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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

直接移動: 20066 月  20059 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月  200311 10 9 月  200212 10 8 7 6 月 

2004/04/24(土) side A : すずらん
雷が鳴る空から降る雨は、まるで夏のように粒が大きく、でも風には冬の色さえあって、今日久しぶりにレザーのジャケットを着た。

今年は、暖かな陽射しに誘われて、南の庭のすずらんは、3月には咲いていて、もう実さえ落としている。何年か前に、4月になると高くなってくるお陽様が、半日くらいは当たる北の庭の端っこに、母はすずらんを株分けして植えた。

今日、最初の花が咲いていた。

少しづつ眠りに就いていく早春の花と、芽吹いていく春から初夏の花が混じりあう今年のお庭をたくさん写真に残しておこうと思う。

来年の、再来年の、そして5年後のお庭は、そして私はどんな姿をしているのだろう、なんてちょっと思った。

**************************************
ps*不注意でひいてしまった風邪で
  御心配おかけしたようで申し訳ありません。
そしてありがとうございました。

2004/04/23(金) side A : 風邪ひいちゃった 
キャンパスには、緑とお花が溢れていて、きっと高校の時は制服で暮らしていた新入生のみんなの服装が、少しづつ風景に溶け込んでくる。

新しく学び始めて聴講する講義は、とても興味深いものが多くて、思わず図書館に寄ってしまい、お仕事の時間に遅れそうになってしまう。そして、お仕事帰りに開いてしまった本をお家に帰っても閉じられずに、ついつい夜更かしをしてしまって、風邪をひいてしまった。

ソープで働くようになって、とにかくお仕事の予定を入れているときは休まないようにしてきた。風邪をひかないように、体調を崩さないようにしないと、楽しみにスケジュールを調整してくれて、予約してくれたお客さんに無駄足を踏ませてしまう。そして私は、予定の収入がすべて消えてしまう。

お店で先輩に教えてもらって、とにかくイソジンでうがいをして、お家でも、学校でも、風邪が流行っていた寒かった日々は、電車を降りると必ずトイレでうがいをしていた。

ちょっと暖かくなってきて、そして新学期が始まって浮かれてしまっていた私は、ほんとうに何年かぶりでひどい風邪をひいてしまった。

水曜日に起きたとき、なんだか頭がガンガンしていて、熱を測ったら38度2分あった。それをみたら、ますます頭が痛くなってしまったのだけれど、その日は遠くから遊びに来てくれるお客さんの予約が入っていたし、次の日は外出の予定があった。学校を休んでしまうと、バイトも休まないとお家のみんなに変に思われてしまうので、「今日は、バイト終わった後、新入社員さんの歓迎飲み会なんで泊まるね。」って言って、お家を出た。自転車にもバイクにもとっても乗れそうじゃなかったし、木曜日の午前中はちょうど休講だったので、ホテルで寝ていようと思った。

なんとか学校もお仕事もこなせて、ホテルに入って、マツキヨで買った体温計で測ってみたら、39度6分あった。これはだめだなぁって思って、フロントに電話をして、救急急患病院を教えてもらい、「救急車呼びましょうか?」って顔なじみのフロントのマネージャーに笑顔で「タクシーお願いします」って言えたけど、病院に着いたときには、殆ど意識が無くて、次に意識が戻った時は、点滴を受けているベッドの上だった。

「家に連絡しようか?」国保の保険証と学生証を出す私に先生が言う。「大丈夫です。両親いないんで、おばぁちゃんと妹と弟に心配かけるだけになっちゃうんで。」「そう?」

私はこんなところには居なくて、こんな街にいないし、ホテルなんかに泊まっているはずは無い。完全に昏倒しなくてほんとうに良かったなって思った。

点滴のおかげだろうか、朝には8度を少し割っていた。料金を払って、「入院した方がいいと思うけどなぁ」と言ってくれる、まだ若い当直のお医者様と看護士さんにお礼を言って、ホテルに戻るとマネージャーさんが心配そうな顔で迎えてくれる。「体調良くなるまで、チェックアウト延長しますから休んでくださいね。」

ホテルの人達は、私がソープ嬢だということは恐らく気付いている。ソープ街に近いこのホテルでまだ若い女の子が、こんなにしょっちゅう泊まることは他には考えられないし。でもそんな素振りはまったく見せないで、いつも対応してくれるこのホテルが私は好きだ。

結局午後の講義は諦めて、外出だけ仕事をして、昨日の病院へお礼のお菓子を持っていくついでに、もう一度診察してもらって、また点滴を打たれた。

今日のお仕事では、指名さん全員に「薬やってるんじゃ無いよなぁ?!」って冗談を言われ、「どう思う?」って笑った。

今計ったら、7度5分だった。あと少しだ。もっと、気を付けなくちゃ。みんなに迷惑掛けちゃうもんね。

まだ、ちょっとボーってしてるので、文書が変だったり誤字脱字があったらスミマセン。おやすみなさい!

2004/04/17(土) sideA:性的嗜好 考@植草氏や今関監督のニュースに触れて
エコノミストで早大大学院教授でWBSのコメンテーターだった植草氏が、女子高校生のパンツを覗いたとして話題になっている。切れ者っぽくてスマートな印象のあった人物が覗きと言うのにも、手鏡という古典的なやり方にも驚いた。

今日は今日で、モーむす映画でもおなじみの映画監督の今関あきよし氏が、中学一年生と援助交際をして逮捕され、複数の女子中学生との交際を自供しているという。それが彼らの性癖で、風俗関連では、その欲求は晴らせない種類のものだったのかな、なんて思ったりした。

ソープの常連さん達は、自分の性癖を理解している人が多い。社会的には成功を収め、家庭的にも決して不足の無い暮らしをし、家族を愛し、配偶者を愛していても、性的な嗜好での満足と、普段の生活の満足は別物だという事を知っている。そして、人の心がより多く絡んでしまう素人さんとの不倫や援助や、水商売での遊びには向かわずに、純粋な性的関係、満足を求めて、ソープへ通う人が多い。もちろん、それを前提にした心の触れ合いはあるのだけれど。

外出や貸切の時、お客さん達のそれぞれの性癖は、個室の時より一層ハッキリしてくる。時間に余裕があるからでもあるのだけれど、下世話な話で申し訳ないけれど、私を一晩貸切にすると、K-CARの新車が買える金額が必要なわけで、その金額に見合った快感や、普段、表に出せない性的な欲求を求めるのは、ある意味当然の事かも知れないとも思う。

日記にも何度か貸切/外出の事を書いた。胸が大きくなってからは微妙にお客さんの層が変化しているけど、最初はやはり、「炉」系を好むお客さんとが多かった。コスプレはほぼ100%だったし、泊まりの時に早起きをし、私鉄電車で制服痴漢プレイをしたことは複数回あるし、夜の外出で、移動中に頼み込まれて、寂れたビルの非常階段でセーラー服に着替えて、何度も交わられて、***装置の位置が申請と違っていたので、ボーイさんが駆けつけて騒ぎになりかけた事もあった。

実際私はその時、高校生だった訳で、お客さんからすれば拾い物と言うか、リアル感は楽しめていたんだと思う。

一瞬、横顔写真をここにアップした時、ご注意と共に届いた感想の殆んどは、「思っていたより幼い感じがする」と言うものだった。確かに今年も大学のサークル新人勧誘はいっぱい受けているし、今年になってからだけで、お店の帰りの繁華街で3度補導員に声を掛けられて、学生証と免許証を見せている。化粧で誤魔化していたつもりだけど、2年半前の私は、本当に幼かったと思うし、それがソープ嬢としては売りだった事も間違い無い。

お客さん達は、それぞれの性的な嗜好を持て余し、でもそれを実現したくて、風俗へ行く。でもデフォルトで挿入があるのは、西川口を除けば、DCとソープに限られる。しかし、DCは女の子にもお客さんにも、どちらにもリスクが大きい。ソープは箱の中での御約束事はキッチリしていて、それをはみ出す事は出来ない。なので、ある意味、貸切/外出は性的嗜好の行き着く果てなのかも知れないとも思う。

セーラーやブレザーの制服は勿論、園児服やメイド服から白衣やネームまで入った会社の制服を私は着る。スクール水着の股の部分をずらして挿入したのも、2度や3度ではない。猫耳もつけるし、バニーさんの衣装だって着る。振袖での昆布巻きスタイルも多いし、コミケでしか見られないようなコスプレ衣装もずいぶん着た。

お客さんは、いろんな場所で、いろんなポーズを付け、いろんな体位で挿入し、時には持ってきた衣装を破り、裂き、そして果てて、時間が来ると、きちんと背広を着て、昼の街へ、いつもの暮らしに帰っていく。そして、何週間か、何ヶ月か経つと、溜まったストレスと我慢した幾つかの性的妄想を連れて私と出かけ、そして、それを吐き出して、また普通の暮らしに戻っていく。

性に定型はほんとにないなぁって思う。父が交わるビデオを見てから、その思いは以前よりも一層深まった。そして私は、今日も貸切に出る。

少しは眠れますように。明日は一日、箱で働く予定だし。

行ってきます。

2004/04/12(月) side A:水族館
上にある照明が強くなって、今まで水槽の様々な深さを、円を描いて泳いでいた魚達は、その明かりに惹きつけられる。強くなる照明は餌の合図で、我先にそれを奪い、水面に広がる餌を奪いあう。

「まったくあいつらは」って表情で、私に一瞥をくれたオレンジ色の魚は、「どうせここまで餌は落ちてきますぜ」なんて言いながら、悠々と泳いで居たのだけれど、今日は餌が少ないのか、一粒も彼の深さに届いてはこない。「ちぇっ!」って舌打ちをしながら方向を変えた魚の前を、餌が沈んでいく。

口でそれを捉えて「ほらね」って私を振り返る魚は、もう舌打ちは忘れた顔をしていた。

2004/04/11(日) side A : おはよう 
暖かくなってきて、ぐんぐん育つお庭の花達は、ちょっと早く目が覚めて、新聞を取りに玄関出る私に「お水ください!お水ください!」って、おはようの前に声をかけてくる。

今年の春先は、暖かくなったり、また寒くなったりの日々が何度も繰り返したので、いろんなお花が、少し季節を間違えて咲いていて、お庭はちょっとごちゃごちゃになってきている。

誰も名前が判らない、どこから来たのかも判らないお花が咲いていたり、同じ色を植えたはずなのに、チューリップの寄せ植えの鉢では、一つだけぜんぜん違う色が咲いていたりして、でも、みんなとっても元気に咲いていてくれる。

玄関からパジャマのままの妹が出て来て、ちっちゃく手を上げて、まずお花達に「おはようっ!」って声をかけて、それから、私に「おはよう」て言う。その声に誘われて、弟も、おんなじように、出てくるので、ちょっと笑ってしまう。

ガラガラって音がして、雨戸を開くおばぁちゃんも、「おはようさん」って、まずお花に声をかけている。

母は、いつもお花に声を掛けながら手入れをしたり、お水をあげていた。ちょっと大きくなった私は、「変なの。」って思いながら、見ていたりもしたのだけれど、今は家族みんなが、当たり前のように、お花に声をかけている。

おはよう。そして、ありがとう。

2004/04/10(土) side B:乳房=営業アイテム
新学期のガイダンスも終わって、新しい学年が始まる。
時間割の表とシラバスを読みながら、受講申し込み表を
少しづつ埋めてゆく。
取りたい講義があっても、曜日と時間帯によっては
平日休みの常連さんの都合を考えて
ソープの仕事を優先しなければならない日もある。

でも、そのお客さん達が、ずっと通ってくれる保証はないし
新学期になって、一人も、一度も来ないことだってあるかも知れない。

この仕事を始めた頃は、今思えば本当に子供だった。
硬い乳房と、薄い腰は、判る人には本当の年が伝わってしまっていたと思う。

女になってきた私の乳房は、左の方がかなり大きい。

ソープで働き始めてから、乳房は少しづつ大きくなり、
ピルを飲み始めてまた大きくなったのだけれど
その間、営業アイテムとして存在し
ずっとお客さんに色々な形で、使われてきた。

左の乳房が大きいのは
右利きのお客さんの方が多くて
ベッドでは、私の右から手を伸ばすと
左のほうを揉まれることが多いからかなぁなんて思う。

仕事を上がる時、どんな風になってるか
少し、心配をしてみる。

してみる、だけではあるのだけれど。

2004/04/09(金) side B : ソープ知識48手+α
汗が滴り落ちて、シーツが剥がれたマットに染みを作っている。後ろから突き続けるお客さんは「いいかい?いいかい?」と上ずった声で繰り返し、タイミングを失敗してしまって、先にイってしまった私は、感じるふりをしながら、膣を締め付けるのだけれど、子宮底は上がってしまっていて、完全に勃起しないこのお客さんは、この体位じゃ、イカセ難い。

「上からさせて」って、アエギながら言って、体を入れ替えて私が上になる。中腰になって、ヒンズースクワットのように足で支えて、腰を上下しながら、手をペニスの根元に添えて刺激しつづけると、少し硬さが増してくる。向きを変えて、お客さんの頭が枕にのるようにして、接合部が見えるように、左足を抱いて、また腰を上下する。そして回す。次は脚を舐めながら、お尻をお客さんの方に向けて、挿入してから前後に大きな動きをかける。お客さんからは、大陰唇が開いて、小陰唇がめくれ、内壁のピンクの中から亀頭が少し顔を出しかけ、そして、根元まで膣に飲み込まれる様子が見えているはずだ。脚を開いて思い切り後ろに引くと、亀頭がやっと子宮底に当たるようになってきて、腰を少し回すと、イク時特有の伸び上がりを感じ、そしてお客さんは果てた。

最初の頃は、興奮したお客さんのペニスは、すべてカチカチになり、カチカチにならないとイカないのだと思っていた。立たない訳でも、イカない訳でもないのに、完全に勃起しないお客さんは意外と多い。そして、けっこうその事を気にしている人も多かった。

DCの頃、そういう事も含め接客や性的なことを相談する相手は居なかった。一度社長に相談したとき、「講習してやろう」と言われて、ノコノコ付いていった私は、単なる性交をされて、お金ももらえなかった。ある意味、これが私の唯一の金銭を伴わない性行為だと言うのは、笑い話にしかならない。

ソープで働くようになって、色々な事を知ることができた。若いからイキ易いという事は無く、オナニーをし過ぎている人は、膣内壁の微妙な襞を感じるだけの亀頭粘膜の感度は無いので、そういう場合は、挿入したまま、根元を手でグラインドした方がいいとか、それは立ちの悪いお客さんも一緒だとか、短めのペニスの人は、松葉崩しや側面座位とかで、奥まで導いたほうが、膣口を傷める事が少ないとか、数え上げれば切りが無いくらい教えてもらった。

今、振り返ってみて面白いのは、売れっ子の先輩が教えてくれるのは、いかにお客さんに大きな快感を短時間で与えて、挿入時間を短縮する=自分のヴァギナを傷めない方法が多くて、言い換えれば、お客さんは必ずイク事を、あるいはイカセル事を前提としながら、身体を守る方法ばかりだった。お客さんに満足してもらう=自分も安定して稼げ、そしてリスクは少しだけヘッジできる。そんな事を叩き込んでもらえた。

今の私は、目標を達成して上がっていく、私を可愛がってくれた先輩達に、お客さんを随分紹介してもらい、そのお客さん達の様々なスペックや、性的嗜好まで教えてもらい、その上で接客が出来ているのだから、私の力というより、ほんとうに助けてもらって今の暮らしが成り立っている。

正直に言えば、昨日の指名の半分、そして泊まりの貸切、そっして今日も一人は、紹介から常連さんになってくれたお客さんだ。

控え室で微笑みながら、時には頭とポンってぶってくれながら、色々話してくれた、上がっていった先輩達を思い出す。「どうしてるかなぁ?」なんて、お客さんと話す事もある。そしてその殆どの先輩達は、上がると同時に、連絡が取れなくなり、いまどうしているのかは判らない。今も連絡が取れるのは、私をソープ嬢として一から育ててくれた、前のお店の先輩一人だけだ。

ネットが発達した今、売れっ子だった先輩達が、どこかで風俗に復帰していれば、どこからか噂は聞こえてくる。二度と、噂は聞こえませんように。

でも、どこかでいつか会いたいです。ちゃんとお礼を言いたいから。

2004/04/08(木) side A : いてくれる  
朝、お玄関の横に置いていたアマリリスの花の茎が折れていた。昨日の風はとても強くて、塀やちょっとした台に乗せていたお花は、みんな地面に下ろしていたのだけれど、細い茎に、大きなお花を咲かせようとしていた、アマリリスのつぼみだけが、折れてしまっていた。


コップに水を入れて、折れてしまったちょっと上のところで水切りをして、コップに挿して、「頑張ってね」って言って、学校と仕事へ行っった。


お仕事を終わって、いつもの金曜日の終電車に乗って、駅からはテクテク歩いてお家の近くまで帰ってくると、グンって伸びたチューリップ達が、門灯の光に浮き立っている。

玄関を開けると、アマリリスの花が開いていた。

なんか嬉しくって、なんだかとても嬉しくって、明日もいい日のような気がしながら、今日は眠れる。

いてくれてありがとう。

おやすみなさい。

2004/04/07(水) side B : 初めて体を売った日
シャワーを浴びて、浴衣を着た。帯をどんな風に結ぼうか迷った。家族で行った温泉でも、肌が出るのが嫌で、スウェットを持っていっていた。

「今日が初めてなんだって?」父より年上のお客さんが、お金を財布から裸で抜き出しながら尋ねる。「えっ?そんなこと言いましたっけ?」中途半端な敬語で、応える私に「社長に頼んでおいたんだよ。お初で若い子が入ったら、連絡くれって。」

「合格だよ」って言われて、すぐにプロフの写真を撮った。大人っぽく見えるかなと思って着ていった、シビラのモスグリーンのワンピースは着替えさせられてしまって、事務所に置いてあった、CECILMcBEEのタンクに、パンツが見えそうなミニスカートにルーズをはいて撮影されて、それから竹下通りの修学旅行生向けのお店でしか売っていなさそうな、テラテラな生地の黒のゴスロリ衣装で撮影された。そして最後に、リクルートでも使えそうな黒のミニタイトスーツで撮影した。

「高級エスコートクラブ」だったはずなのに、なんだかイメクラに来たような気がしたけど、調べて調べて来たこの事務所は、接客するお金は抜群に高かったし、事務所には革張りのゆったりしたソファーが置かれ、高級そうな調度品は掃除が行き届いていて、駅まで迎えに来てくれた車はピカピカのメルセデスだった。

「さぁ、今日から仕事だよ」と言われて、「えっ?」って思ったけど、頷いた。今思えば、まだプロフも無いのに、説明されたシステムが本当なら、今日からお客さんが居るはずも無いことは判る。

「そうですか。初めてなので、よろしくお願いします。」
せめて、ティッシュくらいに包んでくれればいいのになぁって思ったけど、その場で金額を確認するように言われていた事を思い出す。
「一枚二枚、・・・全部で*万円お預かりします。」
「それじゃ、コンビニだよ」とお客さんはまた笑う。
そう言えば、私はお金のやり取りするアルバイトは、コンビニでしかしたことが無かった。


「ハイハイ、優しくするから大丈夫だよ。」

浴衣を脱いだお客さんの体は、父のように、パンと張ったお腹じゃなくて、肉が垂れたお腹には、下のほうから毛が繋がっていて、シャワーを浴びたばっかりなのに、離れていても臭いがする。その事だけを覚えていて、正直、顔は良く覚えていない。

ビデオの撮影で処女じゃなくなって、でも性行為はそれしか経験が無かった。ベッドの横に座って、衿口から手が入ってくる。その頃の私の乳房は、手のひらにすっぽり入るくらいの大きさだった。
「ほんとは幾つなの?」「えっ?」乳首を指で転がしながら、尋ねる。「20歳ですよ」と答えると、わははは、と笑って、「いいのいいの、僕は若い方が好みなの。」と言いながら、前に回って、浴衣の裾をめくる。足の付け根があらわになって、思わず体が縮んでしまう。
指を口に入れて唾で湿らし、足を開かせた私の芯を指で開きながら、「処女?な訳はないか」とまた笑う。

指が中に入って来て、ぐねぐねと動く。撮影の時にも、指は入れなかったので始めてその感覚を知り、なんだか、指紋の形までわかるような気がした。知らないうちに私は目をぎゅっと閉じていて、いきなり、唇が唇に触れ、舌が、押し入れられて、舌を絡め、歯茎を舐め、そして私の舌を自分の口に吸い込んだ。息がつまって少しむせる私の背中を、少し撫ぜてくれて、「ほんとに初めてなんだね」と、目を輝かせる。

ベッドに横向きに押し倒して、足を思い切り開いて、上げて、床に膝立ちになったお客さんは、私の芯を嘗め回す。外陰唇を円を描くように舐めながら、時々舌を細く尖らせて、入り口から少し入ってくる。その間も右手の人差し指は、ゆっくりした同じリズムでクリトリスを撫ぜ上げていて、そこだけが少し火照ってくるのが判る。

気持ちいいわけじゃない。でも全身が神経になっているみたいだし、変に頭は冷めていて、お客さんがする事を一つ一つ覚えている。でも、濡れていた。

カーテンを開け放した窓からは、正面にオペラシティービルが見えていて、仕事をしている人達が小さく見えている。空に三角の屋根を突き出したホテルで、私は初めて体を直接現金に変えた。

行為が終わって、ラウンジで生まれて初めてカクテルを飲まされた。ガラス窓から都庁が直ぐ近くに見えて、ちょうど雨が落ちてくる。
「雨だね」
「そうですね」
「残り2時間あるね」

部屋に戻って、もう一度行為をした。帰り仕度をして、浴衣を二人分たたみ、ベッドシーツを直していて、お客さんにまた笑われた。

シーツにはうっすら血の跡があって、きっと処女膜は完全に擦り切れちゃったんだなぁ、って思った。



2004/04/06(火) side A : 花
差し込む日差しの作る影が、南の窓ではずいぶん短くなっている。その光を、いちばん受けることのできる二階の窓際には、お家の外では冬を越せない花達が並んでいる。

暮らしが変わってから、新しいお花はほとんど買っていなくて、前の年の朝顔の種を蒔き、葉っぱが枯れるまで育て続けてから堀り上げしたチューリップの球根を植え、植えっぱなしの水仙達も花を咲かせてくれた。今年もすずらんはいつもの場所から顔を出して、ちっちゃなお花をつけてくれたし、エニシダは黄色い花を、ジャスミンは白い花を、そしてそれぞれの春の香りをちゃんと届けてくれる。

今日、ハイビスカスの今年最初の花が開いた。おばぁちゃんの部屋の上、私の部屋の隣の母の部屋は、南東のベランダに面していて、冬を越す夏の花達が、今は母の代わりにその部屋を守ってくれている。その花達は母が買ってきて大切に育てていた。

今年も咲いてくれてありがとう。この夏は無理かも知れないけど、来年はおかぁさんにも見てほしいよね。

2004/04/05(月) side A: つばめ //  WISH YOU WERE HERE
「つばめさん、いつくるかな?」って、お店のホワイトボードに書かれて一週間が経った昨日、仕事へ向かう私の前を、スッと横切る影がある。半年経って、少しささくれ立って、少し壊れかけていた、お店の軒下の巣へ、修理する材料を運ぶつばめの姿がある。

このページのメッセージで、ご心配の言葉を貰った。私の暮らしをリアルの世界で知る人はいないし、これからも知られたくなんて無い。あまり自分の情報を公開してしまうと、ばれちゃうって言うご心配はありがたいし、もう少し注意しようとも思う。ありがとう。なので、過去日記を少し書き直そうとも思っていて、「あれっ?なんか前と違うじゃん」って思ったら、そういう事なんで宜しくお願いします。なんか、ネットも難しいなぁなんてちょっと思った。

私は暮らしていて、でも私の裏表の暮らしを知る人は、実際に暮らす世界には居なくて、そして裏と表のアイダに居る私を知る人は誰も居ない。それが耐えられなくて、ホームページを作ってみた。一昨年、個室でお客さんに殴られたとき、このページが無かったら、あの身体の傷みと、行き場のない想いを自分独りで抱いて、ほんとうにオカシクなっていた気がする。自分だけが読む、手書きの日記帳に書き綴っていたら、きっとそこには、怨嗟と自己憐憫の言葉だけが並んで、私はそこに逃げ込んでいたと思う。

何とか立っていられたのは、ネットに居る「ゆか」を知っている人がいて、長女でいい子ぶるのが好きな私は、とってもそんな風には思っていられなくても、「どう思うのが良いのだろう?」って考える事はできたし、それをここに書くことで、少しだけ冷静になれた。

日記を削除された時にも書いたので、繰り返しになってしまうけど、高校三年生の私は、まだまだ今よりも周りが見えていなくて、大人のつもりだけどまだまだ子供で、でも、色々なことを諦めてだけはいなかった。日記を書かなかった1年2ヶ月の間、ほんとうに色々なことがあって、何度も何度も投げ出したくなった時に、ここに置いていた言葉達、そしてその言葉に対して、かけて貰えた言葉に支えられて、今、私はここに居ることができる。

確かにこの日記を書くことで、リアルの私が見つかってしまうかも知れない。自分なりには判らないようにしているつもりだけど、ネットスキル、そして風俗スキルの高い人達が本気で探そうとすれば、それは可能なのかも知れない。

見つけて欲しい訳じゃない。きっと、知って欲しいとは思っている。

ある日、この日記が突然更新されなくなっても、私はきっとここに居る。ここだけが、私が私でいられる場所だから。

昨日見たつばめのように、きっと帰ってきます。

だから

WISH YOU WERE HERE

2004/04/04(日) side A : バスに乗る
バスに乗った。バスには誰も乗っていなかった。

一番後ろの席に座って、ちっちゃい頃はこの席に座るのが好きだったことを思い出す。運転手さんの隣や、すぐ後ろも好きだったんだけれど、小学校に上がる頃には、お年寄りや、おなかの大きなおかぁさんや、赤ちゃんを抱いた人が前に立つと、父も母も、必ず席から立つので、一番後ろの席で、大きな窓から小さくなっていく風景や、車や、人や犬を、眺めているのが好きだった。

冷房も暖房も入っていないバスなので、小雨の中で少し窓を開いてみる。桜の花びらがいくつか舞い込んできて、桜と雨の香りの風を吸い込む。

選抜試験に受かって、留学が決まり、嬉しくて堪らなかった時、でもその日は雨で、少しでも早くお家に帰りたくて乗ったバスのこの席で私はぴょんぴょん跳ねていた。

もう家にそれだけの余裕が無いこと、だから今回は諦めて欲しいと父に言われて、私は次の日に逆向きのバスに乗って、先生にそれを伝えにいった。自転車に乗る元気が無くてバスに乗った。
それがとてもつもない挫折のようで、世の中がすべて暗転したような気分で、憧れだったその街の本やパンフレットや、まだ受かってもいないのに、調べて調べて、作り上げていた生活マップを持っていって、「いらないかも知れないけど、補欠の人にあげてください」って渡した。「補欠の人」って言葉を吐いた時の私は、恐らく人生で壱弐を争う、嫌な顔と声だったと今でも思っている。

思えば、自転車で自由に動けるようになってから、バスの風景はいつも雨か暗い。

会えない事は判っていたけど、入院している母の、春のお洋服や下着を届けに今日はバスに乗った。父が居なくなったあと、母は車窓から景色を眺めるように、思いとは距離のある現実を暮らして、そして思いの中だけに生きるようになった。一度、私達の手で、引き戻せたはずだったけど、アルバムをめくり、昔の日々を思い出す中で、今度は、笑顔と、未来と、夢ばかりだった、私さえ存在しない、父と二人で過ごした日々に行ってしまった。

電車の速さなら、それが景色なんだとはっきり判る。信号で止まったり、カーブでスピードを落とすバスの車窓から見える風景は、そこに自分がいるような気がする。

春休みが終わって、大学へ通う。講義を聴きキャンパスを歩き、サークルで笑う私と、全身にローションを塗って、陰毛と性器でお客さんの全身をマットの上で洗い、ベッドで毎日4人以上と性行為をする私の、どちらが風景なのか、自信はない。でも、どちらも自分だって認めてしまうと、明日を迎えられない気もするし。

2004/04/03(土) side A : 手 そして 時計
その日、病院で父の顔を見たのは、祖母と私だけだった。「変わり果てた姿」とは、こういうのを言うんだろうなって、思ったことをすごく憶えている。

お医者さまと葬儀社の人達が、色々努力してくれたのだけれど、結局、棺の父の顔は、白い布で覆われることになって、当たり前だけどその姿は誰なのかよく判らなくて、未だに父を野辺に送った実感が薄いことにも繋がっている様な気もする。ずいぶん後になって読んだ本で、縊死した人の顔は、たいていそんな風になるって事を、今は知ってはいる。

何度も何度も、声を上げて、棺に取りすがろうとする母を、祖母と私と、前は専務と呼ばれ、私達は**のおじさんと呼んでいた、父の元友人の三人でなんとか抑えて、読経は終わり、顔の見えない体を、供物の花を折って覆っていったのだけれど、すべて覆えるほどの花は無くて、そのことも、悲しかった。

棺を閉じる時、普通なら開いている顔の部分の扉も最初から閉じられていて、私は父の手を握ってみた。私が力を入れると、同じ力で握り返してくれて、笑いあい、繋ぎあっていた手は、冷たくて、力も無くて、父の手だという感触さえ、もう無かった。

その腕に巻かれていた時計は、今はベルトだけは変えて、私が巻いている。自動巻きのその時計は、それから止まったことは無くて、つまり、父が居た時から止まったことは無い。

2004/04/02(金) 新しい靴
あの春に、父は自殺して、悲しむ暇も無く、母は心を病んで入院してしまった。最初はおばぁちゃんからお金を貰って、銀行に支払いに行ったり、どんどん大きくなっていく妹や弟の身の回りの物とかを買っていたのだけれど、ある日、夕食のお買い物に行こうとおばぁちゃんに声をかけると
「ゆかちゃん、もうお金が無いんだよ」
とポツリと言われた。
判ってはいた。父はもういなくて、入ってくるお金はおばぁちゃんの少ない年金だけで、私はコンビニでバイトはしていたけれど、学校が終わってから入るシフトで貰えるお金はたかが知れている。
父が親しかった弁護士さんの尽力で、お家も直ぐに追い出される事だけは防げていたけど、その日もどんどん近づいてきていた。
その時、まだ、決心出来ていない事があった。偶然の出会いから、私はUGの裏ビデオに出る話が進んでいてたのだけれど、企画を見せられて、「これでどう?」って確認されて、私の方からお願いした事でありながら、最終的な返事を一日延ばしにしていた。
「あっ、少し私が持ってるから、それで買い物してくるね!」「すまないねぇ・・・・」
朝起きたら、何かが変わっていて欲しかった。父が逝ってしまったのが、夢だとは言わないまでも、解約してしまっていた生命保険から、手続きのミスで、お金が降りるとか、おばぁちゃんが実は、すっごい額の貯金を持っていて、「今まで良く頑張ったね、もうお金の心配はいらないよ」ってニコニコ笑っているとか、父の遺品の背広のポケットから、宝くじの一等当たり券が出てくるとか、色々色々考えた。
でも、そんなことは何にも起こらなくて、少しづつ現実が近づいてきていた。
買い物に行こうと、玄関に脱ぎ捨てられた弟の靴を揃えようとして、底が減ってしまって、親指の処はもう布が薄くなり、以前の弟なら絶対文句を言っている事に気付く。今までマークとかにこだわっていた、ちょっとオシャレに興味が出てきていた妹の靴は、「これでいいよ」って私とダイクマで買った、390円のスニーカーだった。そして履けるサイズの靴はそれだけしか無かった。
幾つ朝が来たって、何かが変わることはないんだなぁ、って思って、私はスーパーマーケットの横にある公衆電話から、ビデオに出ること伝え、それから41日目に処女じゃなくなり、3ヶ月後にはカラダを売っていた。16歳だった。
昨日、新学期用の靴を三人で買いにいった。二人とも遠慮して、高い靴に手を出そうとしない。
「大丈夫だよ、おねぇちゃんバイト頑張ってるの知ってるんじゃン、二人とも!」
3年前より、サイズの大きくなった新品の靴が玄関に三足並ぶ。妹も弟も、もう子供サイズじゃなくて、大人の靴だ。今までの通学用の何足かの靴も、決して履けないほどくたびれている訳じゃないし、お出かけ用の靴も別にある。
暮らしは少しづつ落ち着いてきた。少しいびつな形だとしても、妹と弟はそれぞれ進級し、塾にも通い、妹はクラブ活動が楽しそうで、弟は地元のスポーツチームで学年のトップを切ってレギュラーになった。
もうすこし、もうすこし、このままでいよう。
でも、朝がきたら、変わっているかも知れないって、今でも思いはするんだけれど

2004/04/01(木) side A : 嘘の私
携帯にカメラが付いてから
お仕事のときにいつだって
注意しなくちゃならなくなった。

私の顔なんて、大したもんじゃないのに
お客さん達は、顔を撮りたがる。残したがる。

どんなに長いお客さんでも
どんなにお客さんとして信じている人でも
いつも注意しなくちゃならない。

私は、顔が写らなければ
ハメ撮りだって、お客さんが望むなら
OKしているし、ビデオだってOKしている。

なのにお客さんは顔を撮りたがる。

だから、最初に強く言ってる。
「顔だけはだめだよ」って。

なんか音がしたなって思ったら
横顔を撮られていた。

確認してみたら、ほとんど私とは判らなかったけど
約束は約束だ。

私はこんな顔です。
お仕事でも、学校でも、そしてお家でも
嘘ばっかりの私は、こんな顔です。

(すみません。写真は顔が判っちゃいそうな気もして4/3.17:00に削除しました)
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昨日の日記は
http://town.cgiboy.com/diary/?m=cl&md=e&pa=0&id=yuka618&sv=8&tar=7872
に書きました。もしお時間があれば読んでやってください。


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