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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

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2005/03/30(水) side A : その海 その空
父方の祖母の町から1時間と少しで、その場所には着く。

一人を残して、火に包まれて消えてしまったその家族は、写真さえ、そのとき祖母が疎開先に抱いて行った一枚だけを残して燃えた。

山を背にして、海に広がる温泉地の旅館の玄関で、並んだ家族は、写真師さんが写したと思われるセピアの画面の中で、すこし緊張しながらも幸せそうに笑っている。

父の書き残した言葉から、それは戦争が始まったすぐ後で、家族みんなで行った唯一の旅行だったことがわかる。

その旅館の、その玄関が、今もそのままある事を知り、去年の旅で、そこに泊まった。

「古いでしょ。でも手はいれているんですよ。」

閑散期の平日でもあって、仲居さんは旅館の由来を話してくれる。

「玄関と欄間はそのままなんですよ。」

千鳥の家族が波間で遊ぶ図柄の欄間のある部屋で、初めての家族旅行で、祖母の家族はどんな話をしたのだろう、なんて思う。

温泉も私一人で、ゆっくりさせてもらってから、祖母について、父が残した文字を追う。

ここに来た日の祖母は今の私より、年は若い。

どんな夢を見ていたの?どんな未来を思い描いていたの?



朝、早起きをして、大切に持ってきた写真を抱いて、玄関に立つ。

もちろんそこから見える景色はきっとずいぶん変わっている。

私は貴女の、そしてみんなと同じ血が流れていますよ。

そして、生まれさせてもらって、生きさせてもらっていますよ。



写真のみんなが見た朝の海は、その日もきっと今日と同じで穏やかで、空も、こんな色だった気がした。

2005/03/28(月) side A :満開の水仙 そして待つ花
あんなに小さくて頼りなかった、水仙たちが満開を迎える。

そして、育つかどうかどうか心配だったチューリップたちは、葉をしっかり伸ばして、覗き込むと、花芽も大きくなった。

春が過ぎると眠ってしまう、パンジーやノースポールやアリッサムを球根の上に今年は何鉢か植えてみた。

少し窮屈そうではあるのだけれど、同じ光の下できっと一緒に咲く。

そのちょっと変わった白い水仙も、母が大切にしていた花で、昨日一人でお見舞いにでかけた祖母は、和紙で私がラッピングした、三輪だけ咲いた小さな鉢を連れていってくれた。

「どうだった?かぁさん。」

「あぁ、元気そうだよ。二人の進学も伝えたら、嬉しそうだったよ。」

会話はそこで終る。

私は居ない娘で、しかも母の敵になってしまったんだし。

2005/03/27(日) side A : 一番花
コートのいらないこんな日に、南の枝から花が咲き始める。

敷地にお家が建つ前からあった桜なので、正確にはなんの種類かは判らない。

上手には撮れなかったけれど、春の彩をみんなにも伝えたくて

2005/03/26(土) side A :おだまきふたたび
今日は風はまだ冷たいけど、空はほんとに春色で、妹と弟は揃って新しい学校生活の準備の買い物に行く。

「あれと、これと・・・」

昨日の夜、二人は買い物のリストと予算を一生懸命書き出して、

「こんなのは、ネットで買ったほうが安いよ」なんて、検索もしていた。

その金額は、今思い出すと、私が何んの心配もせずに、ねだっていた時の三分の一以下で、なんだか恥ずかしくなってしまう。

そのお金に少しだけ余裕の分を加えて、家計から渡し、おばぁちゃんから別にお祝いと、お小遣いを渡してもらって、二人は出かける。

すーっと背が伸びて、つぼみを付けたおだまきが、いっせいに花を開いていた。

2005/03/25(金) side A : 水路 あるいは その花
表通りの酒屋まで、手をつないで水路だった道を歩く。

両側は低い生垣で、この季節なら、もう色を落とした侘び助が咲いていた。

前は水路だったから、両側の古い家はみんな背中を向けていて、道になってから作られた、生垣の切れ目のような、小さな扉がついていて、そこから顔を出す、顔のなじみの犬達を撫でるのも好きだった。

あまり陽も当たらないその道に、その花は毎年咲いていた。

誰かが手入れするわけでもなさそうなのに、少しずつ広がって、そこで暮らした最後の年の春には、その道の入り口から出口まで、薄紫の花は咲いていた。

引越しの日に、私はその花を少しだけ掘って、今のお家に連れてきた。

花屋さんで見かけることの無い花の名前を、今でも私は知らない。

とっても丈夫で、どんどん増えてしまうその花は、丈夫だからって、少しずつ陽当りの悪い場所へ、移動して、今は庭の北西の隅で開く。

一番最初から居てくれるのだから、今年こそ名前を知りたい。


*************************************
追記3月26日

お花の名前、たくさんの情報をありがとうございました!

「ツルニチニチソウ」(別名ビンカ)

「ヒメツルニチニチソウ」

と言うのがこのお花の名前のようです。
特徴とか、確認してみますね!

本来、お一人お一人にお返事すべき処なのですが
まずは、この場をお借りして御礼申し上げます。

2005/03/24(木) side A : あの日 あるいは バーデンベルギア
小さなつぼみを付けてから、その花は房を伸ばす。

最初にこの花がお家に来てくれたのは、父が迎えた最後のお正月だった。

お正月の用意のお買い物に家族全員で行ったホームセンターで、その花は揺れていた。

初めて見るその花は、なぜか二鉢だけ置いてあり、蘭のような小さな花弁に、最初に見惚れたのは母だった。

「きれいだね」
「初めて見るね」
「珍しいねぇ、お正月らしくて、おめでたい感じだし」

「なんだか鶴のようだね」って言う、おばぁちゃんの言葉にみんなでうなずいて、うなずくみんなにみんなが気付いて、大笑いした。

店員さんに名前を聞いてみたけれど、判らなくて、少し値段は高かったのだけれど、連れて来た二鉢は、門の左右に門松と一緒に並んで、新年を迎えた。

次の年、暮らしが変わって、初めてのお正月は、まだまだ私も暮らすだけで一杯で、お飾りも一夜飾りになってしまったし、おせち料理はもちろんなくて、その花のことも忘れていた。

18才で迎えた年の暮れは、私はソープの仕事と受験で目一杯だった。色々な事があって、ネットに少しだけ私は言葉を置いてみたけれど、また行き詰って、そこからも離れた。

年内最後の仕事を終えて、駅まで歩く途中にある、繁華街の夜の店のためにある花屋さんに、その花が一鉢だけ揺れていた。

バーデンベルギア

それがその花の名前で、お家に連れて帰って、懐中電灯を点して、庭にあるはずのその花を探した。

ほとんど葉も無くなっていたけど、まだ生きていてくれて、北風の吹く真夜中の庭で、私は泣いた。

鉢も大きく新しくして、バーデンベルギアは今年も咲く。去年の暮れに二鉢買い足して、今は5鉢ある。

家族みんなが揃った最後のお正月の風景が浮かぶ。懐かしいけど、もう二度と戻らない。

今年も花は咲き、形を変えても、家族はここにいる。

2005/03/22(火) 新しい家 新しいくらし
もう外が薄暗くなった頃、カンカンカンッって、鉄製の外階段の音がして、予定よりずいぶん遅い時間に父は戻ってきた。

「悪い悪い」って言いながら、梱包の終わった少ない荷物の中で、おでかけの服に着替えて待っていた私たちを見回して、「さぁ、行こう!」って言いながら、父もスーツに着替える。

仕事と兼用の、いつか大きくなってバスになるんだよって、近所のおにぃさんにからかわれ、妹はそう思い込んでいた、神奈中バスの模様に良く似た色の、四角い軽のワゴン車に乗って、私たち家族はでかけた。

元は水路だった細い道の奥に、私たちが住んでいた、陽あたりのいい古いアパートはあって、外階段は何度も上塗りされて、剥げたところから、最初は真っ白で、次に水色になって、今は草色になったのさえわかる。

でも造りはしっかりしていて、古すぎる壁は漆喰で、天井板も杉板だったし、床はフローリングだったし、新建材は玄関だけで、アレルギーのひどかった私のために、父が探してきたその部屋で、2歳から小学生になって少しの間まで過ごし、妹はそこで生まれた。

生まれつき身体が弱かった私のために、空気のいいこの街でアパートを探して暮らし始め、入退院を繰り返す私のために、父は安定した会社を辞めて、仕事を始めた。

働いて、働いて、好きだったいろんな事を諦めて、我慢して、父は家族のために暮らし、そしてみんなで暮らせる家を建てた。

はじめて玄関を開くとき、父は拍手を打って拝礼した。

横に並んでいる母と、手をつないで後ろに立つ私と妹も、それに習って手をポンっと打って、頭を下げた。

カチャリと鍵を回して、木製の厚い扉が開くと、木の香りがして、入り口の左に手を伸ばして押したスイッチで灯った明かりは優しくて、一部屋ずつスイッチを押して明りを灯す。

明りに浮かぶそれぞれの部屋には、母が縫っていた新しいカーテンがかかっていて、父と母は目を合わせ、そして私たちを振り返って微笑む。

階段をゆっくり昇ると、二階の吹き抜けの横の廊下にはドアが4つ付いていて、一番左が、私の部屋だった。

そっと開いたドアの向こうには、先に運び込まれた、真新しいベッドがあって、それまで、一つの部屋で並んで眠っていた私には、お姫様の部屋だって思った、記憶がある。

レースのカフェカーテンの掛かった出窓を開けると、潮の香りがして、海鳴りの音が聞こえた。

そして、次の日が引っ越しで、私たちは、その家で暮らすようになった。


弟が生まれ、私と妹は学校に通い、遊び、父と母とそしてその家に育まれ守られて暮らした。ずっと、そんな日が続くと思っていたし、少しずつ大人になって、恋をし、結婚して、私もいつか、こんなお家で家族を作るんだって信じていた。

子供っぽい感傷や、思春期のありがちな、でも誰にも話せない出来事や悩みを、部屋で独りで呟くとき、家に包まれているような気がして、もう子供じゃなくなっても、私は家を「お家」と呼ぶクセがついていた。


父が自ら命を絶って、暮らしは変わった。

新しい暮らしは、それまで思ってもみない物ではあったけど、五年近い日々の中で、いつか日常になる。

父はもういなくて、母は遠い。

何度もお家に話しをする。何度も何度もいろんな話をする。

ネットの向こうにいるみんなに聞いてもらう以外に、話せる相手は、ずっと私を見ていてくれる、お家だけだ。

行って来るね、って泊まりの貸し切りに向かう。

振り向いて見る、お家の灯りは、今日も、暖かい。

2005/03/21(月) side A : アネモネ そして 椿
うぶ毛に包まれた紫のつぼみが立ち上がる。

真冬に一番花を付けたアネモネは、寒さの中で一休みして、また咲き始める。

いまのところ、季節の前に枯らしてしまったお花はまだ無くて、眠ったり、また目覚めたりして、いつもの年より、長い日を過ごす花たちが多い。

3日続いた晴れの下、八重の椿が咲く。

椿の季節はもう、終わりに近くて、つぼみは少ない。

アネモネの根元には、芽や花が、明日を楽しみに待っている。

今日の意味はそれぞれ少し違うけど、今日は私もいっしょに、雲ひとつ無い、春の空に感謝した。

2005/03/20(日) side A : 彼岸 
駅前で買った花束に、父と母が大好きな、お庭で咲いた花を少し合わせて、お供えする。

彼岸の墓地でも、一人だけの女の子は珍しくて、好奇の視線に目礼して、何組かのお参りの家族達とすれ違う。

おばぁちゃんは、この前の雪で軽く足を痛めてしまい、今日は一緒に来れなかった。妹と弟は、卒業式のすぐ後の、友達や級友との予定が詰まっていて、ごめんねって言いながら、ちっちゃな仏壇の前で手を合わせてから、出掛けていった。

この日に半日休むために、ちょっと迷った外出も受けて、でも迷っただけの負担はあったり、それは、何のためなんだよ、って、少し心がささくれ立つ。

それが八つ当たりだってことは、わかっているし、どこかに、お彼岸だからって、お墓に行かなくてもいいじゃない、って、思っている私もいる。

今も、父を読み続けていて、忘れはしないし、その生きてきた毎日は私のそばにある。

その日々を共有していた母は、今も心を閉ざしたままで、お医者様が言いにくそうに私に告げるのは、母の心の中で、私は居ない娘になってしまった。

そう、私が居なければ、今も父は居て、父は母だけを愛していて、病気が治れば二人の子供と幸せな日々が来る。

じゃぁ、私は何かと言えば、いつの間にか、父を誘惑した若い娘になっていて、中学三年生くらいからこっちの私の写真を、母は、全部破って捨てたって、お医者様に言われた。

そのことを聞いたとき、悲しくなかったと言えば嘘になる。でも怒りの気持ちは、湧かなくて、あぁ、やっぱりって、思った私がいた。

お線香の煙は揺れて、サッと吹く風に、お花も揺れる。

がんばらなくちゃ、もう少し。

2005/03/15(火) side B : あ の こ ろ あるいは 17才の写真
まだ、ぎこちない私がいる。

でも、やっと、お客さんに自分の意思は、伝えられるようになり、ソープ嬢として落ち着いてきたころの写真だ。

私が最初に経験した風俗は、「高級エスコートクラブ」と言ううたい文句のデートクラブで、まだなんにも判らなかった私は、何度も交わっている時に写真を撮られた。

うまく断れなかったし、断った後のお客さんの吐き捨てる言葉を受けることのほうが怖くて、顔だけは写らないように、必死で隠しはしたけれど、その頃のカラダは、今も何人かの人が持っている。

ソープで働くようになってから少し経って、ソープ嬢としての私を作ってくれた店の先輩に巡り合い、その人のおかげで、私はソープ嬢としての暮らしが立つようになった。

それからの私は、写真もビデオも信頼できるお客さんには許している。でも、撮影したマスターは一度預かって、顔が判る物はすべて加工したり、削除したりしてからお客さんに渡す。

前にこの事を日記に書いたとき、同じ仕事の女の子からメールをもらった。

「お客さんの顔が写っている写真を預かることを、お客さんは嫌がらないの?」

そう言えば、私の手元には、お客さんの顔が、カラダが、そして性器が写っている、マスターテープが、写真媒体が、かなりの数ある。そして、外出や貸切をするお客さんの免許証記載の住所は全員知っているのだし、職場も職位もほとんど知っている。

それまで、考えたことも無かったけど、それがお客さんにとって、危ない事だとの指摘は判る。

私は何人かのお客さんに尋ねてみた。

「じゃ、眠っているとき俺が首を絞めたらどうする?」
「睡眠薬を飲ませて、好き勝手したらどうする?やりたいけど(笑)」
「無理心中、しようとしたらどうする?」

私は答える。
「諦める。私が見る目が無かったってことだから」
お客さん達は言う
「同じだよ。それだけはやらないと思っているから」

それを信頼と呼ぶかどうかはわからない。でも、そんな流れがお互いにあって、いまの私は成り立っているのだなって思う。

写真の中の17才の私は、まだ脂肪が薄くて、腰のくびれも女になっていない。こんなカラダで、私は20才だと言い張って、でも、「それだけはやらない」奴だとは思われていた。

ありがとう。

そんな奴だと思ってくれて。そしてそんな奴にしてくれた先輩。

そんなカラダで、稼いでくれていた、17才の私。

ありがとう。



2005/03/14(月) side A : エニシダ そして ルピナス
相変わらず気温は日替わりで、お花の手入れが今年はほんとに難しい。

でも、去年掘り上げておいてから植えたチューリップも、続々と頭を出してくる。

エニシダは、一度香りを楽しませてくれて、なぜだかお花を休んでいたのだけれど、今度はたくさんつぼみをつけて、順番に開き始める。

ルピナスは、一株だけが大きくなって、花の穂がぐんって伸びて花を開く。

駅に向かう道は、どちらのお家も梅はもう満開で、お花屋さんには、プラスチックの鉢にギュウギュウ詰めに植えられたチューリップがたくさん咲いて並んでた。

今日、仕事をしているときずっと、目を閉じると、チューリップが揺れている。

鉢植えのチューリップたちのほとんどは、お花が終ると、捨てられちゃうんだなぁ、なんて、なんとなく思った

2005/03/12(土) side A : は じ ま り
誘われて、伸びをして

まぶたをひらく。

この世界が

終るまで

私は

ここにいたい

いっしょに。

2005/03/10(木) そつぎょう
卒業式の向こうには新しい暮らしがあって、背が伸びて、好きになった男の子と、Kissができる勇気が生まれたらステキな恋ができ、ちっちゃい子供達に、優しく微笑むことができるようになれば、ステキな愛がわかって、そして、おかぁさんになれるのだと思っていた。


筋肉はついてはいたけれど、男の子達とおんなじの、お陽さまに焼けた棒のような足と手と、まっすぐな身体で、野球をし、波に乗り、自転車で走り回っていた。

入退院の繰り返しから、少し遠のいて、それまで一人で外で遊べることはなかったので、吸入薬をポケットに入れ、父に教わった遊びに熱中し、男の子達と遊びまわっていた時期がある。

体育の着替えは、もう早くから女子と男子は別々で、オクテな私は意味も良くわからずに、「男子ってイヤラシイんだから」なんて、友達の話を、ウンウンって聞いていた。着替えの時に見る同級生は、もうブラジャーをしている子も多く、胸のふくらみに何故かドギマギしてしまい、なんだか自分が男子であるような、錯覚を覚えたりもした。

そんな日の夜に見る夢は、ある日目が覚めると、胸がぷっくり出ていて、よかったなぁって安心してみたり、突然ちんちんが生えてきて、慌てて隠して、トイレで確かめる変な展開だったりと、いま思えば、少しずつ性に気が付く、そんな頃だった。

病気がちだった私は、周りの友達が、一人また一人と生理が始まり、身体が少しずつ女の子になっていくのを、少し羨ましく見ていた。

中学に上がっても、まだ生理はこなくて、二回目の夏が来て、プール授業の着替えの時に見る同級生のカラダはもう、ほとんど女の子で、チラッと盗み見する下半身にも、私には無い茂みがあって、ロッカーの隅っこで、誰にも見られないように、急いで着替えをしていた。

心配した母親が、女医さんのいる病院に連れていってくれたのは、その年の秋で、検査して、診察してくれて、「遅れているだけで健康ですよ。」ってお墨付きはもらえたけど、母に頼んで、パット入りのブラジャーを買ってもらい、ほとんどふくらんでいない胸につけて、私は学校へ通った。

学校にいるとき、そして同性の友達といるときに、その事はすこし気になってはいたけど、その頃好きだったことで遊ぶには、男の子のようなカラダは都合が良かったし、便利でもあった。

水着で女の子だとは判るけど、子供っぽい容姿のおかげで、みんなからは性を意識せずに、可愛がってもらったし、ちっちゃい子たちからは、同類で一番でっかい奴だと思われていたようで、私の海での暮らしは、おんなじスタンスで何年も続いた。

初めての生理を迎えたのも、海だった。朝からシクシク下腹部が痛い感じはあったけど、ちょうどお腹も少し悪かったので、ビオフェルミンだけを飲んで、海に入った。

三月の半ばの海は、昨日冷たい雨を降らせた低気圧が抜けたばかりの、いい波が立っていて、まだ人も少なく、ひっつめ髪の私は、何本もいい波をつかむことができて、ご機嫌だった。

スーツを着ていてもカラダが冷えてきて、シクシクがきつくなり、そろそろ上がろうと思ったときに、スーっと何かが流れる感じがあって、あれって思って、家へ急いで帰り飛び込んだ浴室で、初潮だと知った。

お赤飯は炊かなかったけど、やっと来たことは嬉しくて、なぜだかこれでお嫁に行けるなぁなんて、本気で思った。

最初の生理が終わってから、私は初めて自分のアソコを手鏡で見てみた。

普通の皮膚が、スーッと分かれて、その間に粘膜が始まる。唇のように、始まりがハッキリしているわけでもないし、お尻の穴のように、形がハッキリしているのでのでもなくて、そのままだと、曖昧な線でしかなくて、でも指で広げてみると、なんだか小さなちょっとだけ独立した粘膜が、指で広げてみると重なり合っていて、その奥にある場所まで、広げてみるのは怖くて止めた。

毎日、お風呂で洗っていた自分の身体の一部なのに、こんな風になっていることを、私は初めて知った。そして、なんだかとても愛しくて、生理になってくれたことにありがとうってお礼をいい、どう使うのかは実感は無かったけど、大人になって、おかぁさんになるには大切なことはわかっていたので、これからよろしくって、お願いした。

初対面から、ほんの2年とちょっとで、私はそれを売ってしまった。そして20歳になった私は、今もそれを売り続けている。

子供から、女の子になって、でも私は女の子の時期が、とても短かった。キスも知らないまま、処女を売り、恋には憧れただけで、カラダを売るようになった。

あの春の日、中学を卒業し、目標だった高校に入学したとき、私はほんとに女の子で、伸ばし始めた髪はまっすぐで真っ黒で、でも同級生に比べれば、まだまだ子供で、今でもみんなは、その印象を持ったままだったりもする。

ほんとはまだ、初潮から6年しか経っていなくて、でもカラダを売ってからはもうすぐ4年になる。

中学の卒業アルバムの中には、運動会や修学旅行のスナップには、男の子のような私がいる。そして、クラス写真には、少し髪を伸ばし始めた、女の子の私がいる。

やっと大人になれたのが嬉しくて、でも子供の心が大好きで、おっかなびっくり、新しい門の前で戸惑いながら、一歩進もうとしている女の子がいる。

きみが、思っていた今日は、きっとこうじゃないよね。今の私を卒業したら、一度、きみに私は戻る。そして、もう少しだけ「女の子」を過ごし、それから、今までのいろんな私から卒業したい。

勇気を出して、ステキな人と手をつなぎ、そして、おかぁさんになって、ちっちゃい子供達に優しく微笑んでみたい。いつか。

きっと、いつか。

2005/03/07(月) side A :  ひらく春  
ふりそそぐ光の中で、新しい季節の花たちが咲き始める。

危うく凍らせてしまいそうになった苗たちも、二日続いたお天気で、今年最初の花を開く。

色も、大きさも違うのに、一緒に植えたお花は、一緒に開き始めて、きっと誰かが、みんな起きろよ、なんて、言っているような気もした。

2005/03/05(土) side A : 雪のつぎの日
まだ、白く残っている場所もあるけれど、もう雪はほとんど溶けている。

負けてしまいそうな苗だけは玄関に入れておいたけど、真っ青な空の下で、花たちが開いてくれる。

昨日、積もった雪に頭を抑えられた水仙は、伸びきれないまま、でも開いてくれた。

昨日、開いていたポピーは、みんな散ってしまったけれど、今日、殻を落としてお陽さまを見上げる花は、もうほんとの春の色を連れてくる。

仕事に向かう駅への道は、もう、沈丁花の香りが濃くなっていた。

2005/03/04(金) side A : 雪の日のその場所 あるいは その後のひまわり
最初、この場所に来たのは、もうずいぶん前になる。

幼い頃、東戸塚の駅からバスに乗る、子供専門の病院に、何度も入退院を繰り返した。

小学校に入ってからも、1月近く過ごすこともあり、院内にある学校と、家から通う学校と、半分半分の学期もあった。

お医者様も、マンツーマンに近い形で勉強を教わった先生も大好きだったし、友達もできた。

でも、突然いなくなる友達にショックを受けたり、ちっとも良くならない身体に苛立ったりして、私も家族も少し疲れてしまった頃、新しい治療法を試すために、病院の車でこの場所に来た。

治療がどうだったかは、判らないけど、入院は急速に減って、吸入薬はいつもカバンに入っていたけど、普通の暮らしに近い日々をおくり、少しずつ私は大きくなった。

心が壊れたとき、最初に病気だと気付いてくれたのは、長く診てくれている呼吸器内科の先生だった。結局、ほんとのことは未だに何にも話してはいないけど、同じ病院の精神神経科に通うことで、何かが少し変わり、不安定ではあるけれど、普通の暮らしがおくれるようになった。

そして、去年の9月、また違う診療科目で入院した。

今日、また、三人の先生に、説得される。

私は、首を横に振る。

お家に帰ると、二つ目のひまわりは咲いていて、三つ目もほころんでいる。

こんな、雪の日なのに。

2005/03/03(木) side A : おだまき あるいは 表と裏
明日はこの街でも、雪が積もると天気予報は言う。でも今日は、少しおひさまも見えて、新しい花も開く。

心ばかりの、雛の祭りのお祝いを、火曜日に判った、妹の合格祝いと一緒にする。

一つの節目が来た気もして、今日は仕事も休んだ。

こんな季節に、おだまきが咲く。

紫では無いおだまきを、いつ植えたのか、記憶が無い。

最初この花の、姿にあまりに合わない、花言葉を知ったとき、少し笑った。

「勝利への決意 」そして「愚かなる者」

そんなこの花が、好きだ。

2005/03/01(火) side A : そんな春色
気の早いエニシダと、水仙の香りが風に乗る。

真冬は、陽の当たらなかったお庭の隅にも、柔らかな色の光が伸びる。

お天気のいい日の朝、じょうろで少しずつお水をあげてきて、芽吹いた命に、花が咲き始める。

その花たちと、この季節の光の色があわさって、今しか見れない、淡い色になる。

見とれてしまって、慌てて、着替えて家を出る。

ちょうど起きてきた、妹と弟が、手を振って見送ってくれる。

もう一度、振り返ったとき、そんな春色にお家も包まれていた。


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