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2004/09/30(木)
side A: 猫 あるいは 待つ
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精算を済ませて、ぺこりとお辞儀をして、お店を出る。二日分だけ欠けた月は、ネオンの街の中でも、私の影を伸ばすほど明るい。
なんだか、お家に帰る気がしなかった。
私が帰るまでは灯っている門灯はあるけれど、一人で鍵を開け、音に気を配りながらお風呂につかり、久しぶりの晴天に頼んではみたけれど、この前と同じで、取り込むのを忘れられているお布団の、ちょっと湿った感じを思い出す。
そうだよね。妹も弟も忙しいし、私だってあの年ぐらいの頃は、自分の事で一杯で、父さんや母さんに頼まれた、ちょっとした用事も忘れていたっけ。
コンビニへ寄って、読みたくも無い雑誌を開く。一冊、二冊、三冊。
時計は少しずつ進んで、終電車はもう無くなる。
そして、四冊、五冊。
店員さんの空咳にちょっと追われて、ジャムとバターを塗っただけのコッペパンとミルクティーを買い 「長いことスミマセンでした」 って、開く自動ドアの向こうからは、秋の風が吹き込んできた。
ちょうど、ソープ街のネオンも落ちて、急に暗くなる道にはもう人影も少ない。携帯を取り出して、行きつけのビジネスホテルの電話番号を呼び出して、でも、もう一度閉じる。
「公園にはホームレスさんがいるしなぁ」なんて思いながら、駅寄りにある、ちょっとした空き地を思い出す。古いお家はひと月ほど前に取り壊されて、周りは鉄のパイプで囲まれているだけになっていた。
たどり着いたその場所は、低いビニールシートで覆われていて、ひょいとめくると、まだ中には何も無い。榊と注連縄の跡があるけど、まだ工事は始まっていなかった。
パイプの間をすり抜けて、そのまま道を背にして、腰をおろして、パンにかぶりついて、ミルクティーを飲む。
「今日も疲れたね」って、つぶやいてみた時に、「にゃーん」って声がする。ちょっと距離を取ってはいるけれど、その声のするところには、母がずっと仲良しで、私も大好きだったねこさんに、そっくりな猫が私を呼んでいる。
「ねこさん?」 「うにゃ〜ん」 「って、ねこさんのはず、ないよね・・・」
目線を落として、少し手を伸ばすと、猫はゆっくり近づいてきて、背中を上げて、体をこすりつけてくる。
「撫でてもいい?」 「うにゅ〜ん」
首輪はしているのだけれど、抜けそうなほど緩んでいて、迷子札の字ももう読めない。目やにをぬぐうと、もう一度背伸びをして、ごろんとおなかを見せてくれる。
「少し食べる?」
パンをちぎって差し出すと、猫は背中を見せてスタスタ歩き出す。
「いらないの?」
振り返って、「にゃんっ!」って小さく呼ぶ声に、私もついていく。空き地の隅のちょっと細くなったところに、お皿が二つ置いてある。そしてその奥には、ビニールの掛かった、みかん箱がある。
「きみのお家なの?」
「うにゅん!」 右のお皿に、パンを乗せようとすると、猫は哀しそうになく。 左のお皿に、パンを乗せると、猫はきちんと座って、長いしっぽをゆらゆら横に振ってから、美味しそうに食べ始める。
牛乳は猫に良くないことを思い出して、右のお皿にかばんから取り出したコントレックスを注ぐと、ごくごく飲む。
「お行儀いいんだねぇ」 「にゃん!」
きっと、そんな風に食べると、ほめてもらってたんだね。そしてほめてもらえるのが、とっても嬉しかったんだね。
ごめんね。きみが待っていたのは、私じゃないよね。きみは、大好きな人をここで待ってるんだよね。
私とその猫は月明かりの中で遊んだ。そしていっぱいお話もした。
途中で、コンビニに買出しに行ったけれど、猫はその場所からは出てこなかった。
月が西のビルに隠れて、星を朝陽が追う。
「いっしょに、来る?」
始発電車なら、みかんの箱に入れて、頼み込めばグリーン車ならきっと乗せてもらえる。
「いっしょにおいでよ!」
手を伸ばすと、さっきまでは撫ぜさせてくれたのに、スルリと逃げる。
「捕まえるんじゃないよ。いっしょに行こうよ。」
そうだよね。きみにも都合があるよね。
お行儀のいい、その猫ならちょっと無理すれば、いっしょに暮らせるって思った。これだけいっしょにいても発作は出ないので、アレルギーも小さくなっているかも知れないし。
ビニールシートから、私が出ると、猫も顔だけ出している。
「じゃ、考えといて!」 「うにゃん!」
曲がり角で振り向くと、まだ、猫は顔を出して私を見ていた。 大きく手を振って、私は駅へ向かった。
次の日、少し早めにお店に向かい、寄ってみた空き地には、もう資材が運び込まれていて、みかん箱のお家も、お皿も、そこにはなくて、周りを探してみたのだけれど、猫も居なかった。工事の人に尋ねてみたけど、朝、来た時には、もうそんなものは無かったって、言われた。
元気でいるよね。いるに決まってる。
そして、また、幸せに暮らすんだよね。ずっと。
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