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2005/10/25(火)
チョイス
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選択、決断、チョイス。 選ぶということには、いろいろな言葉があります。
んで、うちら365日、意識してるしてないに関わらず、このチョイスの連続の中で、暮らしてる。
朝起きて、何食うか? 何着るか? どの靴履くか? どの車乗るか?
で、昼になったら、何食うかを選ぶ。
夜にも、何食うか考える。
人にも、この人には会いたい、会いたくない。 付き合いたくない、付き合いたいで、友人も決める。
例えば、サッカーの場合。 ボールを持ったら、スグに、ドリブルするかパスするか、ま、時にはキープ、の選択を迫られる。 ドリブルでも、どの方向へ行くのか? パスなら、誰に、どの方向で、という選択肢がある。 パスの場合は、前、斜め、後ろ、そして、誰かの足元なのか、スペースなのか、かなりの選択肢がある。
そして、選手は、それを瞬時に判断し、プレーする。 で、その判断で、その選手の上手、下手が評価されることになる。 もちろん、ある程度の技術の裏づけの元に。
で、技術は教えられても、この判断ちゅうのが、なかなか教えることができない。
うちらが生活していく判断には、瞬時で決めなくちゃいけないものは、そんなにはない。 でも、あったら、それはそれで、結構面白いのにって思う。
ファミレス行って、ウエイトレスさんがきたら、瞬時に注文する。 で、たまに、あせって、間違えて注文して、一緒にいる友人から、今の注文おしかったなーあ。もうちょっと、もうちょっとだったのに、なんて、慰めてもらったりする。 注文が遅いと、ウエイトレスさんが、「残念、注文時間オーバーです。では、今日のランチになります。」なんて、注文の自由がなかったりする。
てことは、この判断の自由ちゅうのは、結構なもんなんだなーあ、なんて納得してみたりする。 共産主義体制ちゅうのは、この判断の自由が限られてたりするので、それよりは、自由主義の方がいいといのが、歴史の判断で、こんなこと、うだうだ、言い出すと、多分、俺、3時間くらい喋り続けるわけで。
結局、どうせ判断するなら、やはり、楽しい判断をしましょうちゅうお話で。 んなこと言ったって、ばっきゃろおおおおおちゅうお話もあるわけで。
で、きっと、前から、俺知ってる人は、あ、またサーシャ、始まったなって思うけど、きっと、初めてこれ読んだ人は、・・・・・・・・、何言いたいか全然分からんちゅうわけで。
で、うちらは、笑える不登校クラブなんで、あんまし固いこと言わんで、適当にやりましょう、なわけで。
ハッピーグッズんとこ、ととこちゃんと嬢ちゃん合作のストラップとかどうかなとか、思うわけで。 遊ぼーーーねーーーえ。
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