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最新の絵日記ダイジェスト
2006/06/04 side A: ひさしぶり
2005/09/17 side A : ひまわり
2005/09/16 side A : 空 
2005/09/15 side A : そして
2005/05/23 side A : レースフラワー

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2004/07/31(土) side A: 湘南の青い海 ふたたび
7月19日に書いた、湘南の青い海が撮れました!
満潮に近いので、ちょっと見難いかもしれませんが
みなさまにもどうぞ!

2004/07/30(金) side B:   そして学生としての夏休みが始まりソープ嬢としての夏が始まる
去年の試験期間は、仕事を休んだ。そして、試験期間は完全に学生になってしまっていて、ううん、学生だけでいたいと思って、でもお金のことが気になって、気になって、試験が終わると同時に通しでスケジュールを入れ、朝からラス前まで個室や外出先のベッドの上で、学生の心のまんまで仕事をしていた。

足を開くときに、キャンパスの風景が浮かび、性器を愛撫している時に、おずおずと好意を私に伝えたくて、でもそれができなくて、顔を赤らめる先輩が浮かんだりした。

調べたい事が頭に浮かび、頭にメモしながら、コンドームを口に含んで装着し、頭を振って裏筋を舐めていた。

そんな事を思いながら一日に何人ものお客さんの性器を受け入れ、その何倍か射精を誘い、そして何十倍もキスをした。

紙とインクの真新しい香りのするテキストを一ページずつ丁寧に開いて、教壇から溢れてくる新しい知識や感動を、ノートに、頭に残そうとし、残せたつもりで臨んだ試験で、どこかで漏れてしまった一つ一つに愕然とし、自分の能力の無さを呪った。

ソープの仕事で時間がタイトなことを言い訳にし、自分を哀れむ気持ちが広がって、学生だけでありたいと望み、それは叶うはずもなく、そしてソープ嬢の自分を嫌った。

そして私は壊れていった。

今度の試験中は、仕事を入れた。冬の試験は迷いがあって、まだその期間は休んでいたのだけれど、スケジュールをお店と相談し、最低限の仕事を入れた。

それでもやはり、嫌な自分は現れはしたけど、試験の手応えは1年次とは比べようも無く良くて、でも念のために、試験後の3日間は待ってもらっていた外出と貸切だけから、長時間の仕事を始めた。

なんとかなりそうです、私。

夏休みは思い切り仕事に入ることにする。でもそれ以外の空き時間は、思い切りはたちで学生の私も暮らしたい。

うじうじしている時間を、両方にまわせば、去年よりはマシな夏が来る、きっと。

明日は、やっと咲き始めた行灯造りの朝顔と小さなプランターの松葉ボタンを母の病院に届けてから仕事へ行くことにした。

二度とはない、20歳の夏が始まる。

2004/07/24(土) side A:    はんぶんの月     
半分にはちょっと欠けた月が、雲の無い空に浮かぶ。

2年前の今頃はお客さんに個室で殴られた傷と打ち身がまだまだ痛くて、でも休んでいるが悔しくって、お仕事には行っていた。

夏期講座も始まって、なんとか志望校のクラスには入れたけれど、靄がかかったような頭を振りながら、家と予備校と仕事場のソープのお店を、ただただ往復していた。

去年の今頃は、壊れていく自分を持て余し、でも、何とか砕けたピースを集めながら、必死で春期の試験を受けていた。

去年より、一昨年より、そして、カラダを売り始めたばかりで、毎日泣いていたその前の年より、今年はいい夏を迎えている。

来年も、少しいい年でありますように。

2004/07/23(金) side A: ユニークなきみたち
早起きの朝の、まだ陽が射さない庭に、ちょっと変わった花たちが咲く。

ひまわりだけど、なんかもじゃもじゃで、ハイビスカスだけど、花びらがまるっこくて、そしてまるで二つが重なるように咲いていたりする花もある。

あるテレビ番組を見ていて、何気なく、でもきっと凄く嫌な顔をして発した言葉を、凄く怒られた事がある。そして、その事にまた口ごたえをした私は、初めて父に手を上げられ、初めて父の怒りを知った。高校生になって、少し世の中が分かったつもりになっていた時だった。

それは、今思えば当たり前のことで、だけど、今でもついつい忘れそうになってしまうことで、でも忘れてはいけない事だと、何度も自分に言い聞かせる。

「私は知らない」

私は自分の経験として知っている事はあるのだけれど、自分でない人たちのことは知らない。

どうしてそんな姿で、そこにはどんな悲しみがあって、どんな苦しみがあって、どんな道を歩み、どんな風景を見て、何を思い、何を大切にして今日を暮らしているのか。

知りたいとは思う。でもきっと、これからも知ることはできないし、わかることも出来ない。でも思うことは止めないでいたい。

きみたちは、ちょっとみんなと違ってはいるけど、きみたちだ。

2004/07/19(月) side A: 湘南の青い海 そして 満開のひまわり  
凪の海は、光をかえす水の表と、浜から続く砂が、分かれて見える。

葉山から逗子、江ノ島を通り、茅ヶ崎、平塚、大磯を抜けるR134は、湘南の道だ。波の情報を聞きながら、稲村から西浜までが、私のゲレンデだった。

町の名前で海岸を呼ぶことは湘南に住む人々はほとんど無い。江ノ島に向かう浜は、鵠沼だけど「十六」と「マック前」だし、辻堂へ向かうと、もうレストランもホテルもなくなったけれど「スエヒロ」「チサン前」だ。

そして凪に入るときの湘南の青い海をみんな知っている。

立ち上がる波は、私たちサーファーへの恵みだけれど、ちょっと黒めの砂を巻き上げて、海を濁った色に見せる。そして、うねりが無くて鏡になる凪の時にみることができる、水底と水面が二つに分かれ、水面に朝日が、そして夕日が映る美しい青い海は、地元に住む私たちに許された贅沢だ。

今日はヒザくらいの波があったけれど、波打ち際から少し沖には、真っ青な海が広がっていた。早起きをして、まだほとんど誰もいない引き潮の海に、30分だけLBで入り、帰ってきたお家の庭には、もう、ひまわりが満開になっていた。

そして今日は、いつもより2本少ない仕事をして、早めに戻った。明日から試験も本番だ。

がんばらなくちゃ。

2004/07/18(日) side A: もういっかいはじめまして! 
花たちは、夏を感じてどんどん咲いてくれる。

あの頃、お水はあげていた。でも、お手伝いだって思っていた。時々は、名前も尋ねてはいたけれど、みんなの名前を憶える前に、教えてくれる人は、お家にいなくなってしまった。

図鑑やネットでキチンと調べて、きみたちの名前も呼ばせてね。

そしていつかは、母と一緒に、名前を呼びながらお水をあげさせてね、きっと。

2004/07/16(金) side A:   ひまわりいっぱい
朝日に向かって、いっせいにひまわりたちが開き始める。

淡い色の小ぶりな花を咲かせるひまわりは、とっても葉が柔らかくて、お庭で育てると、みんな虫たちのごちそうになってしまうので、二階のベランダで今日まで暮らした。そして今日からは、他のひまわりたちと一緒に暮らす。

見上げる空には入道雲が湧いて、激しい雨が降ることもある。

美味しいおごちそうが現れて、喜ぶ虫たちもいる。

でも、通りから見えるひまわりたちは、散歩をする年配の方達から、「きれいだねぇ」って声をかけてもらえたり、おかぁさんに手をひかれて歩くちっちゃいくん達から、「カワイイねぇ」って触ってもらえたり、「クンクンクンクンクン」ってワンちゃんたちに香りを楽しんでもらえたりもする。

そして、いつか、この夏に咲いていたひまわりたちは、思い出してもらえるかも知れない。

2004/07/11(日) side A : ひかり
光りに向かって、花は咲く。

気付いた事がひとつある。母が育てていた花たちの多くは、朝といっしょに目を覚まし、夜を迎えて眠っていく。

当たり前だと思っていた。

目を覚ますと、朝食のいい香りがして、お庭には水が打ってあり、天気のいい日は、物干しにはシーツがなびいていた。

塾が終わって帰るお家には夕食が待っていて、お花は眠っているけれど、季節の途中で枯れることは無かった。

お花たちは、母と一緒に目を覚まし、母が外の仕事をお仕舞いにして、お部屋にあかりを灯す頃、おやすみって眠りにつき、次の朝にはまた元気に咲いた。

花すべりひゆは、強い夏の陽射しの中で、いつも咲いていた。そして今年も咲かせることができた。

一鉢母の病院へ届けてきた。少しだけ、少しだけでいいから、母の心に届きますように

2004/07/10(土) side A : 朝顔たち
ごちゃごちゃな色で、朝顔がどんどん咲く。

いつもは、ちゃんと種を採っていたのだけれど、去年壊れていた私は朝顔を枯れるに任せてしまい、冬を越した種から今年の朝顔たちは育ってきた。

形もちょっといびつだったりもするのだけれど、つるは棚を覆い、蕾もたくさんついてくれた。

今年も壊れそうになってしまって、ほんとはお庭の手入れにかけたい時間を、膝を抱いて過ごしてしまい、蒔けなかった種もある。

ごめんね、この空を見せてあげられなくて。
ごめんね、この夏をいっしょに過ごせなくて。

そして、咲いてくれてありがとう。
なんにもしてあげられなかったのに
咲いてくれてありがとう。

2004/07/09(金) side A : ひまわり1号
空が染まって、夏が開く。

見てね。

せっかく、この色の中で、一番に咲いたんだから。

2004/07/08(木) side : A  出逢う日
駅のホームに並ぶ人たちは、みんなハンカチを握っている。少し前なら、混んだ電車の開くドアからは、ムッとした空気が吹き出していたけれど、今日はその風に救われる。

前から判っていた休講があったので、朝の通勤時間の電車に乗ってお店へ向かい、外出で仕事をした。またまたホテルは、あのホテルで、お客さんは炉系好きの人だった。

白いコットンのワンピースと、お揃いの帽子をもらう。もちろんそれはプレイの衣装でもあるのだけれど。

髪をくくって、衣装を着けて、鏡の前に立ったとき、なんだか前に、こんなシーンを見た気がする。

4本分のお仕事が終わり、どうせ汗をかくからとワンピースのままでホテルの玄関の自動ドアを抜けると、一瞬で肌は湿る。何気なく振り返った、ガラスに映る私を見て、記憶が繋がる。

下手だったけど絵を画くのが好きだった。

勝手なお話を作って、それに絵を添えてみるのも好きだった。

純粋な少女をイメージしたその絵の服装を、ソープ嬢になった私がしているなんて、その絵を画いた15の私は、もちろん想像さえしてはいなかったのだけれど。

2004/07/07(水) 願い
「こどもが、しんじゃうような、せんそうがなくなりますように」

深い考えがあったわけじゃない。でも、その七夕飾りの短冊を見た父は、頭を撫ぜて、「忘れないようになっ」って呟き、そして私は今でも憶えている。9歳だった。

松谷みよ子さんのモモちゃんシリーズの隣に立っていたその本を、読んだばかりだった私は短冊にそう書いた。

「ふたりのイーダ」

この本を読んだとき、泣きじゃくらないでも、涙が溢れる事を初めて知った。

それまではそんな事を考えたことも無かった。でも、その本は静かに戦争や、原爆や、待つことや、一人ぼっちだと言う事、そして数え切れないその時はまだ知らなかった、それから出会ってきた心の動きを、教えてくれた。

その年の夏休みに入って、スノーマンやサンタさんのカワイイ絵が大好きだったレイモンド・ブリッグスの棚の端っこで、風が吹くときを見つけた。それを読んだときの驚きと、恐れと、そして言葉に表せない不安は例えようも無くて、その本を持ったまま、何もすることが出来ずに、長い時間座り込んでいたのを思い出す。

帰った来た父は、様子のおかしい私に気付いて、話を聞いてくれた。

「ちょっと早かったかも知れないな。その二冊を続けて読むのは」

私の質問に父は丁寧に答えてくれたし、母も答えてくれた。少しずつ、知らなかった事を理解し、怖い気持ちは薄れて、でも大切な事だということは理解していった。

今西祐行さん、長崎源之助さんから読み始め、中学を卒業する頃には原民喜さん、峠三吉さんに辿りついていた。

整理していた父の残したレコードにこんな歌がある。

『死んだ女の子』  作 ナジム・ヒクメット 訳:中本信幸・服部伸六  作曲:外山雄三 編曲:近藤 進
高石友也フォーク・アルバム VOL.1。ライナーより引用
*********************************
以下引用

開けて頂戴 叩くのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしは叩くの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 十年前に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれてった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
甘い飴玉もしゃぶれないの
紙切れみたいに燃えたあたしは

戸を叩くのはあたしあたし
平和な世界にどうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
甘い飴玉をしゃぶれるように 

以上引用
********************************

父の残した古いノートや日記には、思考や思想についての記述もある。

資料引き無しの独断的な結論や、当時大学を席巻していた流行思想への傾倒や、今は形も無くなった空虚なユートピア主義を背景にするものや、単なる若い思い込みにも溢れてはいるけれど、それはその日に、父が思っていた事なのは間違いない。

父は最期まで、そんな事は一言も語らなかった。事実は事実として私の問いに答えてくれて、自分の思考とは分けて伝えてくれていた事が、今は判る。

知っていた、あるいは好きだったナジム・ヒクメットの詩に似た言葉を、七夕の短冊に書いた娘に、父はその時何を思ったのだろう。また少しずつ、父を読み続けていこうとも思う。

今の私に、こんな大きなテーマについて、何か書くだけの力も思考も、まだ無い。

だからせめてもう一度願っておくことにする。

「こどもが、しんじゃうような、せんそうがなくなりますように」

2004/07/05(月) side A : むくげ @ 50円
白い花は紅をさし、朝日といっしょに開いていく。

学校のちょっとした行事は終わったけれど、講義は来週で終わり、春期試験がすぐに始まる。私が学ぶ学校は、夏休みは試験が終わってからになる。

まだお店は忙しいのだけれど、試験期間中はさすがに最低の出勤日に調整し、なんとか単位を落としたくない。

むくげの花は、ハイビスカスに似ているけれど、幹から付いたつぼみはそこから咲いて、夜が来ると閉じていく。

2年前、母と私は、駅から歩けるホームセンターへ夏のお花を買いにいった。結局苗は買わなくて、まだ間に合う種を幾つか買ったあと、並んだレジのそばの、値引きのコーナーにそのむくげは、葉を垂れて並んでいた。50円。

50cmほども、高さのあるその鉢植えのむくげを手にとって、確かめて、「ちょっと重いけどいいよね」って母はおうちに連れてきた。

根を掘り返して少し揃え、幹も諦めるところは諦めて、むくげは少しずつ元気になる。その年はお花は咲かなかったけど、去年は控えめな花が咲き、今年はずいぶん背も伸びて、大きな花が咲いた。

上手くいくかは判らない。でもやってみる。

夏休みには、少しは波に乗りたいし。

2004/07/04(日) side A :   朝の青
お水をあげると、土からは夏の香りが立つ。一晩経っているのに。夏は少しずつ満ちてきて、街を包む。

明けきらない朝に、青い花たちが咲く。

ヘブンリーブルーの青は聖冷で、サルビアの青は静慧で、そしてつゆくさの青は清廉だ。

陽が昇って、空は青となり、雲の白が立つ。

始まったばかりだから、思う今日がある。
まだ満ちきらない夏だから、思う夏もある。

2004/07/03(土) side A : つぼみたち
光に向かって、つぼみたちが背伸びする。

夏の用意をかばんに詰めて、母のお見舞いに行く。面会できなくなって、五ヶ月近くになるけど、今まで通り、隔週で私は病院へ向かう。

妹と弟は、会えないお見舞いからは少しずつ足が遠のいていく。

学校行事や、習い事や、広くなっていく交友関係や、たくさんの楽しい事に出会いたくて、少しずつ足が遠のいていく。

今でも食卓の父の席は空席で、でも台所に一番近い母が座っていた席には、食事の支度をする時は妹が座ったり、調子が良くってお料理をする日には祖母が座っている。

お揃いのお茶碗も、いつの間にか一度も使ったことのない母の分だけは、食器棚の奥のほうに、ぽつんとひとつだけ置かれている。

母が大切にしていた花たちは、母が居ない二度目の夏を迎える。

「おねぇちゃん、ごめんね。おかぁさんによろしくねっ」って二人は出かけていく。

ちょっと胸はキリってするけど、泣いてばかりいたあの日の頃を思えば、喜ばなくちゃって言い聞かせる。

広がる青空の中で、私は病院へ寄り、やはり会えなくて仕事へ向かう。

今日もきっと、そんなに悪い日じゃない。

2004/07/02(金) 親不孝だと思わない?
「親不孝だと思わない?」ソープで働き始めた頃、お客さんに何度も言われた。
父の自殺をひとつのきっかけとして、他に何も持たなかった私は、カラダをお金に代えるようになった。、妹と弟の姉として、そして病気になってしまった母を、そして自殺した父の愛した家を守りたくて。
でも、少し悲劇のヒロイン気取りで、仕事を始めた私は、すぐに行き詰った。私はお客さんに口ごたえをする。なんにも知らないのに、こんな頑張ってるのにって思いながら。

「親の借金で、やってるんだよ。子供不幸は親のほうだよ」
「ハイハイ、よくある話だね、さぁ足を開いて」とお客さんは行為を始める。
「父が自殺して、母が入院してるからこれしか仕事、選べなくて」
「ふーーん、そうなんだ。寂しいだろ?次は外で会わない?」と無料の天外デートに誘われる。
「親に稼ぎが無いんで、妹と弟の学費も私が稼がないと」
「おぉ!偉いね!お小遣い欲しいだろ?生でやらせてくれたら考えるからさ、どう?どう?」っとSを外そうとする。
なんて嫌な人達ばっかりなんだろう?なんでこんな仕事しなくちゃならないんだろ?
私は、大好きだった父を、少しずつ恨むようになっていった。
辞めたくて堪らなかった。毎日、毎日が嫌で嫌で堪らなかった。お店の控え室でも殆ど口をきかずに、いつもすみっこでうずくまっていた。上目遣いに女の子たちを眺め、なんでこんな事してるのに、笑えるんだろうって、思っていた。
そんな私に、声をかけてくれた先輩がいた。出勤日数は少ないのに部屋持ちで、いつもTOP3に入っている。殆ど指名で埋まっているのに、短い待ち時間も控え室に降りてきて、みんなの私事や、お客さんとの様々な対応についても、相談を受けている。
その先輩にはホントの歳もお見通しだったし、まるで手に取るように個室での私の仕事の姿もお見通しだった。そして言われた。
「お金の価値が判ってないね。お金の大切さが判ってないね」
反論した。今の暮らしがどんなに大変で、どんな思いをしてこの仕事をしているのか、泣きながら話した。
「私は、解った。でもお金を払うお客さんには関係ないよ、そんなことは。」
そうだった。その事に気付いていなかった。あんなことをするんだから、お金はもらえて当たり前だと思っていた。それから、たくさんのことを先輩から学び、少しずつ他のみんなからも色々教えてもらえるようになった。
お客さん達も、普通に暮らし、父であり息子であり、伴侶であったり恋人であったり、上司であったり部下だと言うことがやっとわかってくる。そして、自分の何かを確かめるために、あるいはバランスを保つために、ソープへ来る。
私は癒すことは出来ないけれど、受け止める。ただただ受け止める。
6月は父の日があるので、お客さん達も、こんなことを口にする。
「いやぁ、頑固でよく拳骨もらったよ。今は孫に甘くて、俺が叱ってる。わはは。」
「忙しくて殆ど遊んでもらえなかったよな。嫌いだとも思ったよ。でも自分がその立場になって初めて、親父と飲みたいと思った。って今は口実作って、飲むのがけっこう楽しいんだ。」
そんなそんな、今はお父さんのお客さんたちが、お父さんたちを語る。
そして聞かれる。「親不孝だと思わない?」
「ええぇ?うちはオヤジを練習台にしてるから、喜ばれるよ。って挿入だけしないけど♪」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、わははっ!」
いつのまにか、父への憎しみは薄れていて、大好きな父が戻ってきた。
父さん、やっぱり好きです。

2004/07/01(木) 目に映るすべて、感じるすべて
立ち上がる波は視線よりも高い気がして、父の腰にしがみつく。波は崩れて、私の背中をドンって押し、ひゃぁって叫ぼうとする口は、塩水の味を知る。

片手で私を抱いた父は、もう片方の手でボードを抱え、テイクオフ出来る位置まで波を割って進んでいって、私を乗せてくれる。
今思えば、波は腰高くらいで、お天気は上々で、打って付けのオフショアの風は、遠くからくる小さなうねりに、砕ける前の輝きを与える。

おっかなびっくり板に立ち上がる私は、あっという間に目の前が全部海になっていて、両手に付けたフロートの力で波間に顔を出す。

板に引きずられないようにリーシュは付けていなくて、父が流れた板を拾ってくるのを、ぷかぷか浮いて待っている。沖に向かって左には江ノ島が見えていて、右には遠く伊豆の山並みが見えている。冬ならハッキリ見える富士山は、ぼぅっと霞んで、てっぺんだけが見えていた。

膝立ちになりエッジを掴んで、何度か波に乗せてもらう。ぐっと波の力が板に掛かり、トンっとタイミングを計って父が押し出してくれると、板は私を乗せて岸へ走る。ちょっと傾けてみるとエッジが水面を切って、曲っていく。

そう言えば、初めてその日ウイルキンソンのジンジャエールをせがんで飲んで、思い切りむせたっけ。それを心配そうに、でもちょっと面白がって笑う父に私はすねた。

バドリングも少しづつできるようになり、押してもらわなくても、テイクオフ出来るようになる。リーシュも付けた。でもまだ立てない。

西に傾くお日様が、海を錦に変えていく。夕凪の海は、波の間が長くなって、波待ちをしている人も少なくなっていく。
「あれでいこう」

父が指差す沖には、今日の中ではちょっと大きめのうねりがあって、少し沖までボードを出して、波に合わせて、思い切りバドリングした。

ふっと、板が持ち上がり、スピードが上がる。片膝から立ち上がり、初めての視線の高さで波と一緒に岸に向かう。拍手をしている父が視線端で後ろに流れ、私はその日初めて一人で、波に乗れた。

あれから十数年の日々が流れた。

ブーメランコムスターホイルを一緒に磨き、CB400Tの後ろの席で見る風景も好きだった。だんだん太ってしまって、腰が持ちにくくなっていったけど。

若いころ、一度免許を取り消しになった父は、もう一度750Fに乗る夢はかなわなくて、結局そのホークツーが最後のバイクになった。

今も私は海で遊び、バイクで走る。
ありがとう父さん。今私が見ている世界は、あなたから始まりました。

もういないけど、もう一度ありがとう。


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