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2009/05/27(水)
ご冥福をお祈りします。
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栗本薫さんが亡くなりました。大好きで、本当に大好きで、嫌いになって、でもグインは買い続けていました。結局どうでもいいとは思えず、彼女曰く「500円読者」ままで、読まないという選択肢を取ることはできなかった。
初めてグインを読んだ日のことをよく覚えているのは、FF3の発売日だったからです。それより前にJuneは読んでたけど、ちょうどFFの絵師が天野さんで、その頃のグインの挿絵も天野さんでファミ通を買いにいったついでに、気になってたグインも買ってきたのでした。うちは兄弟が多かったので、ファミコンが空くまで時間待ちをしないといけなくて、その合間にひたすら読んでた。
創竜伝やマリナ、アルスラーンや破妖やオーラバも出ている分は読み尽くし、完結してた銀英も読み終えた頃だったので、終わりのない物語があるということが夢のように思えました。読んでも読んでも続きがあることが嬉しくて仕方がなかった。イモムシが葉っぱ食べるみたいにもしゃもしゃと読んでた。
なんて贅沢な日々だったんだろうか、と今になって思う。
…いいことを教えてやろう。おまえの本棚に入ってるそれらの本。完結したのは結局銀英だけなんだぜ…。その後、20年以上待つことになるんだぜ…。終わりのない物語=未完なんだぜ。そしてたぶんこれから先、待っても、…、…。…もういい。
GWの最中だったから、当時中学生の私は部活もあって、ランニングさせられてる間中、「2ヘッドドラゴンが倒せない…。ここは現実を直視してナイト忍者賢者導師から忍者忍者賢者賢者にすべきか…」だの「イシュトバーンはかっこいいなー」だのと大忙しでした。つうか、妄想しながら走ると脳内麻薬が出ていくらでも走れるんですよ。フットワーク、午前中ぶっ続けとかも私、それで乗り切ってたんですよね。
グインで一番好きなシーンはリギアとヴァレが美味しいお魚料理を食べにいく初デートです。魔界から砂漠から古代機械からありとあらゆる描写がグインには揃ってたのに、何故か普通の、ありふれたこのシーンが一番心に残っています。その後、ナリスとヴァレがホモにさせられた時には口からエクトプラズムが出ました。三度の飯よりホモが好きなはずなのに、あの二人を見てたら違った意味での涙が出ました。
ケイロニアでアキレウスとロベルトがそうなった時には干からびきっていました。シルヴィアの子どもの名前がシリウスになって、あげく金銀妖瞳だった日には始球式もしました。
オリーおばさんの肉饅頭が食べてみたかった。オロの死を伝えられてよかった。「マグノリアの海賊」を読んだときには、外は真冬なのに、真夏の太陽がピカピカ輝いてる気がしてきて、滾って滾って仕方がなくて、突然ランニング始めたりもしました。シルヴィアやアムネリスのあまりにもひどい扱いに、どうしてこの人の話では女性性がここまで否定されねばならないんだろう、と途方に暮れました。最新刊ではサイゴンで黒死病が蔓延しているという描写が出てきて、あー、これでようやく後5巻くらいすれば「七人の魔術師」に辿り着くのかな…、とよろよろと思いました。今週の黒ひげを各キャラの心情述懐シーンに派遣できればなあ…。
最新刊の後書きには「ようやく序章が終わりました」とあって、完結しないということはとっくに分かっていたはずなのに、諦めたはずなのに、しつこく泣きました。
あんなに大好きだった文章が、汗をかきまくった後、するっと水が吸収されるように私の身の内に吸い込まれていった文章が、いつのまにか全く受け付けなくなり、最近ではページの中の何処を読んでいるのか分からなくなることさえあった。話も全く進まなくなった。悲しかった。中島名義のエッセイで現代社会への警鐘として繰り返されていた「他者への想像力の欠如」を自らで体現するように、彼女は他者を攻撃するようになった。もっと悲しかった。
この人がいなかったら、こういう形でサイトを持つことも、文章を書くこともなかったと思う。ジュネやBLにも興味を持つことがなかったと思う。ありとあらゆる意味で影響を受けました。「二番もあるんだぜ」でげらげら笑ったり、「終わりのないラブソング」を読んでダダ泣きしたりしました。文章の中で視点を動かしてはダメだという基本的なことも彼女から教わりました。天華もサミアも野菜畑で会うならばもフジミも、魚住くんも彼女がいなかったら、生まれ出なかった作品だと思います。
心から御礼を言いたいのと同時に、あんなに大好きだった彼女の文章が、グインがどうしてこんな惨状になってしまったのかと思うと悔しくて、悔しくてたまらない。
彼女の、そして未完のまま終わった物語のご冥福をお祈りします。
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