脳内だだもれ。
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2013/01/14(月) 映画ONE-PIECEフィルムZの感想(辛口)
今さらながらに映画の感想です。私はこの映画の根底に流れるものを受け付けられないので、マイナス方面での感想が主になるかと。あくまでも私の主観です。(感想とはそうしたものなので、当たり前ですが)

ともかくこれは鈴木さんの思う「漢」の姿を描ききった映画なんだろうなと思いました。舞台挨拶の時、まゆたんから「これだけじゃもったいないから、エピソードオブZをテレビで是非」という言葉がありましたが、この映画自体がエピソードオブZなんだろう
な、という。要するに、Zが主役の映画であって、麦わら成分が薄めかな、と。

そして麦わらの一味が脇役であると同時に、Zの信念の前には、ごくごく普通のありふれた一般人は存在ごと無視されてしまうのかという違和感が。海賊が敵、海軍が敵だと彼は言っていましたが、自分がされたことをそのまま何の罪もない一般人に対してばらまいてしまうというのはどうなんだろうか。ゲストのアナ等が声当てをしていた車いすのおばあちゃんたちの姿はありましたが、彼の目の前に、命を奪われた彼の妻子と同年代の一般人がいても同じことをするんでしょうか。

車いすのおばあちゃんたちを救ったのは青キジでした。彼がZにつきっきりでいたのは彼の罪を少しでも軽くしようという意図があったのかもな、とは思いました。ただ彼も全能ではありませんし、腕が千本ある訳ではないので、あの火山の島で全ての人間を救えたとは、私にはとうてい思えないんですよね。しかもぎりぎりのところでしか、彼は己の能力を発動しなかったし。ラストシーンの氷の壁を見るにつけ、「…おまえが最初に止めてれば一発で済んだんじゃないの」的な歯がゆさがどうしてもあります。

青キジはZの復讐というか、彼の信念をまっとうさせることと、一般人の命を守ることを両立させるギリギリのラインで踏ん張ってたように、私には思えます。それが許されたのは、彼が海軍でも海賊でもないニュートラルな存在になったからですよな…。なので私にとってのこの映画のヒーローは麦わらの一味でもなく、Zでもなく、青キジかなあ…。何せ朗々と独唱したし。テラ子安。

2時間ずっと動揺してて、え、どうしてこんなに子安に見せ場があるの、え、歌うの、え、テラ子安、え、え、…って初回はわたわたしてたんですが、二度目もわたわたしてました。SWでのサンジのお目覚めシーンと同じように、何度見ても青キジの独唱シーンでブフォって鼻息を荒くするのだ、私は…。…うん、ワンピファンではなく、子安ファンとしては満点の映画でした。

【海賊をなくそう→海賊がいるのは新世界があるからだ→ならば新世界をなくせばいい】このZ先生の主張はあんまりにも短絡的じゃないですかね。私がZ先生のこの主張から思い起こしたのは「逆襲のシャア」のシャア・アズナブル(シャンクスの中の人が中の人)でした。ニュータイプの彼は「地球環境の悪化の原因は人類である」として、「重力に魂をひきずられた」人間を滅ぼすために、地球に小惑星をぶつけようとします。地球を救うために、人間を滅ぼすために、地球に小惑星をぶつけようとします。いわゆるコロニー落としですね。

地球救うために、地球に小惑星ぶつけてどうすんだよ。これ、当時から意味分からなくて、未だに分からないんですが、富野監督、あの当時からピーだったから…。まあ、シャアは自分よりも格下だと思ってたアムロがニュータイプとしては遙かに優れていたことのショックだとか、そんなのに彼女のララァを取られただとか、「ララァは私の母となるべき女性だったのだ」とか、その彼女を殺されただとか、他にも要因はあるんですけども。要は私怨です。

あの映画を見たとき、私はまだ子どもでしたけども、今回とまったく同じことを思いました。「私怨で戦争すんなよ」と。…うん、シャア、大好きだったよ、ファーストのガンダムでは。

何が嫌かって、己の私怨を「正義」という、おきれいな言葉でごまかそうとしてるところなんですよね。シャアも、Z先生も。いや、まあ、自分はその私怨に巻き込まれて、一発でふっとばされて、死ぬしかない一般人だから、そんな戦いに巻き込まれて死ぬのが嫌だってのが、第一の理由ですけども。

ワンピースという漫画で、海軍は「正義」というお題目を掲げてはいるものの、きれいなばかりの存在ではないものとして描かれています。けれども曲がりなりにも「正義」というものを掲げている以上、Z先生の存在を見過ごし容認するような部分があってはならないように思うんですよね。いや、だって新世界丸ごと滅ぶかどうかの瀬戸際に、黄猿ひとりに任せっきりってどうなのよ…。これを例えば現実の自衛隊とか国防軍が同じことやってとしたら、容認できるのだろうか、ってどうしても思ってしまいます。これまでにZ先生が育ててきたような、目をキラキラと輝かせる新兵たちを前にして、海軍の大将クラスが「…元、自分の先生だから」という理由で犯罪者に対して手心を加えてたと、言えるのかと。


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