼の顔をみた。

陽射しに映える彼の頬は、産毛がきれいに光っていて、髭はほとんど見えなかった。今日が始まりで、今で終わり。でも、何にも無かったよりは良かった。

彼の胸に顔を埋めて少し泣いた。少し泣いてから、ありがとうって言って、また連絡するね、って言った。キスしたかった。でも彼はほっぺたに軽くキスして、待ってるねといって、二人は駅へ向かってまた歩いた。

「連絡するね」の約束は、守られる事は無く、次の週、私は処女を売り、2ヶ月後からカラダを売るようになって、3年経った今はソープ嬢として毎日何人ものお客さんと交わって暮らしている。何度も来たメールに返事は出していないし、電話は取らなかった。何度か、町で出合った時は、目礼だけをしてすれ違った。でも、去年の誕生日にもクリスマスにも、メールは届いた。

ゴメンね。そしてありがとう。

「待っているね」の約束も、もう遠い。遠すぎるから、大切に残っているような気がする。

イベントの日、大げさなファンファーレが鳴って、私の処女を買う人を決めるビンゴが始まった時、最初で最後の私のデートの日の事が、頭の中に鮮明に甦った事を思い出した。

2004/02/21(土) sideB:カメラの前で処女を無くした日(2)
処女を無くしたのは、ある企画物の裏ビデオで、処女膜のアップから始まり、指でゆっくり処女膜の開口部を広げ、限界まで何度も試すという、オープニングだった。と書くと、この日記を読んでいる人にも「あっ、あれか!」と思い当たるマニアの方は少なくないかも知れない。と言うかUGでありながらオリジナルでかなりの量が売れた。

ちょっとしたきっかけで、私はある人に、出来るだけ高く処女を売って欲しいと依頼する機会に恵まれた。何度か打ち合わせをして、何度も後悔しないかと確かめられて、その企画は進んでいった。

最初にその人と話したとき、私達家族は金銭的に追い詰められていて、売れそうな物は私のカラダ以外には見あたらなかった。でも私はまだ処女で、アダルトビデオのモデル勧誘の偶然の出会いから、処女を売る話は進んでいった。

その朝私は家を出て、スタッフに迎えられて、指定のホテルの部屋に入った。一ヶ月前に美容整形で抜いた無駄毛の後が完全に落ち着いてツルンとしている私のカラダを、淡い柑橘系の香りのするボディーソープで何度も何度も洗った。

車で美容室へ移動して、同じ香りのシャンプーとコンデショナーで髪を洗い、少しカットして耳の後ろと、下の毛に軽くプチサンボンの香りをつけた。「この肌ならファンデーションもドーランも無しの方が映えるかもね。リアルで。」カメラ越しに見ていたカメラマンらしい人が言う。「一応テストをしよう。」

私は服を脱いで、全裸になり注文通りのポーズで動く。「メインの場所の発色はどうかな?」開脚して、思い切り両手で大陰唇を開く。「おぉ、いい色だね。ってこんなアップで処女膜見るのは初めてだけど。」その部屋にいた全員が、わははと笑い、私はえへへと思わず照れた。そしてこの和やかな雰囲気に感謝した。

ホテルに戻って、オープニングのアップの部分を撮影し、「やり直しは効かないからなぁ」と、録画を全部確認してから、私達全員は、イベント会場へ向かった。

あるクラブで行われた撮影は、仮装パーティー形式で公開され、高額の料金を払った参加者の前に、DJの紹介で、どこのか判らないセーラー服で登場した私は、紺のラルフのハイソックスにコインローファーを履いていた。その時は素顔だった。会場からは拍手が起き、深々とお辞儀をする私にスポットライトが当たる。顔を上げて、「よろしくお願いします。」と言うと、もう一度大きな拍手と歓声が上がった。

約束だった目の部分を隠す、仮装用の装具を着ける。ちょっとブーイングも起こったけれど、一瞬だった。拍手の中で、私はまずショーツを取った。短いスカートでちょうど中腰になる位置に置かれた籠のなかに置く。次にセーラー服を脱ぎブラを取る。BGMが鳴っているのに、誰かのゴクリと生唾を飲む音がハッキリ聞こえたのを憶えている。カラダがカッっと熱くなってきて、目がかすむ。スカートを取って、全裸になった私に、みんなの視線が突き刺さる感じがする。そんな風に、私の処女を売るイベントは、進んでいった。

2004/02/20(金) side A 女の闘い? キャンセルと空予約 
木曜日の私は、日記を書いてからお仕事に来た。全部本指名で埋まっていて、ほっとする。2本勤めてお上がりコールのインターフォンを取ると、「次はキャンセルで〜す」と間延びした新人ボーイさんの声がした。

ソープでキャンセルしても別にフィーは掛からない。私の店のシステムだと、予約時間の前の決められた時間に、来店確認の電話を、もう一度お客さんがすることになっていて、その電話がないと自動的にキャンセルになる。そして忙しい時期ならフリーさんが付くこともあるし、キャンセル待ちのお客さんが入ることもある。

最初の頃は、キャンセル待ちのお客さんって、正直理解できなかった。人気の部屋持ちのおねぇさんの予約は、受付時間すぐに一杯になる。その中で、常連さんではないネット予約の時間帯を中心に、キャンセル待ちのお客さんが入る。つまり、予約のお客さんが予定通り来ると、何もしないで帰っていく。なんじゃそりゃ?

控室から、ボーナス時期や、連休時期とか、お誕生日ウイークとか週末とかの日にもし予約が一杯でもキャンセル待ちを、お客さんに電話で頼んでいるおねぇさんを何度も見かけて、これも最初はどう言う事なのか判らなかった。

仲のいいおねぇさんと二人きりになった時に尋ねてみた。
「あっ、それはね空予約対策なんだよ」「空予約って?」
おねぇさんは丁寧に教えてくれた。

一言で言えば、「空予約」は「嫌がらせ」だ。店外とかを頼んで断られたり、個室で行き違いがあったり、気に入って通っているのに、女の子との関係がソープ嬢とお客さんから進展しなくて逆切れしたりして、入る気もないのに予約を入れる。そして確認電話までしてから実際には来ない。混んでいる時期でも、これをやられると、写真指名店だと、部屋待ちのお客さんから優先で入ることが多いから、たいていの場合、その時間帯はお茶を挽く。或いは、女の子同士の確執から、自分の常連さんに頼んで、相手の女の子に空予約を入れてもらう場合さえあるって言う。

「そうなんだ〜。」「って私はしないけど、ターゲットにされた事はあるよ。」っておねぇさんは笑う。「まぁ、キャンセル待ちを見返り無しで頼めるお客さんがいるっていうのは、財産だしね。」

もちろん、女の子に会いたくて会いたくて、一日犠牲にしてでも、キャンセル待ちにかけるお客さんもいるらしいけど、それはそれでストーカー候補として危ない。その頃の私は、そんなのことに思いは及んでいなくて、ただただ毎日個室で勤めていた。そんな話を聞いても何だか、よその話みたいで、ピンときてはいなかった。

今のお店では、前のお店の常連さんもかなり連れてくることが出来て、私には2ヶ月目からナンバーがついた。そして4ヶ月目には部屋持ちになった。頭は低くしていたつもりだったけど、その頃から空予約が入るようになって、「あぁ、これなんだ」って苦笑いをしたことがある。それまで以上に、時間前や来客待ちの時間に控室で片付けをしたり、お菓子を持っていったり、お茶を入れたりしていたら、何時の間にか空予約は無くなっていって、もう一度苦笑いをした。

「何か悪いことしたかなぁ」って思いながら、フロントに回ると、マネージャーが伝言の紙を渡す。
「会社関係の通夜があるのでキャンセルしてしまいました。すいません。」そこには、長い常連さんの「***の鈴木です。」と、丁寧にフロントは知らない本当の勤務先名まで添えてあって、しかたない事情だって判って安心する。

帰りに寄ったコンビニは、雛祭りとホワイトデイの飾り付けになっていて、全体が淡い春色になっている。その色に誘われて、いちごのムースとモーニングを買ってからお家に帰った。

2004/02/19(木) sideA:洗濯日和  
ベランダから富士山がきれいに見える。朝早く目が覚めて、まだ誰も起きていなかったので、久しぶりに煮干で出汁をとる。父が好きだった香りが、キッチンに満ちて、音のしないように雨戸を開くと随分北向きへの陰の短くなった朝日が差し込んできた。

庭では椿が少しづつ色を落としていて、一昨日吹いた強い風で、いくつかは花が落ちている。水仙はもう新しい花芽は無く、色を表し始めたチューリップと、早咲きのデュラスが春のような風と陽射しの中でゆっくり揺れていた。

ホテルで買ってきたお味噌は少し甘口で、今日は豆腐とワカメっていう一番ありがちな具にしてみる。時間を見計らって干物を焼き始めると、おばぁちゃんが起きてきて、「ゆっくりしなさいよ」って言ってくれる。弟と妹も食卓につく。ブラジャーを着けていない妹の乳房が、パジャマのボタンの間から見えてドキリとした。乳首の色は淡く、乳房はもう充分に女で、私が今の暮らしを始めた頃より豊かだ。

学校へ送り出し、おばぁちゃんではもう手に余る、布団を干しシーツを洗う。少し花粉症のある妹の布団は、二階のガラス窓越しに干しておく。パンパンと叩いてみると若い女の子の甘い香りがして、私が自分を売った年齢に、妹が近づいていることに少し困惑する心がある。

ベランダの、道から見えるフラワーボックスには、冬を越えた桜草とノースポールが寄せ植えされている。桜草にはもう新しい花芽はなくて、暖かい光にどんどん育ってきているノースポールが、フラワーボックス全体を覆おうとしている。

籐椅子にすわり、紅茶を入れて本を読む。少しうたた寝をした。ゆったりした時間の中で、夢を見て、夢が覚め、苦笑いをした。

今日は3時からラス前まで働く。どうぞいい日でありますように。行って来ます。

2004/02/18(水) ♪どこでもFUCK、パートU♪
ソファーに座って、お客さんはありがちに、ソルティードックをドライで頼む。私はXYZにレモンハートデメララかロンリコの151を2mmフロートでオーダーする。ウエイターのお兄さんは、一瞬「へッ?」て表情を見せたけど、かしこまりましたとカウンターへ戻って、バーテンさんへオーダーを伝える。「うわっ!」って表情で棚を探し、カウンターの下をかき回して、封の開いてない瓶を取り出し、視線を投げていた私と目が合って、ニヤリと笑う。

きれいに琥珀色のラムがフロートされたそのカクテルは、75度を超えるアルコールがまず舌を焼いて、さっぱりしたXYZの香りと味が、ラムの強烈な印象を追って広がるお気に入りだ。昼間、あれほどピーカンだった空から、細かい細かい粉雪が落ちてきて、ラウンジの窓越しの、角の尖った屋根から落ちた雪たちを、見る見るふんわりと包んでゆく。

「明日も少し滑るか。新雪も降っているしな。」「ほんと?!うれしい!」

ほんとうに嬉しかった。ちょっと、グラスを上げて小首をかしげて、お客さんに感謝を込めて微笑みかける。二口目を飲もうと口を付けようとしたとき、お客さんは、私の膣に挿入し、クリトリスを包んでいるリモートバイブのスイッチを押した。ピクンと身体が反応してしまい、震えてしまった手に握ったグラスの中のお酒は混じってしまってフロートでは無くなってしまい、一気に飲んでしまったけど、もう美味しくはなかった。

昨日と違ったのは、ジャグジーに小学校低学年の子供を二人連れた家族がいて、さすがにこちらも水着の下は脱がずに、またの部分をずらして、後ろから挿入した。私たちはその家族から「ほんとはダメなんでしょうが、ここで食べると美味いんですよ。」と、みかんをもらい、「いえいえ私たちも」と、ヴーヴ・クリコを開けて、家族に薦めてみたが、母親はアルコールがまったくダメだと、父親だけが受け取る。幸せそうな家族と、お客さんと、私は、シャンパンとみかんで乾杯した。

浮き輪で泳いでくる女の子の手を取って、クルリンと回すと、嬉しそうに笑っている。そしてまたこちらに向かってきて私はまたクルリンと回す。男の子はジャグジーの横に積んだ雪で何かを作っていて、時々持ち上げて私にも見せて、にっこり笑う。「おじゃましちゃいけませんよ」と優しい声で母親が声をかける。女の子は父親のところへ泳いでいき、膝にすわる。「おねちゃんと同じだね!」と私に言う。私もお客さんの膝に乗っていて、ペニスが膣に入っているところだけが違っていた。

次の日、1時過ぎまで思い切り滑った。でも、平日で空いていたゴンドラの中でも挿入した。そして最後の一本は、昨日からお客さんがお気に入りのリモートバイブを突っ込んで、滑った。私を先に滑らせて、近づいてきては最強レベルでスイッチを押す。グッと腰が引けてしまって危うくバランスを崩しそうになるのを、楽しんでいるのが判る。お客さんは私に嫌われるのが少しも怖くない。私は、お客さんに嫌われて、大口の指名や外出が無くなってしまうのが少し怖い。嫌われない程度に私は逃げて、転倒すると危ない場所では、お客さんはスイッチを押さない。微妙なバランスと、微妙な約束事で二人は一緒の時間を過ごす。

帰りの高速は渋滞も無く1本分ちょっとの時間を残して、お店に戻った。部屋が空いていたので、お客さんはお風呂に入り、要望通りくぐり椅子を、マットを、そしてベッドも勤めた。ちょっと筋肉が痛い。そして、「また誘うな」と、笑って帰っていった。私は丁寧にお辞儀をしていつものように送った。

控え室にスキー場のマーク入りクッキーを置き、フロントには人数分の会津の生酒二合ビンと店長用の五号ビンを置いて店を出た。急に「友達」と福島県へスノーボードに行くことになった私は、ホテルで買った美味しいお味噌と、SAで買った柏屋の薄皮小饅頭をお土産にお家に帰る。

明日からは、個室でまた頑張ろう。

2004/02/17(火) sideA :父の走った道(2) 
郊外の風景が続く。もっともっと田舎だと思い込んでいた阿蘇への道は、藤沢から大磯へ抜ける1号線より、よっぽど町が繋がっている。郊外型の色々なチェーン店があって、飲食店があって、でもそれは道沿いだけで、奥は無い。

父の言葉をそのまま書くと、「街で二番目だと思われていた、古めかしい名前の進学校」に入学した。最難関の高校でも合格は可能だったが、私学へ行く費用はもう残っていなくて、安全策を取って受験し、合格した。仲の良かった同級生も幾人か合格して、肩を抱き合って喜ぶ、写真が残っている。

中学に入る前、八景水谷の家は売却し、何故か同じ町の賃貸住宅で祖母と父は暮らしていた。豪邸では無いが瀟洒な贅を尽くしたその家は、ある意味「妾の家」に相応しく、いくら頭を低くして暮らしても、周りの目は決して好意的では無かった。

それでも祖父が通っていた頃は、多少の遠慮が、いや、祖父に対しての畏怖があからさまな蔑視の目を遮っていたが、「妾」から「見捨てられた妾」になった時、もう遠慮は何処にも無くなっていった。

街が切れ、大津の町を過ぎ外輪山の切れ目を抜けると、阿蘇山が正面に迫って来た。煙を吐く姿はあまりにも絵葉書通りで、クスッと笑ってしまう。父はこの道を何度もバイクで走った。小学生の時から新聞配達を始め、短時間で稼ぎが多いとの理由で、まだ集合郵便受けなんて無くて、エレベーターの無い5階建ての建物が並ぶ団地を受け持ち、階段を駆け上って駆け下り、玄関ドアに新聞を配った。その団地で、より稼ぎのいい牛乳屋の大将に声を掛けられて牛乳配達に変わり、16才で自動二輪の免許を取って、18才の誕生日には自動車の仮免許の試験を受けていた。「足が丈夫で早いのは、団地のおかげだよ」とよく笑って話していたっけ。

ヤカンタンクのCB400Tが最初のバイクだった。17才になって手に入れたそのバイクと一緒に父は少しだけはめを外した。祖母と一緒に肩を寄せ合って、家計を助け、勉強も怠らず、気持が悪いくらいイイ子な父が、草千里を背景にショートホープを咥えて、笑っている。一見して判る随分年上の水商売の女性がいて、二人は身体を絡めていて性的な香りがする。そして、その頃の手帳の日付けの幾つかには「S」と書いてあって「MY」とか「KH」とかホテルやモーテルらしい暗号がついていて、恐らく性交した日が記録してある。今の私には判る。

火山博物館はもう閉館時間を過ぎていて、父の写真にも写り込んでいた、観光乗馬用の馬もいない。閉店の準備に忙しい土産物屋で、煮詰まったコーヒーとレタスのしおれたホットドックを買った。おばさんはその二つをじっと見つめて、「半額でいいわ」と笑った。私は「ありがとう」と笑った。

外輪山にまだ夕日はかかっていなくて、時計を見て、私の住む町とは日没時間が一時間近く違うんだなぁなんて、間抜けな事を考える。苦いって言うより、煎じ薬みたいなコーヒーに、今日は砂糖とミルクも入れて、ホットドックにかぶりつく。ススキの穂は枯れていて、ザッと吹く風はもう冷たい。

もう少し私は走る。走り続けられるだけは走る。

雨が少し落ちてきて、見上げる空の雲は早い。もう少し走ろう。

2004/02/16(月) sideA :二日遅れのバレンタインチョコー
久しぶりに箱を開けてみる。妹に譲った物も多かったけれど、今でも大切にしている着せ替え人形がある。
最初は誕生日に白いレースの付いた綺麗なドレスを着た「私」を買ってもらった。独りぽっちの「私」は、背景のつもりの絵本の森の中で遊び、畳の縁の道を散歩して、広告の紙で折った船で廊下の河を渡り、お風呂の海にそのまま浮かべていまい、色が流れ出して母に叱られ、そして純白だったお人形のドレスはまだら模様になってしまって、ぽろぽろ涙が止まらないまま、一生懸命何度も洗った。
まだらは少し薄くなったけど、ドレスは古びてしまって、それを着た「私」はもうお姫様にはなれないんだと、悲しかった。

お掃除をして、お茶碗を洗って、靴下と下着だけだけど洗濯物を畳んだ。いつもよりいっぱいお手伝いをして、コイン一個のお小遣いを貯めた。でもドレスは高くて、「私」はずっとまだらの古ぼけたドレスで暮らしていた。

ある日勉強机に、お裁縫道具と布が置いてあった。それまでの私は、お洋服は買うものだと思っていた。簡単な型紙と使い込んだ子供用のお裁縫の本も一緒に置いてあって、私は初めて針に糸を通し、布を型紙に置いてそのまま切ろうとして、型紙まで切ってしまい、セロテープで修理してから本を読み直して、ちゃこで当りを取り、線を引くことを学んだ。

3日かかって出来上がったお洋服は、簡単なワンピースだった。縫い目は飛び、横の線もでこぼこだったけど、それを「私」に着せて、ポーズを取らせてみると、なんだかとっても素敵に見えた。嬉しくって、嬉しくって、母に見てもらいに台所までかけていく。目を細めてくれた母は、箪笥から同じ柄の私のワンピースを持ってきて、着せてくれた。私と「私」は、一緒になった。

着せ替え人形を持ち寄ってお友達と遊ぶようになっても、「私」はいつも手作りの服を着ていた。母に教わりながら、難しいダーツを取り、ドレープだって出せるようになっていた。テーブルや、椅子は父が作ってくれた。お店で買ったのは、レンジだったり食器だったりと、ちょっと自分では作れないものだけだった。私は、お姫様にも、ハイジにも、魔女にだってなって、遊んだ。

箱の奥には、大きさは合っていないけど、今住んでいる家の模型がある。屋根も壁も一部外せるその模型で、私たち家族はいろんな暮らしを語り合った。少しづつで来ていく本当の家を見ながら、私たち家族はたくさんのお話をした。

取り出したその模型の居間に、父の役だった、私が作った熊の縫いぐるみを置いてみる。「私」にはもう色も変わってしまった最初のワンピースを着せてみた。二人だけのその家で、私たちはお話をする。

「残り物で悪いけどチョコレートどうぞ!」

この一週間で、私は18個のチョコレートをお客さんに渡した。そして18人の男に抱かれた。

でも食べてね、私のチョコレート。そして私を見ていてください。




2004/02/15(日) SIDE B 「太いバイブは要注意」あるいは「ぽっかり開いた穴」
目が覚めた時、お客さんはまだ眠っていた。空調の設定温度を少し高めにしてあったので、私はお腹に毛布を掛けただけで眠っていて、お客さんは完全に全裸で眠っている。部屋が乾燥してしまうので、バスタブに少しづつ流しておいたお湯を止めて、少しだけ浸かる。シャワーで髪も洗って、窓際のソファーに座りカーテンを開けて見上げる空は、この季節には珍しいピーカンだ。最上階の部屋からは、猫魔ケ岳が右正面に見えていて、ゲレンデが白いリボンのように中腹からかかっている。
昨日お客さんは眠るまでに3回イッて、夜明けに眠っていた私にコケシ型バイブを突っ込み、別に持ってきたクリトリスを吸引しながら振動で攻める道具で遊んだ。頭を振って私の膣の中をかき回し、ボールがビッシリ入った胴の部分が回転して、膣壁をねじる様な動きをするこけしと、クリトリスを直接震わせる二つの器具は、快感というより機械的な作用で強制的に私をイカせる。手を伸ばして、お客さんのペニスに触れようとしても腰を引かれて、振動や回転の速度や強さを変えて何度も何度も私をイカせる。汗が滴り落ちて、お客さんが興奮しているのが判る。

いきなり抜かれて、私の股間でデジカメのフラッシュが光る。見せられた小さな画面には、吸引されて充血したクリトリスは、赤ん坊の小指ほどにも勃起していて、太いバイブで掻き回された膣は、閉じきれずに奥まで写っている。ぽっかり開いたその場所は、なんだか間抜けで、笑いがこみ上げてきてしまった。足を閉じてみても、間抜けに開いた感覚の残る私の膣は、脳ミソまでトンネルのように繋がっている気もして、今の私にはお似合いだとも思う。でもこれからは禁止事項にすることにした。太いバイブは。

カービングを履くお客さんと、ゴーグルと靴下は買ってもらい、それ以外はレンタルの道具で揃えた私はゴンドラに乗る。週中の祭日は思いの外空いていて、お約束のようにフェラをしながらゴンドラは山頂に向かう。もう一本リフトに乗って、二人はまず中級コースをすべる。お客さんは少し板を振る癖が残っているけど、上手くこぶも扱って、思っていたよりきれいに滑る。私は、足慣らしに幾つかのギャップを飛ぶ。そして圧雪されていないバーンに飛び込み、ちょっと重心を後ろにうつして、パウダースノーが舞い上がるのを楽しむ。そのまま、約4k近い距離を、前になり、後ろになり、軌跡を交差しながら休みなしに滑る。

最後のちょっとした急斜面でお客さんはバランスを崩しかけ、でもなんとか持ち直してスキーセンターの横まで滑り込む。
「なかなかやるなぁ。本人がスノボ好きだという店の女の子を連れてきて、ほんとに俺と一緒のコースを滑ったのは、**ちゃんが初めてだよ。」
「私けっこう正直だよ。趣味とか好きなものとかもマンマだし」
ゴーグルを外したお客さんの顔は、いつもと違ってちゃんと人の顔をしている。そうだよね。人なんだよね。いつもお客さんじゃないんだよね。

それから私たちは、体育会の合宿のように、短い昼食以外ただただ滑った。怪我が怖いのでパイプやパークは諦めたけど、全部のゲレンデを滑りつくし、林間にも入り込んで、完全な新雪を楽しんだ。

「私初めてだったよ、一日ピーカンでしかもパウダーで滑ったのは。」「そういえば俺もだな。」
夕食のテーブルを挟んで話をする。気持ちがすこし弾んでいる。楽しかった。

食事が終わって、部屋に戻ると鞄から新しいバイブが取り出された。
「入れた後、このベルトで落ちないように固定してこっちのリモコンで動くんだ。」

私は、そのバイブを挿入して固定し、ミニスカートを履いて二人はバーに向かった。ポケットでスイッチを押すと、振動が始まり私は声が出そうになる。「面白いだろ?」

買われた私の、夜が始まる。

2004/02/14(土) SIDE B 「どこでもFUCK byどらえもん(笑)」或いは「セックスドール」
このお客さんに限らず、貸切や外出の時は、思わぬ場所やシュチエーションで挿入を求められて、最初は驚いた。個室では、まるで恋人に求めるような交わりを求めるお客さんも、別人であることが多い。勿論、それはソープ嬢みんなに言えることでは無くて、私だからかも知れないのだが。

身体に無理が無い限り、私は性的なトライアルを何でも受ける。但し身体に傷が残るM系とアナルやスカトロ、顔が判る撮影は完全NGで、それは外出の前にハッキリ言っている。

お客さんが用意していた水着は、ほとんど紐に小さな布が付いているだけで、さすがにトイレで下の毛を手入れしなければならなかった。剃る訳にはいかないので、ちょっと時間がかかってしまう。お客さんはそのあたりは鷹揚で、バスルームで私の股間を、煙草を吸いながら飽きもせずに眺めていた。

バスロープを羽織って、プールに行く。このホテルのプールは25mの室内プールに、屋外プールが繋がっていて、その先に雪の壁に囲まれたジャグジーがある。もちろんすべて温水だ。横にあるフィットネスと卓球コーナーには、まだ人が沢山いて、裸同然の私とお客さんがプールサイドを歩いて行くのを目で追うのが判る。突然お客さんは肩から手を回して、乳房をつかみ、揉みはじめ、休息用のベンチとマッサージ椅子が全部埋まっている正面で、今度は下から乳房を揉みながらディープキスをする。目を逸らす家族連れ、思わず乗り出す若者、目を丸くして驚くカップルの女の子を尻目に、私達はドアを開けて屋外のジャグジーに向かう。

家族で来た時にもこのジャグジーで遊んだ。妹と弟は、雪の壁に身体を押し付けて、形がつくのを見てはしゃぎ、ぶるぶる身体を震わせて飛び込んで父に叱られたっけ。私はまだ中学生で、伸ばし始めた髪をカッチンで止めて、雪で遊びたい気持を抑えて大人の振りをしてジャグジーで身体をほぐしていたっけ。
大きなボタン雪が舞っていて、タオルで受けたその雪は、一つ一つが雪の結晶の形そのままに、手をつなぎ合って空から落ちて来る。妹と弟も私が見せるその姿に驚いて、いくつもいくつも雪を受け、こっちの方がカッコいいとか、こっちはすごく大きいねとか、飽きもせずに眺めていた。父と母は、寄り添って、きっと手を繋いで私達を見ていた。ゲレンデの方からは、圧雪車の音とヘッドライトの光が時々届いて来て、長い時間、私達家族はそこで時間を過ごした。

御邪魔しますね、と先客に声をかけてジャグジーに入ると、お客さんは私に足を開かせて、噴出口に座わらせる。膣の中に気泡が吹き込んで、「気持悪いよ」って言うと、「良くはないんだ」とわははと笑う。向かいに入っていた、中年同士のカップルが私達の関係を測りかねて、怪訝な表情になっている。遠慮はまったく無しに、私を後ろから抱いて、水着の中に手を入れてくる。水の中だから見えはしないが、何をしているか判らないはずは無い。すこし、クリトリスで遊んでから、指を入れてゆっくり中をかき回す。私もお客さんの水着の中に手を入れて、カリの部分から、裏スジをゆっくり撫で上げて、少しずつグラインドを始める。「そろそろ、お部屋に戻ろうか?」おばさんが上ずった声でいい、「そうだね。」と不自然に明るい声でおじさんが応えて、「失礼」と急ぎ足でプールへ戻っていく。おじさんは勃起していた。

「このままでいいじゃない」とお客さんは言うけど、私は水着のトップからコンドームを取り出して、潜望鏡の状態で装着する。ちょっと残念そうだけど、それは譲れない。そのかわり、喉の奥まで含んであげて、喉全体を動かしながら、舌で舐め上げ、根元は両手で細かくグラインドしながら思い切り吸って、離して、そして頭を振りはじめる。見る見るペニスは脈打ち始め、水着の下は自分で脱いで、膝に乗って腰を振る。足をついて、左手でお客さんの首を抱き右手は根元に沿えて、腰を大きく上下していると私もスイッチが入って、お客さんはたまらず放出した。

すこしぼーっとしていると、雲が切れてきて傘をさした月が見え、流れる雲に星が顔を出し、澄んだ大気に蒼くまたたく。ほんの5年。1865日。私は14から19になり、あの日家族で笑いあった場所で男と交わる。お金を得て、そして快感も得ている。

14歳の私が、父と手を繋いでそこに居る。困ったような、悲しそうな、少し責めるような目で今の私を見る14歳の私。父は、空を見ていて、わたしを見ない。こっちを見てよって、声を掛けても空を見つづけている。手を伸ばそうとしたときに股間に違和感を憶えて目が覚めた。

「約束内だよね」
眠っていた私の股間にバイブを突っ込んで、お客さんは自分でペニスをしごいていた。時刻は3時。

朝までには、そして買われた時間が終わるまでには、まだまだ時間がある。

2004/02/13(金) SIDE B 雪の中でのSEX 
日記を書き始めてすぐに間を開けてしまって、またご心配頂いてしまった。ごめんなさい。

火曜日に出勤した時、店長に貸切の相談をされた。丸2日。以前この日記で熱海の桜ヶ丘茶寮へ貸切で行った事を書いた、あのお客さんだ。お店を移ってからも指名は続いていて、貸切も10回以上になる。10日は祭日なので、出来れば受けたくなかったのだが、行き先がスキー場だと言うので、心が動いた。場所を聞いて、また振られたんだなって判る。少なくても私と行きたくて取った予約では無い。
「スノボも出来るから、半日分カットしてやれる?」
珍しく店長が値引きを口に出す。
「地区長はOKなんですか?」
「OKだ。店に出れば予約は埋まるだろうが、ちょっと予算も厳しいんで、部屋を**ちゃんが空けてくれると助かるんだよ」
年が明けて、2月の声を聞く頃からお店は暇になる。今のところ、私は出勤時間は、ほぼ埋まっているけど、指名の少ない女の子は、バレンタインの前後の休日は、数少ないフリーさんで稼げる日だ。そんな時に私が貸切で部屋を空ければ、その分お店の売上はプラスになる。

結局割引料金で9日の19時から11日の22時までの外出が決まった。お店には、大卒初任給の2ヶ月分くらいのお金が入る。そして私は土曜日に妹と弟を連れて母の見舞いに行ける。自分の板を持って行けないのが少し残念だった。

首都高は何故か空いていて、東北道に入るまでに1時間もかからなかった。佐野のサービスエリアでひと休みして、お客さんは「これが美味いんだよ。」って言いながら山芋の漬物を買う。そんな物食べなくても、お客さんの夜はいつも元気だ。

郡山JCの前あたりから、道の両側に雪が残っている。磐越道に入ってトンネルを3本抜けると、雪の壁が出来ていた。猪苗代インターを降りると、道は完全な圧雪面になっていて、スタッドレスを履いているお客さんの車もグッと速度を落とす。時刻は22時をまわっていて、ホテルの夕食にはもう間に合わないので、デニーズの駐車場に車を入れようとすると、真新しいVOLVO XC70が目を惹くようで、窓際にいる何組かの若いグループが、目で追って首が動くのが可笑しい。

軽く食事をしてから山道を登る。お客さんの手は、私の足の間をまさぐっていて、私はジッパーの間から突き出したお客さんのペニスをゆっくりしごいている。デニーズのトイレで脱ぐように言われたので、ミニスカートの下には何も履いていない。後続車はたまに現れて、左に寄るお客さんの車を追い越し、対向車は一瞬光を投げてすれ違っていく。40K以下の速度で、車は走って行く。何ヶ所目かのチェーン脱着用の場所の奥に車は止まる。雪の壁に囲まれたその場所は、ほんの少しだけ道から見える。頭を軽く抑えられて、軽く尿の味のするペニスをほおばる。グラインドしだすと、すぐに波打ち始めて、予め教えられていた場所から取り出したコンドームを、口で装着する。そして、すこしリクライニングしたシートを跨いで、お客さんを私に導く。そして腰をゆっくり回す。何台かのヘッドライトが、ブラジャーを上に押し上げられた私の胸と顔を照らし、そのたびに、お客さんの亀頭が一回り大きくなるのが判る。少し止めて、また腰を回し、蠕動を感じるとまた止める。

ヒーターのせいでは無くて、二人がうっすら汗をかいて来た時、お客さんは腰を引いて私から離れ、ドアをあけて外に出る。私もお約束のように、外に出てボンネットに手をついて腰を突き出す。短いスカートなので、ほとんどお尻は見えていて、充血して少しふくらんでいる場所も見えているはずだ。指で濡れているのを確かめてから後ろから入ってきたお客さんは、ゆっくり腰を動かし、車が通りかかると大きく腰を動かし、そして私の胸を強く大きく揉みしだく。5分ほど続けて、さすがに身体が冷えてきた頃、お客さんは動きを速めて、ちょうど除雪車が通りかかった時、大きな声を上げて果てた。抜いたばかりでまだ火照っている場所に、地吹雪の雪が吹き付けて、ちょっと痛かった。

10分程走って、ホテルが見えてくる。雪の中に光を散らし、幻のようにも見える。ほんの5年前、私達家族は、父の車でここに来た。そしてそれは最後の贅沢な家族旅行だった。勿論そんなことは一言も口にせず、「素敵なところねぇっ!」って私は、はしゃぐ。今日は、そして明日まで、私は何度お客さんと交わるんだろうなぁ、なんて思いながら、フロントから駆け寄って来たベルボーイさんのエスコートで、ロビーに入る。正面の暖炉はもう埋もれ火になっていて、ぼんやりした暖かさが、なんだか今の私にはお似合いな気がした。

2004/02/08(日) side A:父の走った道
バイクを降りて、八景水谷の街を歩く。あまり残っていないこの街での父の写真を頼りに、堀川の駅、菅原神社、そして八景水谷公園を巡る。父の死後初めて知った、その頃住んでいた場所にも行ってみる。

父は私生児だった。私生児だったが幼い頃は3人家族で暮らしていた。でも、認知は最後までされなかった。取り寄せた戸籍の「父」の欄は空白で、私には父方の祖父は存在しない。戸籍上は。
最初から一緒に暮らしていなければ、父の思いはまた違ったものになった気がする。祖父に抱かれ、手を引かれ、肩車をされた父の写真がある。でも、受験の時に取り寄せた戸籍謄本に、その祖父の名前は無い。その事実を受け止めた時の父の心は想像に余りある。

富裕だった祖父は、幾ばくかの金銭を置いて、祖母と父を切り捨てた。置き去りにされた、祖父から与えられた大切だったおもちゃや、自転車や晴れ着は捨て去る事が出来ても、笑顔や時や思い出達を持て余して暮らす、二人暮しが始まったのは父が小学校の3年生の時だった。そして確かに過ごしたはずの家族の日々も、最初から認められていなかった子だという事実のために、父の中では反転していった。

写真の中では砂利の道も、今はアスファルトに被われている。写真の中にあった父の家は、もう無くて、そして住所さえもう無かった。尋ねて行ったその場所には瀟洒な洋館が建っていて、門の中にはシェルティーが放し飼いになっている。隙間から突き出す鼻先を軽く撫ぜてやると、嬉しそうに声をあげる。

きっと笑顔もあったよね、いっぱい。

私は歩いてみる。時を隔ても少しづつ歩いてみる。そして、この街で過ごした父はいまの私より年下だったことに気付く。

頑張ってくれた。でも一人で頑張りすぎて、一人で考えて一人で逝ってしまった。

八景水谷をあとにして、私は父のノートにあったツーリングの跡を追って見ることにしていた。高速道路の下を抜けて、阿蘇に向かう。天気は少し崩れかけていたけど、気にはならなかった。

2004/02/07(土) side A:ただいま
フェリーの着く港でバイクを受取って、高速道路で熊本へ向かう。ヘルメットがちょっと大きくて、なんだか落ち着きが悪い。

インナーが少し痛んでいたけど、良く手入れされていて、トリコロールが白に映え、小さくFREDDIE SPENCERと手書きの父のまだ若い文字が入っている。ロフトの荷物を片付けていた時に出合った、父の最後のヘルメットは、20年以上も大切にされていて、私は一緒に父の街に行きたくなった。バイクはHONDAじゃなくてYAMAHAだけど。

この日記を書くようになってから、父の書き残した物を、少しづつ読んでみる。見つけた頃は読めなかった。きっと知られたく無いこともあるだろうし、私なら絶対に嫌だったから。

でも、もう居ない父は、もう私と話すことは無い。父が居なくなって私が選んだ暮らしを、父の居ない今の家族に話すことは無い。絶対に。もし、歳を重ねて、すべてが想い出として包めたら、父は私が生まれる前のこと、そして重ねてきた様々な人生を、炬燵に入って、まだ言葉の判らないちっちゃな赤ちゃんを抱く私に、ポツポツ話してくれたかも知れない。そして、ちっちゃい頃の私の話もしてくれたかも知れない。

大判のダイアリーだったり、手帳だったり、大学ノートだったりと書いてある物はまちまちで、そして何故か日記帳には仕事のことしか書いてない。学生手帳には、もう母の事が書いてあって、呼び名が苗字から**さんになり、ちゃんになり二人だけの愛称になっていた。

基山のパーキングエリアで、出汁の黒くないうどんを食べただけでひたすら走った。ニコニコドーの大きな看板が見えて来て、熊本インターを降りる。八景水谷はもうすぐだ。


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