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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

直接移動: 20066 月  20059 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月  200311 10 9 月  200212 10 8 7 6 月 

2002/06/30(日) 「エプロンをかけためんどり」「アンジュール」そして「おおきな木」
私はこの三つのお話を、妹と弟には読ませていない。いまの仕事を始める前から、まだ読ませない方がいいって、漠然と思っていた。

安房直子さんの「エプロンをかけためんどり」は幼い三人の子に心を残しながら天に召されたお母さんにかわいがられためんどりが、お母さんの心を少しでも継ぎたいと思って、エプロンをかけてその家庭にやってくる。お父さんも重宝がって、家事一切をそのめんどりに任せる。いつしか子どもたちはすっかりめんどりになつくんだけど、お父さんはそれがだんだん嫌になってきて、新しい奥さんを迎えようって事になる。その婚礼の準備もめんどりはいそいそとしているんだけど・・・・。思いもよらない、いえいえ、約束された結末がそこにあるんだよね。

ガブリエル・バンサン の「アンジュール」は、姿さえ見えない手につかまれた犬が、車の窓から投げ捨てられるシーンから始まる。それでも犬は、追っ掛けて追っ掛けて、必死で走って、見えなくなってゆく車を、ただただ見つめている。普通の童話なら、波瀾万丈の冒険があって、劇的な再会があって、そして幸せな結末が描かれるんだけど、このお話はそうではない。出会いはあるけど、それは・・・・。

「おおきな木」はこの3つの物語の中では、一番知られているかも知れない。「ぼくを探して」から「ビッグ・オーとの出会い」の倉橋由美子さん訳の三部作で有名なシェル・シルヴァスタインの作品だ。この物語は読むときの、自分の心と立っている場所で色んな表情を見せて、違った印象を私にくれる。それぞれのシーンで繰り返され、印象深いラストでも繰り返される「それでも木は幸せだった」っていう言葉は、形は違うけどいつも心に入ってくる。

あらすじを全部書いてしまいたい気もするけれど、それぞれのお話は、私の心に映った姿でしかなくて、きっと書いてしまったらその本のほんとの姿からは離れてしまうような気がしている。

妹と弟は、一年と少しの時が過ぎて、やっと笑えるようになってきた。他愛無い事で喜び、悲しみ、そして怒ることだって出来る。私にとってのこの3つのお話は、大人になる扉になった気がするし、今の風俗という仕事をしてゆける、大きな支えになっている。妹と弟には、もう少しだけ子供でいてほしい。私はリバーシブルな暮らしをしているけど、父さんが残してくれた3つだけの命なんだから、当分急いで大人になるのは、私だけでいい気がした。今年最初の桃を二人に剥いてあげながら、なんだかそんな事を思った。

2002/06/29(土) side B★処女を売りに行った日(1)
去年の春、私はまだ処女だった。唇さえ交わしたことがなかった。

お金が欲しかった。父が死んで、お金はなかった。家も出ていかなければならない話が進んでいて、学校だって続けられるかどうか判らない。母は心を閉ざして入院してしまっていた。「お金がほしい」バイトの募集をいくら読んでみたって、たいしたお金にはなりはしない。春休みから続けていたコンビニのバイトでは、毎日のおかずを買ったら、お小遣いなんて残らない。

駅前を歩いていた時、何気なく受取ったチラシが、今の私に繋がる。安手の印刷のその紙には、夜の飲み屋さんから始まって、キャバクラ経由でピンサロ、ヘルスからデリヘルまでの求人が載っていた。キャバクラ「時給5000円保証有り」サロン「日給32000円保証。高額歩合給制」うひゃ!今のバイトの一ヶ月シフトに入りっぱなしのお金が一日でもらえてしまう。でも水商売なんだ。そうか、その手があるのか。あんまりカワイイ方じゃないけど、一応若い女の子なんだ、私は。

いつも行かない本屋さんへ行って、夜系の求人誌を何冊か買い込んでみる。それを基にして、ネットで色々検索してみる。「お金は稼げそうだなぁ・・・。大変そうだけど」でも、「私に出来るかな?」ではなくて、正直、水商売への偏見が私を躊躇させる。

ちょうどその週、私の第二志望校へ通っている従妹が、学校へ連れて行ってくれる事になっていて、久しぶりに私は東京へ行った。お茶して分かれて、帰りに四谷から新宿で乗り換えて山手線に乗って原宿で降りて、私はぶらぶら表参道のイエロールビーまで歩いていく途中だった。「ねぇねぇ、カワイイね。モデルにならない?」「来たかよ?」て感じだったけど、お金になりそうな事ならなんでも聞いてみたかった。その時は。「オーディション受けて、レッスンしてデビューうんぬん」「ケッ、養成所系かよ」「すいません、お金ないんで〜〜、私ブスだし〜〜」白目むいて口を半開きで答えたら、向こうも「ケッ!」って言って離れていった。

フォレットを少しブラブラしてから、同潤会アパートメントの坂へ掛かる処で、また声をかけられる。って言うかいきなり写真を撮られた。「なんっすか?止めて下さいよ。」「カワイイねぇ、中学生?」「1年ちょっと前はね」「ひゃぁ、清純系?田舎から私学にでも出て来たの?」「いらん世話だよ、まったく」と思ったけど、「湘南だよ、お嬢さまだからさ」って少し笑ってみせる。時計はIWCだし、バッグはハンティングのブリーフケースだ。まとめて150万くらい?ロレックスとヴィトンじゃないのがちょっと気に入った。

名刺には「取締役 出版・映像プロデューサー」の肩書きと、(株)付きの会社名が書いてある。その名前は、レンタルの店でバイトしたときに見覚えがあるものだった。「清純系って声かけて、AVじゃん」「知ってるの?」「バイトで見たよん。中身はしらないけど」なんて感じの会話をした記憶がある。

「どこ行くの?」「イエロールビー」「@@ちゃんの店か?」「知ってるの?」「知ってるよ、ラットミュージシャンの**くんの紹介で知り合って飲んだ事も何度もあるよ。」@@ちゃんとは、イエロールビーのオーナーでデザイナーで、裏原宿&コギレイ系では知らない人はいないカリスマだ。プフもローターの商品もこの人の紹介で広まった事は、ちょっとファッションに興味のある高校生なら誰でも知っている。「けっこう凄い人じゃない?」ってそのスカウトマンを少し見直していた私がいた。

店まで一緒についてきたその人は、店員さんと冗談を言っていて、本当に店に出入りしている事が判る。少し商品を見て、店を出た私にその人は尋ねた。「欲しいの無いの?」「お金が無いの!」「ちょっと待って」お店に引き返しす前に、その人は、お店の前の自販機で何故かリアルゴールドを買って私に渡し、店の前のベンチに座らせた。「ほいっ。あげるよ」「えっ?」はしたないって思ったけど、私は袋の中を覗いてみた。その中には、私が手に取ってみた中で、本当に欲しいなって思ったTシャツとシャツと、カットソーと帽子が入っていた。「どうして判ったの?」「それを判るのが仕事なの」

潰れて寂れた雰囲気になっているキミジマビルの横を通って、左へ曲がってすぐのマックで、私達は少し話をした。私は言った。「処女売れないかな?**万円くらいで」「へっ?俺にウリを買えって言ってるの?」「違うよ、私、正真正銘の処女なんだよ。タンポンもおっかなくって入れてないんだよ、って言うのは嘘だけど」「わはは。それで?」「顔さえ映らなかったら、何でもする。一番高く処女が売れないかな?」「マジ?」「マジ!」「う〜ん、少し時間くれ。俺同じぐらいのギャラ払って買ってもいいよ」「それはダメ。もっと華々しく処女を無くしたい」「なんじゃ、そりゃ、変な奴だな」「あそこは形いいよ。って比べたこと無いけど」「バカか、お前、わはっははは。他に話を回すなよ。マジで動いてみるから」「前金もらってるじゃん。この袋、ありがとう。仏教徒で氏子でインディアンジュエリーつけている女子高校生は嘘つかない」「大田プロへ売るぞっ!マジで処女は大切にしておけよ。自転車には乗っても男と三角木馬には乗るな!っておれ高校生相手に何いってるんだ?」

録音をしておいたように、私はその時の会話は憶えている。話しながら私の決心は固まっていった。私は携帯の番号を書いて彼に渡し、彼は私に自宅と携帯の番号をくれた。「会社のメアドはOK?」「じゃ、プライベートの方へ」ってメアドももらった。

「いいビジネスになることを!」彼は、軽く手を挙げて交差点の方へ歩いて行った。わたしは地下鉄には乗らずに、歩いて原宿駅まで戻って電車で帰った。お財布には、東京往復割引切符復路用の他には、小さく折って横のカードケースに押し込んだ緊急用の千円札が一枚と、150円しかなかったから。

2002/06/28(金) side A★なんにもない君のおはなし
なんにもない君には、なんにも無かった。目も鼻も口も、もちろんまゆげも無かった。手もなければ足も胴体も頭もなんにも無かった。

ほんとうは、なんにもない君はみんな持っていた。なんにもない君はじぶんの鏡でちゃんと御化粧もできたし、チークをぬって、ブルーのマスカラとシャドーを強くひけば、ちょっとあゆにだって似ていると自分では思った。ピシチェに白いフォークロアの紐網のプルオーバーを合わせて、デニムのショッパンを合わせれば、キューティーのモデルにだってなれそうなくらい可愛いって思った。でも誰もそうは思わなかった。だって、他の人からは、なんにもない君にはなんにもないようにしか見えなかったから。

道を歩いていても、誰にも見えないなんにもない君は、人にぶつかれてしまう。でも、だれもぶつかった事にさえ気付いてくれなかった。

なんにもない君は、考えた。どうすればみんなに、なんにも無い訳じゃないって思ってもらえるんだろう?

なんにもない君は、毎日、道をお掃除してみる事にした。たばこの吸殻や、コンビニフーズの空袋なんかを、拾って拾って、箒で道のお掃除をした。何人かの人が道を誰かが掃除している事にだけは気付いてくれた。でもおばぁちゃんとおじぃちゃんばっかりで、あんまり嬉しく無かった。なんにもない君にはやっぱりだれも気付かなかったし。

なんにもない君は、電車の高架下の壁に絵を書いてみる事にした。けっこうイラストには自信があった。沢山の人が気付いてくれたけど、ボロクソにけなされて、そして次の日には消されていて「悪い奴がいる」って事になってしまったので、もうしなかった。

なんにもない君は、やっぱりお掃除を続ける事にした。雨が降っても雪が降っても、お日様がカンカン照りでも大風が吹いていてもお掃除を続けた。その道はいつもきれいだった。

なんにもない君はきれいな道が好きになった。

ある日、なんにもない君はいつものようにお掃除をしていた。そこへ大きな車が猛スピードで走って来て、なんにもない君を跳ね飛ばしてしまった。なんにもない君は死んでしまった。

何日か経って、道にはゴミが増えてきた。なんにもない君にもゴミが積もってしまって、街の人は初めて、なんにもない君がいた事を知った。

いたことを知っただけだったけど。

2002/06/25(火) side A★ 紫陽花
細い雨に色を増してゆく紫陽花が私は好きだ。春の花が一つ、また一つ命を終えてゆき、艶やかに咲き誇り美しさを競い合っていた薔薇たちが眠りにつく頃、この花は小さな手毬の姿を現す。

広くは無い庭の、西の垣根に沿って、私の肩の高さほどに切り揃えられたこの花の茂みがある。手前には、広がってゆく波紋のような、今はまだ、淡い水の色をした腰丈ほどのガク紫陽花も咲いていて、この季節には決まり事のように、葉には親指程の緑色の雨蛙と、蝸牛が姿を見せる。

去年の庭は荒れていた。丈が不揃いになってしまった紫陽花たちは、大きさも不揃いな花を揺らしていて、道にはみ出してしまった枝の、時折通る幅の広い自動車に触れて折れてしまった、まだ開ききっていない手毬は、花として愛でられることも無いまま、芥になって雨に濡れていた。

この家は父が愛した家だった。家族に恵まれない生い立ちを持った父が、母と出会い、私が生まれ、妹が生まれてから、棲家を探し、働いて働いて、一生懸命働いて、たくさんの夢と、たくさんの今日と、たくさんの明日たちを想いながら建てた家だった。その家で弟が生まれ、独り暮らしになった祖母も加わり、私たちは家族として暮らしてきた。

去年、父は逝った。自らの意志で。この家だけは私たちに残そうとして。

父さんほんと馬鹿だよ。大好きだったけど、お人好しで大雑把でとんちんかんで、詰めが甘い。母さんを保証人にしてた事もきっと忘れていたんだろうし、返済の終った分はまた抵当にいれちゃっていた事も忘れていたんだよね、きっと。

でも、なんとか私たちはこの家で暮らせている。殴り倒されるかも知れないけど、私はもう一人の私を作った。親不孝な娘だって事は、よーく判っている。

紫陽花が飾られた仏壇の前で、私は手を合せる。ちょっと太りすぎになってから撮ったその写真の父は、いつも目を細めているように見える。

「親不孝は謝らないよ、父さんの方がよっぽど娘不幸なんだから」

ちょっと舌を出して、もういちど手を合わせ、私は学校へ向う。少しづつ紫陽花は色を変えていた。

2002/06/24(月) すこし壊れちゃったみたいなのでお休みにする。
「reversible」。なんかいいじゃん。適当に作ったホムペだったんだけど、メールやメモやゲストブックに書き込みを貰って、けっこう楽しい。きっと、誰にも言えなかった事を文字にするって言うのは、私にとって良い事なんだって思うよ。

学校へ来ている時は、高校生になりきっている私がいる。スカートはウエストを折っているし、薄めだけどルーズをはいている。一応ejスミスだし。仕事のときは化粧も変えるし、頭の中身も切り替えなくちゃやっていられない。

最初はまったく切り替えが出来なくて、大変だった。私の最初の風俗は、会員制デークラの高い版みたいなのだったんだけど、最初はお客さんと何を話せばいいのかちっとも判んなかったし、返事も「はぁ、はぁ」ってダレた感じでしていたら、マジ切れされてヤバかった事もあった。

事務所にプロフを登録して、気に入ってもらえれば紹介するってシステムだったんだけど、一回の金額がめちゃ高なんで、あんまり稼げなかった。なんでそんなとこに行ったかって言えば、雑誌で見て、ネットで調べて、けっこうまともっぽい人がお客さんみたいだったし、せっかく身体を使うのなら稼ぎたかったし、「高級」ってのに惹かれたっていうのもあったよね、その頃は。

喫茶店とかホテルのラウンジとかで会って、食事をして、御酒を飲んで、ホテルっていうのが最初に説明された流れだったんだけど、実際にはホテルの部屋へ直行っていうのが一番多くて、普通のDCと何にも変わらなかった。助かったのは、って言うか、それが大変でもあったんだけど、プロフで指名しているから、チェンジは原則ないんだよね。

お客さんと顔を合わせた時に、ガッカリされるのにはとても傷ついた。今は色んな好みのお客さんがいる事も判っているし、目的は一つなんだから、私が誰かなんて関係無い事を知っている。ベットで楽しみたいから高いお金を払っているのだから好みと違った女の子がくれば、むかついたってしかたない。158cmで41kg。B83でBカップ、w58っていうのがその頃の私のスペックだった。痩せすぎで、まだ女になりきれていない身体。「炉マニア」なら喜んでもらえるけど、ホテルで遊ぶには貧弱な身体だって事は今なら判る。

何度か私は写真を撮られた。慣れていなくて断れなかったし、断った後のプレーが怖かった。顔を撮る事だけはなんとか避けられたつもりだけど、身体は何度も撮られた。再指名のお客さんに、大きくプリントした私の身体や、私の足の間を壁に貼って、プレーされた事がある。必死で顔を隠そうとしている私の下半身は無防備で、芯の芯まで露わになっている。なぜだか判らなかったけど、私は私の身体に「ごめんね、ごめんね」って心の中でなんどもあやまりながら、その日のプレーを過ごした事を忘れられない。その日を最後に、その事務所は辞めた。

一軒、別の事務所を経由して、今のお店で私は働くようになった。店舗を構えた風俗は、事務所を通す風俗とは全然違っていた。優しい先輩達がいて、いろんな事を教えてもらった。私が驚いたのは、想像以上に風俗以外の顔を持っている人が多い事だった。二つの顔。それを続けるには切り替えが必要。そんなアドバイスを貰いながら、今の私に少しづつなってきたんだよね。時々崩れるけど・・。

「reversible」なんとなく頭に浮かんだこの言葉が、なんだかとってもピッタリきた。今までの事も、少し整理できそうな気もする。この場所を作ってほんとに良かった気がしてきた。読んでくれてるみんな、ありがとう。

じゃ、教室に戻るね。次は日本史だ。

2002/06/23(日) すこし壊れちゃったみたいなのでお休みにする。
おはようっ!

昨日の日記を読み返すと、すごく恥ずかしい。消しちゃおうかとも思ったんだけどそんな風になっちゃう私もいる事を憶えておいた方がいいのでそのままにしておく事にする。

昨日はさざえさんを見ながらご飯を食べて、すぐにベットに入った。何度も何度も「眠れない」って夢を見ながら、浅い眠りが続いていた。ほんとに目が覚めたのは、もう窓の外が明るくなってきた時間で、枕元の時計は5時を指していたんだよね。9時間以上眠ってた。

なんとなく、眠くはないんだけど、頭がすっきりしない。そして胸がもやもやしている。風俗の仕事を始めてすぐには、こんな感じに良くなってた。風俗の仕事は、やっぱ私のままでは出来ない。風俗嬢のままでは、学校へいけないし、おうちの人とも付き合いにくい。バランスって言うのかな?まだまだ、自分でも良く判らないし、うまく表現はできないんだけど、二人の私が喧嘩する。そんな時は、友達の前で、お客さんに対するような私が出てしまったり、個室の中で、悪い意味での子供な私が出たりするので、「要注意」なんだ。

すこし、ベットでゴロゴロしていると、お庭で水道の音がする。短パンにTシャツで出てみると、早起きのおばぁちゃんが、お花たちに水をやっている。

「咲いてるよ、咲いてるよ」おばぁちゃんが指差す先には、まぁるい造花みたいな、ちっちゃい西洋朝顔のブルーが咲いていた。「ちっちゃいね」「これは、去年の種が自分で育ったんだよ。今年のはまだだね」って腰をさすりながらおばぁちゃんが言う。その花は、まだ蔓も延ばしていない株から、一輪だけ咲いている。

おばぁちゃんの指示で、お水をたくさん欲しがるお花だけにお水をあげる。ずいぶん前に、ホースで面白がってジャンジャカお庭に撒いていて、「それぞれ違うんだよ、お水をあげる時期は」っておばぁちゃんに叱られた事があった。ひまわりの苗の真ん中には、もうはっきり蕾が見えているし、おしろい花は本葉から茎が別かれだしてきている。

「楽しみだね!」「ああ、楽しみだねぇ」

すこし元気になってきたけど、今日は学校は休む事にした。身体の芯のほてりが、まだ少し心を捉えてしまっている気がするから。

2002/06/22(土) 貸切貸し出しへ行ってきました。
昨日、あと一本で終わりって時間に、店長に呼ばれた。「**さんが、貸切にしたいっていってるんだが出来るか?」「えっ?もう上がりですよ、私」「う〜ん、外出では無くて、貸切貸し出しを頼まれているんだ。なんとか頼めないかな、15本だしな」「え〜っ!丸一日じゃないですか、私外泊できませんよ〜、実家だし」「頼むよ、他ならぬ**さんだし」。**さんは店の常連さんで、私も2度外出した事がある。私だけのお客さんではなくて、色々な女の子をお気に入りにしていて、3人外出で連れ出して、食事をしてカラオケへ行って、プレイは無しでそのまま帰っちゃうような超上客さんなんだよね。

「明日休んでいいですか?」「勿論いいとも」と言って店長は頭の上で手で輪を作る。古いよ、めっちゃ。ダサっ。明日来てくれる予定のお客さんには悪いなぁって思いながらも、**さんの外出にはちょっと惹かれるものもある。貸し出しだけで2日分のお金がもらえるし。店は当日予約オンリーなんで、問題はないし。

家に電話をして、外泊を伝えて私は最後の1本を予約していた**さんの車で、食事に向かった。

首都高経由で東名に乗ってどんどん走る。BGMには、まだ聞いていなかった宇多田さんの新しいアルバムが流れている。こういうところが**さんらしい。小田原-厚木道路を1つ手前で降りて、西湘バイパスを少し走り、夕暮れの海を見る。ターンパイク経由で芦ノ湖を見ながら湯河原経由で熱海へ入り目的地についた。「桜ヶ岡茶寮」。「誰かと来るつもりだったのに、キャンセルされちゃったんだな・・・」と私は思ったけど勿論口には出さない。明日はゆっくりできて、2日分以上の収入を得られる。美味しい食事も付くし、いくらなんでも15回もプレイをしなくちゃいけないわけではないと思うし。

着いた時間は、普通なら夕食を始めるくらいの時間だったんだけど、私達はまず部屋付きの露天風呂で汗を流した。こじんまりした、傘が立っている露天風呂は、窮屈ではないけど、開放感はあんまりない。椅子に座った**さんを私は背中から流していき、当たり前のようにペニスを口に含む。舌を絡めていると隆起が口腔いっぱいになってきて、私は動きにゆっくりしたピストンを加える。カリの張りが強くなった処で口から離し、左腕を跨いで、石鹸を塗った私の足の間で洗ってゆく。右腕、左足、右足、そしてペニスを私で包み込む。マットはないので、石畳の流し場にバスタオルを敷いた上に**さんは座りなおして、ゆっくり腰をグラインドする私に、少しづつ動きを合わせてくる。指が降りてきて、繋がっているすぐ上の敏感な場所をゆっくりすべる。私は少しずつ高まっていって、あそこが動き出すのがわかるし、それに応える**さんを感じる。

自分はいかないまま、すこしぐったりなった私をひょいと抱き上げて、部屋までそのまま連れて行ってくれて、延べられた布団の上に私を降ろす。「お後は食後の楽しみだな」「渡辺淳一の読みすぎだよ」って思ったけど、それが今日の御約束なら、私はその世界の女でいる事にした。

懐石料理は素晴らしかった。少しだけお酒も御相伴した。

2ヶ所の露天風呂も貸し切って私達はプレーした。持って来てしまったのを見つけられてしまった制服はお客さんに頼まれたコスプレ用だと嘘をついて着たし、浴衣は一枚破ってしまった。布団の上で、次の間で、廊下で、御部屋の風呂で、押入れで、寝静まった庭の隅で、私達は何度も何度もプレーした。

こんな時に私は、本気で感じられるこの身体に、心から感謝する。もし、感じないままで、こんな長いプレーだったら、ホントに苦痛だったろうって思うんだよね。この身体のおかげで、私はこの仕事をしていられる。勿論、心は色々ある。でもやんなきゃならないのなら、少しでも楽しい方がいい。少しでも。

朝食をとってから、庭続きの石亭の露天風呂を借切って、もう一度プレーした。終わってから少しゆっくり浸かっているき、見上げる場所に、前にみんなで遊びに来ていたマンションが見えている事に気付く。部屋の場所だって憶えている。

その頃の家族の姿をちょっと思い出してしまって、少しだけうつむく。お客さんの前では涙は見せられないので、伏せ面で平泳ぎで二掻きしてから、私は御風呂をあがった。

**さんとは熱海駅で店へ二人で電話してから別れて、一人で電車に乗って、昼過ぎにお店に戻って、預かった土産と外出用の◎◎をフロントに渡して、控室に私の御土産を置いてきた。結局、あんまりゆっくりは出来ない休日になっちゃったけど、サザエさんは見れる。すこし痛いので、フェミニーナ軟膏でも塗っておくことにしよう。

こんな長い時間お客さんの相手をしていたのは初めてだったので、なんだか調子がおかしい。ご飯を作って、みんなで食べて、早く私に戻らなくちゃ。鏡に映る私の顔は、お店の壁に貼ってあるお客さんを誘うときの写真のままに、なってしまっているから。

2002/06/21(金) 今日からお仕事へ。
夏のような陽射しが眩しい。今日は波も立っているみたいで、お天気は最高!だけど私は海へは行けない。朝はまだ少し出血していたけれど、今日から私はお仕事に戻る。18才になって最初のお仕事だ。

学校から駅まで、チャリのペダルを踏んでいるだけで、ゆっくり汗ばんで来てしまう。お店について髪を洗う時間は無いので、少しペースダウンして、前髪も湿らないように、カッチンで止める。乗り込んだ電車の窓からは、紫陽花の並ぶ垣根が幾つも見えて、きっと葉の裏側には蝸牛が陽射しを避けているんだろうなんて、間抜けな事を考えていた。

電車を降りて、駅ビルの3階の一番奥のトイレで着替える。さいしょの頃に、乗り込む駅で着替えていたら、改札で先生に会ってしまって、慌てた事がある。制服のスカートも長めで、キチンと足を揃えて参考書を読みながら電車に乗っている、髪も結んだ女子高校生が、風俗へ仕事へ行くとは、みんな思わないみたいだ。

お気に入りのYRRGのカットソーとデニムのスカートに着替え、鞄と荷物は大き目のグレゴリーのマウンテンザックへ詰め込む。カヌーマンのレザートレッキングに履き替えて髪をほどいて手櫛で掻き揚げる。そして私はお店へ向う。今日は全部指名さんで埋まっていた。初めてのお客さんはやっぱり大変なので、少しほっとする。

お家に帰ると母がまだ起きている。「バイトお疲れ様。何か食べる?」未だに私はこの時だけは母の目を見ることが出来ない。「大丈夫、大丈夫、帰りに賄い食べさせてもらったから、少し勉強して眠るね。明日のバイトは早番だから、おやすみなさい」って部屋へ上がった。

今日の私は、5本のペニスをしゃぶり、五回、足と足の間にそれを受け入れ、五回いってもらって、¥万弱のお金をもらった。賄いは無いけど、モロゾフのチョコレートケーキと不二家のぺこちゃんパイを一つづつと崎陽軒のシューマイを少しお客さんと一緒に食べた。

来週は予備校の夏期講座のクラス選抜試験もあるんで、明日はお仕事、頑張らなくちゃ。だから、もう、眠らなくちゃ。この日記を読んでくれる人がいる事が、なんだかとっても嬉しい。ありがとう。そしておやすみなさい。

2002/06/20(木) 海に行く
タンポン突っ込んで海に行く(笑)

今日はお天気が最高。腰高くらいしか波は無いってネットには載っていたけど、オフショアらしいので、ボードを自転車にのっけて、海へ行った。今日は5限までで、速攻帰ってきたので海に着いたのは、4時くらいだった。

父さんから15の誕生日に貰ったRAINBOW’S-FINのボードは、湘南の低い波でもよく掴む。平日の水曜日なので、BBばかりでサーファーは少ない。一応スーツは着てきたけど、こんな天気の日、私は水着だけで波に乗る。それなりの波を何本か楽しんで海からあがり、ビニールのクーラーボックスから、ウイルキンソンのジンジャエールを取り出して砂浜で飲む。美味しい!

例によって、もやしみたいな生ッ白い細い足をしたほかの町から来たナンパ野郎が声をかけてくる。ウザイ。どうして、こいつらは揃いも揃って、ヴァカなんだろう?「ねぇねぇ、かわいいね、****に似てるって言われない?」「言われねぇよ。言われても嬉しくねぇよ!」とは言わずに、にっこり笑う。「大学生?高校生?」
「幼稚園児だよ!黄色い帽子と通園バックが見えねぇのかよ!」とは答えずに、はにかんで見せる。小首を傾げて。

西日が箱根の山の端に近づいて、波頭が金色に染まる。「ゆかちゃん元気!?」地元のおやじサーファー達が現れる時間が私は好きだ。家族を連れ、犬を連れ、そして綺麗に手入れしたボードを抱いて、長い時間、バドリングしてついた腕や肩の筋肉と、鍛えこんだ足の筋肉は彼らの暮らしに大切な物がある事を伝えている。

ナンパ君は退散し、私はもう何本か波を見つけて、夕日を左に見ながらテイクオフする。

今日は母が食事を作ってくれる。父が思わない形で死んでしまい、そのショックで世界を閉じてしまっていた母は、やっと最近すこし母に戻って来てくれている。だからやっと私は海には戻ることができた。

明後日からはまたバイトだ。もう少し稼がなくちゃ

2002/06/19(水) おばぁちゃんには大事件(^^;;
ちょっとまいったよ(笑)

昨日は雨だったし、すこし気分が落ち込んでいたんで、看板作りが終ってすぐにお家に帰ってごはんを作ってから日記を書いたりしていた。お仕事の事とか、少しディープな事もかいてみたりしていたんだけど、9時くらいにおばぁちゃんが「大変大変、ゆかちゃん大変だよ!!」って呼ぶので、「な〜に?」って言いながらリビングへ降りていった。おばちゃんは75才で少しだけ、記憶があやふやになる事が最近はある。

「黄門さまが変るんだよ、ゆかちゃん、しかも家来だった人が黄門さまになるんだよ!!」「はぁ?」

明るい表情をした母が、TV番組の黄門さまの石坂浩二さんが降板して、助さんだったか格さんだったか、松平長七郎だったかの、里見浩太郎さんが新「水戸黄門」になるってかいつまんで話してくれる。「だって、家来だよ!!」っておばちゃんはあくまで、そこが納得できないようだ。

父が死んで、母が心を患ってしまった頃、おばぁちゃんは少し曲がりかけていた背をピンっと伸ばして、この家を支えてくれた。理由はともかく、少し落ち着きを取り戻したこの家で、ほんの少しだけおばちゃんは子供に戻っていく。

「いいじゃん、黄門さまが終っちゃうより。うっかりはちべぇもいるし」「そうなんだけどねぇ・・・」

石坂浩二さんに変った時、あまり似合わないと思った私は、密かに次の黄門さまには、村山富市元首相が最適任だと思っていたんだけど、実現するはずはないな(笑)あっ、遅刻しそうだ、行ってきます!!

2002/06/18(火) お誕生日からはじめよう!
今日から生休。ピルを飲むようになって痛みは軽くなったし、期間は短い。私は、「うそっこ生理」って呼んでいるんだけど一年経って慣れてきたよ、やっと。

今日ホムペを作って、日記を書いてみることにした。なんとなく、こんな暮らしになっちゃったけど、よーく考えてみると、けっこう凄い毎日だよね。

昨日は雨が降っていて、さすがにお客さんが少なかった。でも指名さんが4本フリーさんが1本で¥万円にちょっと足りないお金をもらえた。うれしい。お店での私は今年21歳で、誕生日は10月29日だ。少し眉を濃くして、リップにグロスを多めにのせて、泣きはらしたマブタにすると、私は従妹の真☆子ねぇさんにそっくりだ。そう、お店のでの私は本名が「真美子さん」でお店の名前は「ま☆」なんだよね。その名前にもずいぶん慣れてきて、ねぇさんを「ま☆ちゃん」って呼ぶときにちょっと変な感じがある。

今日は、雨がひどかったので体育祭の看板作りを体育館でやった。誰かが「ナポレオンかっこいいよねって」言うので、ネットで検索して画像をDLしようとしたんだけど、印刷が出来ないってワイワイ言っている。「違うよっ!」って思うんだけど私は口には出さない。

4時半過ぎにコンビニにおやつを買出しに行ってひと休みする時に、PC室に忍び込んで、原寸原色をA3で、16分割拡大と32分割拡大を原色とグレースケールで印刷しておいた。100枚弱。

みんなが戻って来て、びっくりして「誰がやったの?」なんて感じでまたワイワイ騒いでいるけど、出来ているんだから、そのうちみんなで作業にかかる。悪い事はみんな何時までも気にして、犯人探しするんだけど、いいことしたのはすぐに忘れるし、誰かなんて探さない。そんな事を少しだけ思った。


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