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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

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2002/07/22(月) side A ★ あれから10日。
土曜日、私はまだ痣があるままお店に出た。控室にはいつもの何倍もお菓子があって、あれから毎日おばあさんが私の容態を尋ねに来ていて、その時に置いていくんだって知った。「もうイイって言っといて下さいね」とチーフに頼む。

痣に気付いたお客さんには、新しいサンダルで転んだ話をする。「こ〜んなで、あ〜んなんで、恥かしかったよん。」「ドジだなぁ」お客さんは笑う。「へへへ」と私は頭を掻く。

夜中、あのシーンが浮かんで、目が醒める。カラダがガクガク震えだして止まらない。お布団をかぶって、膝を抱えようとすると、背中が痛んで思わず呻き声を上げてしまう。背中を伸ばそうとすると、みぞおちの横のあばら骨が軋む感じがある。

10日経って、痣はずいぶん目立たなくはなってくれた。少し早めにピルを止めて生理にし、短縮でほとんど授業の無い学校は、風邪を理由に休んだ。5日間。

ほんとに痛いんだから、演技はしなくても病人らしかったし、再検査を含めて病院にも4度行った。検査の結果はすべて大丈夫で安心する。性病関係も大丈夫で、精液自体の検査も大丈夫だったので、HIVや肝炎や遅発生性性病の心配も無くなってすこし気持が軽くなる。

でも、勉強しようとしても頭に入らない。なんだかフェードがかかったみたいに、見るものも、考えも、感じる事もすべてがぼやけている。20日からは夏季講座にも通っているんだけど、調子が良くない。なんで、こんな時期にあんな事が起こっちゃうんだよ、って何かに向かって呪いの言葉を吐きたくなってしまう。でも、呪いたくなるような事の出来る人は、呪ったって痛くも痒くもない心しか持っていやしない事ぐらいは知っている。お客さんは心をどこかに忘れて来てしまった人だし。

恨んでいないと言えば嘘になる。でも、心を忘れて来てしまったきっかけが、もしおじいさんが言っていた通りなら、恨めない。恨んではいけない。あの時私が怒りを感じてしまったのは、私に謝りながらも、私の事が見えていなかった、おじいさんとおばあさんの瞳と心にだった。お客さんはもう、自分に閉じこもってしまっていて、私が全裸になった時に拍手したのも、きっとテレビのフレームの向こうにいる、アニメキャラの女の子が脱いでいるのと区別はついていなかったんだと、今は思う。そして、3人で肩を寄せ合って暮らしている家族が、まず身内にしか目がいかないのは仕方ない事だとも思う。

私の母は、一時、完全に心を閉ざしていた。一番大変な時に、頑張って欲しい時に心を閉ざしてしまった。おいてきぼりにされてしまった私は、結局自分で考えて今の暮らしを選んだ。母にとって父がどんなに大切で、どんなに好きで、ずっとずっと一緒に居たかったのに、一人で勝手に逝ってしまった父を、受け入れることが出来なかったんだと思いあたったから。

なんとなく調子が悪い私に、妹が朝食を作ってくれた。ちょっとコゲてしまったフレンチトーストだったけど、不揃いな切り口のサラダとインスタントのスープも添えてあった。

洗い物をしている妹は、何時の間にか、踏み台が無くても、料理が出来る背丈になっている事に、私は気付く。弟は慣れない手つきで、お皿を拭いている。

「おねぇちゃん、もっとお手伝いするね」

頑張ろう。震えている暇なんてない。今日は予備校が終わってお店に入る。火曜日なんで、きっと来てくれるだろう常連さんの顔が何人か浮かぶ。

頑張ろう。

2002/07/12(金) side B★ 血が出るまで殴られた。
お仕事はお休み。

目が腫れて、口の内側が切れていて痛い。あそこも少し傷がある。風俗の仕事を始めてから一番ショックな日だった。身体も何ヶ所も痣になってしまっている。

ラストのご案内でボーイさんから紹介された時に、なんだか嫌な気はした。すごく若いんだけど1m80以上はあるガッシリした人。でも目が何だか泳いでいる感じがする。って言っても、これはお仕事だし、今までも、初めて会った時にそんな感じでも、お上がりの時にはニコニコさんになってもらえる事も、特に最近は多くなってきていたので、自惚れもあったかもしれない。

「あれ?」って思ったのは、服を脱ぐのを御手伝いしてから、湯船にご案内した時だった。「お客さん、なんてお呼びすればいいですか?」ってハート付きで話し掛けた答えは「お前みたいなバイタに呼ばれたくねーよ」だった。びっくりした。「すいません、ご気分なおしてくださいね」の答えは、「しゃべるんじゃねーよ」だった。しかたないので頷いて、椅子にタオルを掛けて、すこしシャワーで暖かくした。湯船から上がる気配がしたので振り向こうとすると、いきなり口をタオルで抑えられた。「ヤバイ」って思って、講習で習った護身術を使おうとしたんだけどまったく役に立たなくて、足はお客さんの足で抑えられてしまい、両手は片手でまとめてねじ上げられ、タオルはすばやく後ろで結ばれた。

上向きにされて、平手でタオルの上から殴られた。二度三度四度。そして最後に拳で一度。血の味が広がって、口の中が切れたのが判る。気が少し遠くなる。そのまま、足を掴まれたまま上げられて、いきなり挿入されてしまった。もちろんゴムなんてつけていない。

逃げようとするんだけど、力が及ばない。でもその時頭に浮かんでいたのは、事件になっちゃったら、お家のみんなに知られてしまう。お友達にも知られてしまう。学校にだってばれてしまう。そんな事ばかりだった。ベットとマットの間の床で、私はまた少しもがいた。みぞおちにショックを受けて、息が詰まって、ちょっとそれから記憶がない。

そんなに時間は経っていないと思うけど、液が流れ出す嫌な感覚で意識が戻る。生まれて初めて、私の内側は体液の感覚を知る。ノロノロと起き上がろうとすると、今度は足の甲で腹を蹴り上げられて、私は壁に飛んだ。

すごい音がして、スチーマーの横へ倒れたとこには、フロントへのブザーがある。こんな時のための。指を伸ばそうとした時に、店長とボーイさん二人がドアを開けて入ってきてくれて、即座にお客さんを抑えてくれた。お客さんは、もうニコニコ笑っていて、抵抗もしなかった。

「気付かなかった、スマン」店長は車の中で何度も謝ってくれた。「あんまり無理しちゃだめよ」って、祖母の声に、「楽したいんで、バイトの先輩の家に泊めてもらうんだもん、大丈夫だよん。心配しないでね」で電話を切る。しゃべるのが辛い。一応CTも撮った。レントゲンの結果は骨折もヒビも無かったし、口の中も縫うほどでは無かったので、ゼリー状の止血剤と全身にある打撲の治療だけで終わって私達は店に帰った。一応診断書は取った。私の本当の名前じゃないけど。深夜の病院廊下は、ぼぅっと暗くて、父が死んだ日の病院の風景に似ているなぁって思った。出口の処にあった鏡に映った私は、瞼が腫れて、すこし目の周りにも痣が出来ている。

警察は呼んでいなくて、私はホッとする。お客さんは、事務室の椅子に座っていて、おじいさんとおばさんがその横に座っていて、地域責任者の「部長」と呼ばれるお店の偉い人と話をしている。

「このコですよ。見てやってください。」私は迷わず、全部服を脱いだ。背中にはまだ赤いままの痣があるし、両足の股から足首まで、指の跡が何箇所もくっきりついている。そしてみぞおちには拳と四角形の痣が重なっている。突然お客さんが、笑いながら拍手をする。「どうします?」部長がゆっくり言葉をつなぐ。

「すいません、すいません、出来るだけの事はしますから、許してください」おじいさんとおばぁさんは私に手を合わせて拝む。「この子は不憫な子で・・・・・」

その「不憫な話」を私は少しだけ全裸のままで聞いていた。この人達の頭には、私が全裸であることも、痣があることも、生きていることも目には入っていやしない。あるのは「不憫なお孫さん」のことだけで、この騒ぎから、救い出すことしか絶対に無いって思った。

「それは判りましたから、どうしますか?」もう一度、部長が言葉をつなぐ。「おいくらくらい差し上げれば・・・・」値踏みするように、私を見ながら、おじいさんの方が口を開く。

「このコは売れっ子です。一日**万円収入があって、店は**万円の利益があります。2週間は仕事が出来ないでしょう。そして、こんな有り様の身体になって、精神的苦痛もあったはずです。どうしますか?」「とってもそんなお金は・・・」

「警察呼んで」部長は短く店長に命令する。店長は受話器を持つ。
「判りました。明日用意します。」「明日用意するんですね。明日は土曜日です。明日用意できるお金なら、今日この場で用意できるはずです。コンビニに銀行のディスペンザーがありますから、今は」

お金はその場で用意され、配分は接客の時とまったく同じだった。慰謝料分は全額私が貰った。

「辞めるなよ」駅前のシティーホテルの支払も済ませてた部長と店長は鍵を渡す時に、そう言った。「少しゆっくり休め。でも辞めるな。あんな客ばかりではない事はお前が一番知ってるだろ。」

辞めるもんか。早く治してまた私は店に出る。そうしてお金を払って、そして貯めて、みんなで父の大好きだった家で暮らすんだ。大学にも行きたい。妹と弟も大学へ行かせたい。母にもホントに元気になってほしい。

指名してもいない私を、ちょっとだけ許してください、常連さんたち。痣さえ薄くなれば、仕事は出来る。それまで。

あんな奴で、私の心は傷ついてなんてやるもんか。ぜったいに。

2002/07/10(水) side A☆三日遅れで見た「濱マイク」@季節も時もない街
ふー、忙しい。学校も仕事も。

ボーナス後の今の時期のお店は戦場だ。セットの時間も惜しんでお店は箱を回す。初見のお客さんも増えるし、常連さんの頻度も上がってくるんで、休めないし、毎日ラスト一本前までお仕事をして、終電に飛び乗って家へ戻って来ても、一時近くになってしまう。バイトの設定は「居酒屋さん」なので、あんまり怪しまれたりはしなんだけど、さすがにネットをしている暇も無いんだよね。

昨日は台風が来るかも知れなかったので、お店は休ませてもらえた。つうか、さすがに夜は暇だったって、今日出勤確認の電話をしたとき、チーフが言っていた。

楽しみに録画していた、「濱マイク」の第二話をゆっくり見る。第一話もすごくかっこ良かったんだけど、第二話は凄いなぁって思った。

季節も時代もこの話には無かった。ただ人がいて、想いがあって、感情があって、言葉があって、行き止まりな話があった。マイクはいつものように、コートを着ていて、元憂歌団の木村さんはシャツを着ていて、郵便配達は上着を着ていて、歌姫役のUAはキャミ一枚で、キャバクラ嬢たちは、時代も季節も判んないドレスを着ていた。

今のようで今でなく、昔のようで昔でない。第一話はそれでも季節は秋から冬のような色があったんだけど、このお話にはそれさえ無くて、ただただ人が絡み合って暮らしていた。

木村さんがマイクに渡す順路は、テープのような細長い紙で、それを辿ってマイクは家を探す。それには全体像は何処にも書いてなくて、「右→左→降りる→」なんて感じで、その場の事しか書いてなかった。

「そんなもんかも知れないな。暮らしていくって事は。」なんて、とっても不安定なシーソーの上にも安息はあった、ちっちゃかった日の公園をなんとなく思い出した。時々向かいに乗っていた父が、意地悪をしてリズムを変えても、それはそれで楽しかった事も思い出す。

なんか、そんな事が書きたくて、予定より、少し早くついたお店のPCから日記をアップしてみる。今日も予約は全部入っていて、あと30分後には、私はお客さんに抱かれているんだけど。


2002/07/06(土) side A ★ 体育祭でした。
楽しかった。梅雨の切れ間の空は、もう夏の色だったし、私はこの一年ちょっとが無かったように、高校生だった。

けっきょく、応援の看板はナポレオンだったんだけど、仕上げが悪くて、何だかお笑い芸人さんの衣装みたいになっちゃて、イマイチだった。普通の体育の時は、指定は無いので、みんな適当な格好をしているんだけど、今日は色別にアイロンプリントで作ったマーク入りの揃いのTシャツを着ている。なんだか私は高校生で、18才で、ここにいるんだなぁってほんとに思う。

幼稚園にに入園して、生まれて初めての運動会の日、私はその日を、とってもとっても楽しみにしていた。幼稚園の運動会なんで、おゆうぎも、借り物競争も母と一緒に練習していて、その二つの競技って言うか、出し物は母と手をつないで出ることになっていた。

入場門にみんなで移動する時間になっても、観客席に母の姿が無かった。お友だちはみんな、その姿を見つけてはしゃいでいるのに、私の母だけが見当たらない。放送があって、整列が始まると、それぞれおかぁさんが来てくれて、順番に手をつないで並んでゆく。私は伸び上がって観客席を見回し、私の家の方の道路を見、そしてまた観客席を見回す。

「妹さんが、急に熱を出してしまって、おかあさん来れなくなったって電話があったよ。今日は先生と踊ろうね。」後ろから、ポンと肩を叩かれて、振り向いたところに立っていた園長先生が私に言った。今でもそのシーンを鮮明に憶えている。

音楽が鳴り始めて、行進する時に、ポロポロ出てくる涙で、私はなんにも見えていなかった。明るい曲調のその歌が、何だかとっても恨めしかった。手をつなぎながら、わざとその手にぶら下がったりする、おともだちがとっても憎らしかった。

曲が変わって、おゆうぎが始まって、私はほとんど力の入らない手を園長先生に握られ、うつむいたまま、音楽に合わせて動いていた。

「ゆかぁ、頑張れ!」

目を上げると、そこに作業服を着た父がいた。園長先生は手招きして、父を呼び寄せ私の手を父に預けた。

一度も練習さえ見たことの無い父のおゆうぎはめちゃくちゃで、懸命にまわりの人に合わせようとするのだけれど、あっちでぶつかり、こっちでよろけて、とってもかっこ悪かった。

でも、嬉しかった。

その後すぐに、年長組さんのリレーが終わって、お昼のおべんとうも父と食べた。きっと会社から全力でお家へ戻って、全力で幼稚園まで走って来ただろう、父が開いてくれた母の作ったおべんとうは、おにぎりと銀紙の持ち手のついた鳥の唐揚げもごちゃごちゃになっていて、でも、でも、とっても美味しかった。

今日の私は、100mでも、リレーの三番手でも走って、どちらも一着だった。そして、ダンスでは前にちょっといいなって思っていた1年生の時のクラスメイトの@@君とラストで当たって、一番長く手を繋いでいれた事も嬉しかった。

結局私達の色は2位だったけど、旗の周りでみんなで記念撮影もして、とっても盛り上がっていた。いつか、お母さんになってちっちゃい君の運動会に行けたら楽しいだろうなぁ、なんて楽しい思いもこみ上げてきた。

でも、父はもういなくて、私は明日、また私を売る。

2002/07/02(火) side B★夏期講習クラス選抜テストの後に、外出でお相手した日(^^;;
昨日は疲れた。本当はお仕事休もうと思っていたんだけど、貸切が入ったんで、迷ったんだけど行ってきました。ボーナスも出始めたんで、お店は忙しい。って言うか一番の稼ぎ時なんで、箱以上の成績を出せば、店長のボーナスがいっぱい出るみたいなんだよね。ボーイさんたちの分も。ここは協力しておこうって感じもあった。

1年生の時は、夜間の補習に通っていた。でも、色々あって通えなくなってしまったし、お仕事を始めてからは、時間が取れなくなってしまった。私の志望学部はAO入試制度があるので、最初はそっちを狙っていた。中学時代からちょっとした受賞経歴は重ねていたし、ほんとは去年、留学の予定があった。選抜には受かっていたし。風俗の経験では、ちょっとそこらの女子高校生には負けない自信はあるけど、そんな成果は、出願書類には書けないしね(^^;;。勿論って言うか、去年の前半は成績はボロボロになったし、今は少しは復活しているけど、志望校の一般入試にはちょっと届かない状況になってしまっている。第一志望学部だと、外国語と小論文だけになるし、そのレベルの英語になると、今の勉強と能力じゃちょっと届かないような気もしている。努力はするけど。違うキャンパスの第二志望学部もA方式ではちょっと間に合いそうにないので、B方式を選択すると、各科目の得点レベルが上がっちゃうので、相当お勉強しないと難しいんだよね。直前の模擬試験の合否判定は50%って出ちゃったし。

なんて事を考えながら、夏期講習クラス選抜テストを受けて、まぁまぁ出来たんだけど、それからお店へ行って、貸切外出用の◎◎を受取って、お客さんの顔を見ても、頭が「受験生」なんだよね、困った事に。これじゃぁいけない。

中華街の私のお気に入りの**園で食事をしてから、お客さんが泊まっている、高層ホテルの部屋へ行った。このホテルは外出でよく来る。今日のお客さんとは初めてなんだけど。

お風呂には丸い窓があって、夜景がよく見える。シャワーブースでまずしっかりお仕事をしてから、バスタブの中でも仕事を続ける。窓の外が見える体位で、後ろからされて、「すごいだろう」を連発された。「みんなそう言うね」って思ったけど、勿論、口には出さない。地上300m近いその部屋からは、氷川丸の明かりも雨に煙っていて、山下公園へ続く道には土曜の夜のドライブを楽しむ車の、赤いテールランプが連なってみえる。「横浜開港=最初に調印された日米修好通商条約では、1859年(安政6年)7月4日に開港することになっていたが、結局、最恵国家条款により5カ国、即ち米・蘭・露・英・仏すべてに対し7月1日(陰暦6月2日)に開港されることになった。」なんて事が、頭に浮かんでしまう。

部屋へ戻って、カーテンを全開にした窓際に、お客さんは私を立たせる。ルームサービスのオードブルとフルーツがテーブルに乗っていて、ウイスキーをゆっくりロックグラスに注ぎながら、私にポーズをつける。私はその通りの姿勢をして、微笑を浮かべる。軽く腰掛けられるくらいの、その窓際の舞台は、三つの面がすべてガラス張りの角部屋に延びていた。その舞台で私はマリオネットのように、お客さんの言う通りに踊っていた。なんだか、ほんとうにマリオネットになったようで、自分がどこにいるのか、私が誰なんだかちょっと自信が無くなった。

少しづつ時間が経って、サブテーブルを窓際に寄せたお客さんは、私をその上に座らせて、窓側に向かって開脚させ、後ろから私の芯をまさぐる。ゆっくりと、ゆっくりとなで上げて、私が少しづつ上気していくのを、楽しんでいる。私は雨のフィルター越しに、ネオンと窓の明かりが広がる横浜の街に、すべてをさらけ出して、少しづつ高まっていく。ふいに、指が止まり、テーブルは街側からホテルの他の部屋の窓側に移される。いくつかのさらに高層階の窓は、カーテンが開かれていて部屋の明かりが漏れている。お客さんはカーテンを引いて、自分だけはその陰にまわり、私はカーテンの外で、開脚したままで愛撫を続けられる。幾つかの窓から、幾つかの目が私を見ているのが判る。あからさまに指を指す姿も視線に入る。そして私の姿が窓に写っている事に気付いた。まるで真っ暗な夜に浮かぶ、この世には無い蜃気楼みたいに。

愛撫は終わり、テーブルから降り、窓に手をついて腰を突き出した私に、お客さんは後ろから刺さってくる。ベッドへ戻り、プレーを続け、高まってきたお客さんは、また私を窓際に戻す。ちょうど、観覧車の灯りが落ちるとき、お客さんはいってくれた。

部屋から二人で店へ電話を入れて、タクシー代を渡されて、今日も一人で店へ戻った。清算をしてもらってお家へ向かう頃、少しだけ窓からの風景を思い出す。その場所にいた時は、まるでテレビを見ているようだったそのシーンとその風景の中で、全裸でうごめいていたのは、間違いなく私なんだと、やっと判った。

2002/07/01(月) side A★ ひとりぽっちのライオンと小さな女の子のおはなし
サバンナの中にポツンとある、忘れ去られた神殿に、ライオンは長いことひとりぽっちで暮らしていました。ある日その神殿に、小さな女の子が来ました。

「いらっしゃい、でも私はお腹がすいているのできみを食べないといけないんだよ」

小さな緑のトランクと、小さな熊のぬいぐるみを両手にさげた女の子は、ちょっと困った表情を浮かべてからこう言いました。

「このトランクにはお菓子がいっぱい入ってるので、それを食べてからにしませんか?」

小さなトランクには思いもよらないほど、美味しいお菓子がたくさん入っていたので、ライオンはそれを食べて、満足して眠りました。

何日か経って、ライオンはまたお腹がへってしまいました。
「悪いんだけど、そろそろきみを食べる時がきたようだね。

「このトランクには、丈夫なナイフが入っています。このナイフで木の実をたくさん採って来ますから、それを食べてからにしませんか?」

木の実はお肉のような味がして、ライオンはそれを食べて、満足して眠りました。

何日か経って、ライオンはまたお腹がへってしまいました。
「悪いんだけど、そろそろきみを食べる時がきたようだね。」

「このトランクには、1発だけ撃つことの出来る拳銃が入っています。この拳銃で可哀相だけど動物を取って来ますから、それを食べてからにしませんか?」

女の子がちょっとべそをかきながら、連れて来たもう命の無い動物の肉は、とても美味しかったので、ライオンはそれを食べて、満足して眠りました。

何日か経って、ライオンはまたお腹がへってしまいました。
「悪いんだけど、そろそろきみを食べる時がきたようだね。それともまたトランクから何か出してくれるのかな?」

「このトランクには、もう私が大好きなしゃぼん玉しか入っていません。しかたがないので、私を食べて下さいね」

しかたがないので、ライオンは女の子を食べてしまいました。

「まだまだトランクから何か出てくる気がしたのに残念だな・・・」

女の子を食べてお腹が大きくなったライオンは、大きなあくびをしました。その口からは、食べられる時に、女の子が大切に握っていたしゃぼん玉が、大きな円を創って、風に乗って飛んでいきました。

そのしゃぼん玉を見ていて、なんだかライオンは悲しくなりました、目から涙が出て、いつしか小さな熊のぬいぐるみを抱き、緑のトランクを叩きながら、しゃくりあげて泣いてしまいました。

ライオンの口から、そして鼻からもしゃぼん玉がたくさん生まれて、サバンナの青い空へ、昇っていきました。


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