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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

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2004/06/29(火) 波 そして 空
考えたくない。考えても答が出ない事だけが、ハッキリしているのだけど、でも、その事を認めたくなくて、また考えてしまう。

しなければならない事は、分かっていて、それをすればいい。でもしたくない。

今した方が良い事も分かっているのだけど、先延ばしにしたい。

先伸ばしたその時には、その時にしなければならない事が今以上に山積していて、きっと先延ばしにしたことをするのか、その時に当たらなければならいことをするのか、決めなければならなくて、後回しにした事が、またその先の時間を圧迫してしまう。

この1月ちょっと、そんな事ばかりを考えていた。

カラダを売る事、そしてソープで働く事を決めた時、私は17才で、そのことが今に繋がっていることは間違いないのだけれど、今の私なら、その決断を一日延ばしにして、結局、一番悪い形で、最終的には同じ決断をしたという確信がある。そしてそれは今の私には繋がらなかったと思う。

ソープで働きだした頃、まだ高校生だった私は、学校に行く前の早朝や、ほんの少し空いた時間に海に通った。wwwに言葉を残し始めた頃の日記には生理休暇中も、タンポンを入れて海で遊んでいたことをまだ幼い言葉で書いてある。

その頃のメインゲレンデは砂浜だったので、暖かくなり、人が少なくて、波が小さめの日には水着のままで、波に乗っていた。少しずつカラダは女になっていってはいたけれど、もの心ついた時から馴染んでいたその場所で、ほんとにずっと知っている地元のサーファーのみんなに混じって、子供の頃のまんまに戻って、遊んでいた。

砂浜に座って、凪になる直前の海で、立ち上がりもしない峰の厚い波でも、うまく掴んで乗っていた、若い頃の父の姿や、初めて一人でテイクオフできた日や、下手なファッションサーファーに突っ込まれて、額を切ったときに、顔を真っ赤にして、でも、私にぶつけたその人に、怒るのではなくて、回避の方法を教えていた父を思い出したりしていた。

死んでしまった父の顔なじみのみんなは、その事に触れはしないけど、どこかから私を見ていてくれて、明るく声を掛けていてくれた。

前は、波さえ良ければ、雨の海でも楽しかった。首筋に雨粒を感じながら沖に出て、霞む海岸へ向かってテイクオフし、顔に掛かる雨も真冬以外は心地よかった。

今は禁止されてしまったけれど、海から上がると震えてしまうそんな日に、砂浜であたる焚き火の暖かさと、木の燃える香りが好きだった。

お店を移ってから、あまり海に行けなくなった。俗に高級店と呼ばれる今のお店は、日焼けは禁止されている。水着の跡は厳禁だし、顔に髪で隠れた日焼けの跡でも付けようものなら、罰金モノだ。そして風邪を引いてしまう事は、全部のスケジュールをムチャクチャにしてしまうので、冷たい海には入らなくなった。

去年私は壊れてしまって、海にも行かなくなった。海に行けなくなって壊れたのかも知れないけど。

今年も先月くらいから、なんだか調子が悪くなってきた。答えの出しようの無い事ばかり考えて、考える事で、考える振りをすることで、また現実から逃げようとしたんだと思う。

梅雨の晴れ間の今日の海は、波はひざ下で、オンショアだったけど、ロングボードで何本かつかめた。陽射しはもう夏の陽射しで、光る波頭が目に痛い。少し夏雲も見える空には、いつものようにとんびが舞っている。

父が知っていた私より、身長は5cm高くなり、父が使っていたゴッデスのロングボードも、今年は片手で持てるようになっていた。

これでいいよね、これで。
父さん、私、間違っちゃったかも知れないけど、このまま行ってみるね、行けるまで。

波を教えてくれてありがとう。こんな空をずっと見せてくれてありがとう。やっぱり私はここが好きです。

2004/06/25(金) side A : 窓    
暑さを置き土産に台風は去って、一瞬、夏至の太陽に照らされた街は、今日は梅雨の風景に戻っている。

お店は歳末と並ぶ一番忙しい時期を迎えていて、私もローテーションを少し変え、いつもよりお仕事の比率を高めている。ほんとは、学校でも7月の初めにイベントがあるのだけれど、一人でも出来る、みんなが敬遠する雑用を引き受けて、なんとかバランスを取りながら毎日を過ごしている。

好きな講義には興味が湧くし、語学や**関連の新しく覚えなければならない事はますます難しくなってきて、貸切や外出を出来るだけ受け、学校とお仕事の間の時間を出来るだけ取り、なんとか遅れないように図書館や、**で机に向かう。でも遅れそうになる。

少しでも早く、お仕事をあがろうと思い過ぎると、今の暮らしが難しくなる。でも、どんどん難しくなる講義と、就活のことを考えたり**試験の準備の進行状況を考え始めると、今の暮らしを続けていて、それが可能なのか不安になる。

外出の部屋で、ふと見た窓に私が映っていた。ライトの当たっている部分だけ、夜景の中に浮かんでいる私は、なんだか、今の私そのままのような気がした。

2004/06/18(金) side A :   The rising sun
あの日、父の日記にあった、朝日を見たくて峠を登った。

ヘッドライトの狭い光の中に浮かぶ初めて走る道は、思わぬRのカーブが現れて、思い切り倒しこむ愛車は、何度もステップを擦って悲鳴をあげる。皮のグローブの中の手も、汗が滲んできて、でもカーブの出口にいつも視線を投げて、走り続ける。

登り傾斜が緩やかになったことを、エンジンの音が教えてくれ、身体も気付く。小さな展望用のスペースにバイクを止めて、ヘルメットを脱いだ髪は、重い雲の湿度を感じる。

もう、どうでもいいやって思っていた。もう帰らないような気もしていた。でもその前に、父の走った道を、少しだけ見ておこうかなって思って出た旅だった。

雲の向こうが少しだけ明るくなってくる。でも太陽は雲の向こうで、雲は厚い。

やっぱりね、やっぱりそうなんだよね、って呟きながら、ブーツで小石を蹴る。ぽーんって跳んだ小石は、崖から転げて落ちていく。

風が強くなる。強い風が、髪を嬲る。ライダースのポケットから取り出したゴーグルをかけて、手すりにもたれかかる。風はますます強くなる。

雲が突然流れ始めて、少しずつ空が見えてくる。朝靄は谷に満ち、見る見るうちに風は雲を追い、稜線から少し上がった、父の書いていた朝日が昇る。

きれいだった。

そして、私は、20歳の誕生日を迎えることができた。

2004/06/17(木) side A :   BIRTH DAY EVE
時計が天を指し、日付は変わって、私の生まれた日が来る。木曜日の夜も貸切で、久しぶりにBARにいた。

お店での誕生日は、今日じゃないので、普通の日が過ぎていく。

「ほんとは、今日が誕生日なんだ」

お客さんが、席を外した隙に、マスターに言ってみた。

ブランディーとアプリコットブランディーとブルーキュラソーとピーチツリーにライムジュースが用意される。いつものように、見惚れるほど綺麗な動きでマスターはシェイカーを振る。

レモンのお星様が飾られて、カクテルが出来上がる。

お客さんが席に戻ってきて、カクテルに気付き「きれいだなぁ」とつぶやく。

「おめでとう」

「えっ?何がマスター」とお客さん。

「お二人が今、一緒にいる幸せに」

「わははは。そりゃそうだ。乾杯!」

そのカクテルは、日本語にすると「幸せのお星さま」と言う。

ありがとう、マスター。

2004/06/16(水) side A :   夜は暗い
今日のお客さんは律儀な人で、外出の後、上がり時間までにお店まで送ってくれて、自宅へ帰っていった。

外出のときにこのホテルを使うお客さんは多い。高層階からの眺めは確かにいいし、コーナーの部屋を取れば、大きな窓を全開にして、窓際で行為を行っても肉眼ではどこからも見えない。

逆に言えば、超望遠レンズを使った、盗撮の聖地になっていることは、マニアな人は知っているけれど、顔が分かるほど解像は出来ないようなので、お客さんが望めば、私は望みの通りにする。

色々なお客さんと、私は何度も来ていて、本当は何人も顔見知りの従業員の人が居るけど、誰とも会話をしたことは無い。目礼だけの長いお付き合いだ。

今日は、またこの部屋に戻って、一人で眠ることにした。

観覧車の営業は終わっていたけれど、なぜかまだ回っていて、時々色を変える。駐車場にはまだ沢山車が止まっていて、灯りが点いている。

午前0時に、それはすべて突然消えて、闇にホテルの窓の光たちが、うっすら伸びていく。テールランプが尾を曳いて、埠頭へ車が曲がっていって、道も街灯の光だけになる。

夜はやはり、暗い。

2004/06/15(火) side A :   朝顔2号、そして3号
東の空の隅っこから、少しずつ夜は明けてきて、夏よりちょっとだけ淡い青が、少しずつ星を追ってゆく。私はそれをずっと見ていた。

昨日は一睡も出来なかった。

本棚の前をうろうろして、絵本を開き、そして閉じる。思いついて探してみた、今までいつだって笑えたような気がした、4コママンガの単行本も見つかりはしたのだけれど、表紙だけ見てやめた。

眠剤も飲んで何度かベッドに横になり、無理やり寝ようとして失敗し、また本棚へ行くけれど、やっぱり読める本は無かった。

あきらめて、色々考えてみた。想い出してみた。

南の窓から、夜が明けていくのをずっとみながら、いろんな思いが浮かぶ。


空に星は無くなって、でも、まだ薄暗い中でみんなにお水をあげはじめた。

今日は、朝顔2号と3号が咲いている。まだつるも伸びていないのに、ちっちゃいお花が咲いていた。

せめて、今日が晴れで良かった。

2004/06/14(月) side A :   ランタナ  
仕事帰りのお家への道は、なんだかやっぱりちょっと遠い。

同じ電車から降りた人達は、なんとなくあまり離れないように歩いていて、でも交差点のたびに少なくなる。

いつものように私も角を曲がると、なんだかいつもと景色が違う。振り向いて確かめてみても、そこにはいつもの景色があって、戸惑う。

そう言えば、電信柱が移動するって、チラシがはいっていたのを思い出す。

新しくなった電柱には、新しい形の明るい防犯灯が点いていて、それだけで、風景がこんなに違って見えるって事に気付く。

見慣れたランタナにも光が当たっていて、いつもと違う影ができていた。

おやすみ。

早く元気になりたい。

2004/06/13(日) side A :   見ていたと思っていた。(紫陽花ふたたび)
北のお庭の紫陽花が青を増す。

南のお庭は、頑張る春のお花と、いつもより早く咲き始めた夏のお花たちで、日に日に彩りにあふれてくる。

北のお庭には、あまりお陽様が無くても大丈夫なお花たちが多いので、春が終わると、ちょっと寂しくなってくる。

北東の角にある紫陽花は、ずっと前からあって、今年も南には少し遅れて、花をつけた。

透き通るような青い色を、日記に載せようと思い、デジカメで撮ったのだけれど、なぜかいつもとモードが違っていて、最高画質になっていた。

ディスプレイに開いたその画像は、細かいところまでしっかり解像されていて、ガク紫陽花のお花を、初めて見たような気になる。

知っているつもりだった。見ているつもりだった。

これからは、もっとちゃんと見るね。

教えてくれて、ありがとう。

2004/06/12(土) side A : サンパラソル
薄い乳白色の街は、霧に覆われているのかと見間違えてしまうのだけれど、玄関から出て空を見上げると、雲から続いている道が見える。

今日は開店前からの外出が入っていて、学校に行くより早い時間にお家を出る。

そんな日に、その花は開き始めた。

少しずつ開いていく花に見とれてしまって、濡れてもいいやって、傘は開かず駅まで走る。

今日は、ほおばっているときも、足を開いているときも、ベッドがきしんで汗が落ちてくるときも、目を閉じると、ずっとその花がよみがえっていた。

陽が射さない日のサンパラソルは、なんだかちょっと、悲しかった。

2004/06/11(金) side A :   ルドベキア
雨は止んでいて、お外に出していた植木鉢の受け皿の水は溢れていた。そして、ひまわりに似たルドベキアが咲き始める。

やっと少し落ち着いた。ご心配かけてごめんなさい。

心が嫌な感じで揺れ始めると、去年の事を思い出して怖くなる。今は病気の事にも少しは知識があって「病気」だったと判ってはいるけれど、その時は壊れてしまうのだと思った。

昨日まで出来ていたことが、今日は出来なくて、同じ事をするのにすごく時間がかかる。いつも頭にフィルターがかかっているようで、楽しいことは景色がぼけていて、嫌な思いは何倍にもなる。

最初は疲れているのかなぁ、とか、もう長くこんなシゴトを続けているので、私自身が変わっちゃたのかのなぁとも思った。

私は・・・・・・・・・・

*************************************

この後、原稿用紙だと30枚、ワードのファイルでも18枚以上の言葉を書いた。
「書き込み」のボタンを、何度も押そうとも思った。

でも止めにした。

そう、思うこともある。

でも、そう思わないこともある。

ちゃんと見よう。ちゃんと見たい。考えよう。

去年、なんとか戻ってこれたのは、ここに残していた18歳になったばかりの私の言葉達と、その言葉に対してもらった、ネットでつながることのできた、みんなからもらった言葉達のおかげだった。そのことは忘れない。忘れなければ、なんとかなる。

そして、今も私なんかのために、言葉をくれるみんながいて、私の拙い言葉を受け止めてくれるみんなが居てくれる。

ありがとう。ほんとにありがとう。

父が逝った次の年、一時退院していた母は、ルドベキアを沢山植えて、初めて見るその黄色い花はお庭に満ちて、母の居ない去年も、今年も咲く。

ルドベキアの日本名を知ったのは、今年になってからだった。

その名前は「大反魂草]と言う。

2004/06/08(火) side A :   ゆり     
ふっと、香りが流れてきて、花が開いたことを知る。

読みかけの本を開いたままで机に伏せて、ドアを開くとその華やかな香りにちょっとたじろぐ。

薄い西日が射し込むその窓辺で、花は次々と開き始め、部屋の色さえ変わるかと思うほど、濃い香りが部屋に満ちていく。

昨日、私は、とてもイライラしていた。

起き抜けに、足の小指をベッドの足にぶつけて、とても痛かったし、歯を磨こうとしたら、歯磨きチューブは空っぽで、グリグリ後ろから絞っていったら、ポンって洗面台の横に落ちてしまった。

何だか、指や肘の関節もキシキシ言っていて、その音が頭にまで昇っていく感覚がある。

何とか学校へは行って、生休中なのでサークルにも出ようと思っていたのだけれど、それも止め、お家に帰ってじっとしていた。

そして、ネットで毒を吐いてしまった。

自分に嫌な処が沢山あることは知っている。昨日眠るときには、ほんとに嫌で嫌で、そんな事ばかりを考えて、久しぶりに眠剤も飲んで、やっと眠った。

とりあえず、ピルで生理をあまりずらすのは、もうしない。先週からの不調は、それが原因かどうかは判らないけど。

落ち着こう、落ち着こう。

嫌な気持ちになった方、ご心配下さった方、ごめんなさい。

今日も早く帰ってきて、本を読んでいた。百合の香りに少し救われる。

今から、ゆっくりお料理もして、そして好きな本を読んで、少しだけ勉強もして、早く寝ます。

ちょっと早いけど、おやすみなさい。

2004/06/07(月) side A  雨のあいま
天気予報は近頃、しょっちゅう外れる。

伸び始めたグロキシニアを、一日だけ薄日に当てようと、薄曇りの天気予報を確かめ確かめ、お外に出しておいたら、雨が降った。

ビロードのようなその花は、夏の花なのに強い日差しには弱く、雨の中では花びらが溶けるように、しぼんでしまう。

朝、咲きかけていた花は、もう見る影も無く、雨の後に開いた花が、夕陽の中で、独りぽっちでちょっと寂しそうに揺れていた。

ごめんね。

その雨で、紫陽花はますます色を増し、また少し大きくなる。

おんなじ雨なのに。

2004/06/06(日) 梅雨の前の夏
降り始めた雨は、もう重い梅雨の雨で、傘をさしても、服は濡れる。

小さな霧のような雨粒達が街に満ちて、風景は薄灰色のレースで包まれる。

昨日までの陽射しの中で、夏の花たちが開き始めた。

今日の雨に打たれた花たちは、短い時を過ごして眠る。

忘れないよ。

忘れはしないよ。

梅雨の向こうには、必ず夏の光がある。

2004/06/04(金) side A :  晴れの土曜日 
向日葵の花芽が見える。

今年蒔いた種の苗たちは、少しずつ葉を広げ、少しずつ背を伸ばす。去年の種から自分で伸びてきた向日葵が、びっくりするほど急に大きくなって、今日は花芽が見えていた。

たくさんお洗濯をして、全部の窓を開いて風を入れる。手分けをして、ガーガー掃除機をかけて床も磨き、お洋服の入れ替えもした。

お昼過ぎには妹と弟はおでかけして、おばぁちゃんも市の催しものにケアハウスで知り合った、新しいお友達とでかけた。

天気のいい土曜日に、一人でお家にいるのは、ほんとに久しぶりだ。

眠ってしまったお花たちにさよならを言い、新しい種も少し蒔く。気になっていた事をちょっとだけ片付け、好きなCDを聞きながら、本の整理もして、贅沢にお昼寝もした。

少し西に傾いたお日様の中で、母が大切にしていた大輪のハイビスカスが咲く。肉厚の花弁がゆっくり開いて、姿を表す。

ちょっとカラダに無理をさせてしまって、今日はお仕事をお休みにした。迷惑をかけてしまってごめん。

夕食のおかずを買いに、街までも歩いた。休日の街は、ほんとに休日の顔で、こんな風景を見るのは、もう随分久しぶりな事に改めて気付く。

ほんとに久しぶりだった土曜のお休みはもう終わってしまった。

天気のいい休日が、こんなにステキだなんて、初めて知った。

2004/06/02(水) 結婚式
まっ白なウエディングドレスドレスのうしろ姿は、ほんとうに華奢で、カメラが近づいていくと、アッっと目を大きくして振り向き、母は、花のように微笑む。

友人たちが顔を出し、お祝いの言葉を次々と口にする。

そして、ちょっと緊張した父は、周りの人達に囃されながら、ベールを軽く上げて、おでこにキスをする。母の頬もちょっぴり染まり、歓声が上がって、今から式を挙げる教会が映り、蒼い空が映っていた。

撮影しているのはきっと父の友人で、素人撮りのそのビデオはピントがずれたり、的外れなアングルが延々と映っていたりもするのだけれど、その分、温かな感じがする。小さな教会は木造で、母が日曜学校に通っていた場所で、神父さんではなく牧師さんがいる。

木の長椅子に並ぶ人達も、近しい人達ばかりで、嬉しそうにみんな笑っている。「バージンロードに入っちゃダメだよ」って、カメラの人は姿の見えない声に叱られて、「スミマセン」って、自分の靴と、磨きこまれた床が、一瞬写るのも微笑ましい。
緊張しながら一歩ずつ歩く。そして、父と母は祭壇の前に並び、誓いの言葉に、力強く答える。

戸籍に最初から片親の名だけしか無い、家庭に恵まれなかった苦学生の父と、東京で何代も続いた商売を営む家に生まれた一人娘の母は出逢い、色々あったけれど、その日を迎えた。

嬉しそうで、本当に嬉しそうで、その気持ちが画面からも伝わって来る。

教会から、みんなが出てきて、出席者全員で写真を撮り、友人たちとそれぞれ写真を撮り、後ずさりする父を学生時代の友人たちが捕まえて、ちょっと心配そうに、でも楽しそうに笑っている母の前で、胴上げするところでそのビデオは終わっていた。

とても幸せそうな結婚式で、とても幸せそうな二人で、とても素敵な梅雨の合間の青空だった。

そのビデオを初めて見たのは、父が自殺し母が入院した後だった。

その箱には、頂いたお祝い電報の束や祝儀袋や、ささやかな宴のお品書きや席次表、色の褪せた箸袋まで入っていた。幼い頃に、母にせがんで見せてもらった結婚写真も、もちろん一緒だった。そして、
母が自分で縫った、ウエディングドレスが丁寧にしまわれていた。

今でも私は思う。もし結婚できる事があるのなら、あんな結婚式がしたい。少し黄ばんではいるけれど、あのウエディングドレスが着てみたい。

父と母はあの日の笑顔からはもう遠くて、そんな事を思う私は、同じ年の友達より、結婚には少し遠い。


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