サーシャ親父の独りよがり日記
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2006/03/30(木) 武士の2番
着物を着て歩くには、ナンバ歩きが有効な歩き方だったらしい。(甲野さんとかの本で、有名になったナンバ歩きに、ナンバ走り。)

今の一般的なランニングフォームだと、着物ははだけてぐちゃぐちゃ。
効率的には悪いのが、着物。
動くには、西洋的な洋服にアドバンテージがある。

着物を着ると、動きが美しくなる。
ふすまを開けるのも、特に女性の場合なんか、立ったままなんてしない。
きれいな動作で、ひざをついての開け閉め。

美しさは感動を生む。
この感動には、効率、非効率は関係ない。
効率の中に美しさがある場合もあるし、非効率の中に美しさがある場合もある。

若さがアドバンテージを持たない社会では、若さは未熟、未完成の同義語。
今でも、このワインはまだ若いとか、サーシャさんはまだ若いとかのように使う。

若いもんが何かできなくて当たり前、失敗して当たり前。
長所、短所もひっくるめての、未熟さ。

だからわし、お子への言葉として、いい所を褒めましょう、長所を褒めましょうとか言って、その言葉への感性がないと感じられる場合は、カチンとくる。

いい所も悪い所もひっくるめての若さ。
そんな風に思う。
だから、全部、ええねーえって褒めたくなっちゃう。

わけわからんで、すんません。
ま、サーシャもまだまだ若いちゅうことで、勝手な話でも勘弁してくださいね。

2006/03/25(土) 武士だった頃
昔、わしが江戸時代、武士だった頃、よく、若いものに、この未熟者めがあああああって、よく使っていた。

その時代、若さは、まったくアドバンテージではなく、むしろ、劣っていること、つまり未熟とされていた。
社会のほとんど、すべてにおいて、若さが、素晴らしいものとして称賛されることは、なかった。

踊り、歌を含む芸能においても、若さは、未熟と同義語だった。

若いうちに、できないことは、当たり前だった。
未熟で、当たり前なのが、若さだった。

それが、昭和を過ぎ、いつの頃からさ、若さが素晴らしいものと称賛されるようになってきた。

時代に迎合するサーシャさんは、さっそく、髪を染め、小学生に年をごまかし、「コーチ、いくつ?」と聞かれると、「はい、コーチ?、コーチはね、28歳いいいいい」、「うそおおおおおお」と、質問をはぐらかす。

でも、内心は、小さな声で、若いのは、未熟なんだ。
何も、西洋基準じゃなくて、うちらは、うちらの基準でって、ここで、誰も反論せんのをいい事に、ぼやいてみたりする。

たまに、ヤフー掲示板もええもんだね。
素晴らしい言葉への出会いを頂きました。
高村光太郎、泣けたああああああああああ。
ありがとう。

2006/03/22(水) 先週の木曜日
ある方たちが、私の為に宴席を設けてくれました。
そこでは、おいしい、おいしい、料理が用意されていて、特に肉は、久しく食べたことがないほどのおいしさでした。

ほんで、わしは、思いました。
わしは、こうやって、おいしいものをご馳走になって、かーちゃんは、うちで沢庵とおしんこで、ご飯食べてる。
わしは、講演とかで、拍手されて、かーちゃんは、チワワの○うんちの世話をしてる。
うちのかーーちゃんは、誰からも拍手されない。

それどころか、変な亭主もったもんで、何も悪いことしてないのに、昔は、「おめえの性で、あぽんだらが、学校いかねえんだとうがあああ」って、文句言われ、それが少しは収まったかと思うと、今度は亭主がこけて、貧乏をしいられる。

そんなかーちゃんに、誰も拍手しない。
ほんと、かーちゃん族ちゅうのは、大変な稼業だ。
専業主婦ちゅうのは、大体、24時間営業で、年中無休。
ま、人にはいろいろいるんで、不真面目は専業主婦とかもいて、三食昼寝付きとかも言われる。
そんでも、やはり、24時間営業で、年中無休はかわりないわけで、・・・・・。

今度は、女に生まれて、お子を産んで、専業主婦で修行してみたいなって、少し思ったりする。

ま、今の心境ちゅうのは、男でも女でも。人間にさえ生まれてくればええなって、思う。
なにしろ、筑波大の日本の遺伝子の第一人者、村上和夫教授によれば、遺伝学的に言うと、人間として生まれてくる確率は、100万円の宝くじに100万回、連続で当選するくらいの確率らしい。

したら、誰かを恨んだり、憎んだりするより、ありがとうって、感謝したほうが、ええような気がするんだ。

などと、知ったようなことを言ってみたりする。(笑)

でね、うち帰ってから、かーちゃんに、すまんな、わしばかり拍手されて、ごめんなさいって、謝りました。(などと、好感度アップも狙ったりしてみる。)

2006/03/16(木) 希望の物語
27歳になるわたしの知人、彼の友人が、小学校からの不登校で、今、弁護士になったんだか、目指してるんだかちゅう話を聞きました。

ほんで、わしの第一声。
紹介して、紹介して、紹介して。
です。

彼に言いました。
弁護士でも弁護士じゃなくてもいいんだ。
今、前向いて、歩いてる、その歩いてることが、反省グループかーちゃん達を元気づけるんだって。

そりゃあ、うらやましいなんて思うかもしれない、自分ちと比べて、落ち込むかもしれない。
でも、そうだとしても、それは、やはり希望なんだって思うんだ。

だから、どんどん、紹介しましょうね。
例えば、すうさんち、今、アメーーーリカに行ってる。
前に、魔女んち、人と口聞けないのに、駅前のノバにも通えないのに、短期だけど留学した。
その子、あの鹿児島だか沖縄だかの、南の島の中学校の不登校児受け入れ物語「光の島」と同じ、中学留学体験者。
自分で、その子が、そこを希望した。

大丈夫の物語は、暗闇の中にいる人達の、希望の物語なんだって思う。
こうこうしましょうなんてご宣託がなければ、うちらの立派な物語。
だから、希望の物語は、辛い人を落ち込ませるなんて思う必要ないって思うんだ。

そろそろ、うちの子、すごいシリーズやりましょうか。
それと、オフ会、そろそろいかがでしょう?

2006/03/14(火) 三寒四温
毎年、春になると、寒い日、暖かい日の繰り返しがおこり、三寒四温って言葉が使われ、だんだんと春らしい日に近づいていくことになる。

三寒四温。

俺、これ、なんか、心の動きっうか、成長のことを暗示するような言葉に思えちゃう。

落ち込んだり、浮き上がったり、そんな事を繰り返しながら、成長していく。
して、気がついたら、大きく成長してたり、してなかったり。

成長していない場合は、三寒四温じゃなくて、三温四寒つう言葉があてはまったりして。(笑)

あっちに行ったり、こっちに行ったり、沈んだり、浮かんだり、いい加減わしも、どかんと落ち着きたいもんでごわす。
っても、サーシャさん、軽いからなーあ。
って、誰じゃああああああああ、かっこえええええ、なんて、言ったのんわあああああああ。(「か」しか、かぶってないつうの、ぼけにもならんてえの)

2006/03/11(土) ある方からの手紙
サーシャが、ある所で、お話をさせていただき、ご縁をもらった人からの手紙です。ご本人の了解をもらって、目にはぼかしを、声には、変声機をかぶせて、ご紹介します。

(前略)、私自身が塾をやっていた頃の出来事を、色々思い出しました。
お父さんを早くに亡くした○○君は、お母さん、姉、妹の四人家族。
中1の2学期から不登校となり、結局卒業まで学校に行くことはありませんでした。

でも塾で、○△君というやんちゃな子と仲良くなり、塾の授業がない日も二人で来ては、私のアパートに泊まっていったりしていました。
鉄道に対する興味知識は、並外れていて、かばんの中には、もうボロボロになった時刻表が入っていて、暇さえあればそれを「読んで」いるのです。

彼のお母さんは、青森県のりんご農家の生まれ。
中2の冬休み時期、○○君は鉄道を乗り継いで、駅から一歩も出ずに、東日本を一周するという計画をたてて、それを実行しました。
青森を通過する時には、叔母さんにホームで出会い、励ましの差し入れを頂いたそうです。

なにしろ、塾にくる以外は、ほとんど部屋にこもりっきりの生活が続いていましたから、お母さんは彼を旅に行かせることを、何度もためらいましたが、一日一回は必ず電話連絡をする約束をして、送り出しました。

途中、風邪をひいたとの報告には、ハラハラしましたが、1週間後、彼は私たちの前に、元気な、そして、たくましい姿で、帰って来ました。
照れくさそうに、しかし、やり遂げた自信と満足感にあふれた、あの笑顔。
私は、今でもはっきり覚えています。

それから、○○君は鉄道マンになる夢に向かって、猛然と勉強を始めました。
そして、まさにドラマを見ている思いでした。
いや、○○○○君主演の、そのドラマの端役として、その感動に立ち会えたと言った方が、いいかもしれません。

塾を閉じるまでのたった6年間のうちに、少なくとも、テレビドラマで言えば、1クールや2クール分くらいのノンフィクションが、こんなふうに、私のなかに貯まっていきました。
お金では買えない、私の貴重な財産です。

めぐみちゃんという子の自宅が、火事で全焼したことがありました。
駆けつけたものの、どう声をかけてあげることもできず、その場に立ち尽くしていました。
2〜3日後、めぐみちゃんが塾に来て、笑顔で私にこう言うのです。
『火事の時、先生、来てくれたでしょ。私よりも悲しそうな顔をして、震えながら立っていたの、分かったよ。心配しなくて、いいって。塾だって、これからもちゃんと来るからさぁ・・・。』
私は、この時、笑顔のめぐみちゃんを前に、声を上げて泣いてしまいました。
ほんと、情けなかったです。
、以上です。

うんがあああああああああああああああああ、手紙を書き写しながら、何度も、何度も、目から、水が、たくさんの水があふれてきます。(T T)

俺、こんな時、思うんです。
生きてて、よかったああああ、死ななくてよかったああああああって。
んで、俺、人の何十倍も感動を味あわさせてもらえるんだ、したら、少しくらいの災いは、喜んで、受けなくちゃいけねえよなーあって。(サーシャさんの少しの災いとは、100円落としちまったあああああです、101円からは、大きな災いとなります。)

素晴らしいご縁を、ありがとうございます。

2006/03/09(木) 以前の宿題の答えみたいなやつ
前に、何人かのお母さん達に、どうして、学校に行かないことが、不登校が自分を悩ませることになるんだろうねって、質問をしたことがありました。

もちろん、世間的な風潮、子育てに失敗みたいなこともあるけど、そういう色々なものをどんどん剥ぎ取っていって、本当に、どうして、悩むんだろうと考えていくと、俺、答えみたいなものが、見えてくるような気がするんです。

それは、お子に幸せになってもらいたい気持ちの表れだって、思うんです。
親は、大人は、お子達の今を見ずに、将来を見ます。
転ばぬ先の杖と、将来から、今を考えます。
それも、大人たちの幸せの基準で考えます。

幸せになるには、まず、お金だな、社会的ポジションだな。
それには、いい会社だな。
資格とかもいいな、弁護士、医者、そうだ、役所とかもいいな。
それには、いい大学か、つうと、いい高校、いい中学、いい小学校ってか。

今、日本の社会の中で、本気で、わし、幸せって思ってる人、少ないような気がするんです。
親が、わしら幸せって思って暮らてたら、その子達は、どう思うでしょうか?
その幸せ問題の答えが、少子化問題だと思うのです。

もちろん、わしもそうなんだけど、不安な、今を幸せと思っていない大人は、お子の幸せ、不幸せに、すごく敏感です。
だから、学校に行かないことは、将来の否定、不幸へのジェットコースターと思っちゃうような気がするんです。

結論からいうと、お子に幸せになってもらいたいから、悩む、んだって思うのです。

だから、わし、悩むこと、それだけで、10000点だって、思うのです。
だから、わし、反省すんなって、言うんです。

たまに、私は子供を愛せません、愛してませんなんて、言う人がいます。
だったら、どうして、パソコンあけて、マウスいじって、こんなとこ来るんだよー。
苦しんだろー、悩んでるんだろー、それだけで、10000点だろうがあああああ。

どこに、THE愛し方、こう愛しましょう、これが正解、お子の愛し方っうのが、あるんだよおおおお。
違ってて、ええんだろうがああ、それぞれの愛し方があるんだろうがああああって、俺、叫びたくなるんだよ。

幸せになってもらいたい。

そうだとしたら、今を見ようよ。
今の先に、将来があるんだよ。
今を幸せにしなくて、将来の幸せなんて、来ないんだよ。
今を、明るく、楽しく、元気よくするんだよ。
それにはさ、学校なんて、関係ないでしょうがあああああああって、俺、言いたいんだよ。

ほらほら、どんどん、熱くなってまいりました。
御てめえええええらああああああああ、ええ母ちゃんだろうがああああああああ、ええお子達だろうがあああああああ、みんな、みんな、10000点だちゅううのおおおおおおおお。

2006/03/02(木) 心配について考えると
心配って、何でも書くけど、ネガティブな願望のある一面だって思うんです。

んで、心配さんの種類別に集合してもらうと、
未来のことを暗く考える、取り越し苦労っう心配さん。
過去のことを何時までのぐちゃぐちゃ思う、後悔っう心配さん。
自分をよく見せようっていう、虚栄心っう心配さん。
周りを自分の思うままにしたいっていう、自己中っう心配さん。
人を信用できない、猜疑心っう心配さん。
災害や事故など自分の力ではどうにもならないものを心配する、心配さん。

そんな心配さんがあるような気がします。

で、わし流に言うと、これは、ええ事に変わっちゃいます。
だって、そう気がつくことができるんです。
気づくから、察知能力があるから、心配できるんです。
鈍感な、鈍い人は、心配できません。
だから、その心配出来る人は、わし、だめだって思わず、わし、偉いじょおおおおおおおって、自分に拍手しましょう。

んでも、この気づきは、あんましよくない気づきなんで、その素晴らしい察知能力は、別の角度で使用しましょう。

さ、心配にばいびーする練習しましょうー。
素晴らしい、気づきがある皆さん、能力があるんです、できます。
さ、お祈りです。
できた、できた、できましたああああああああ。
すんばらしいいいいい、みんな、心配の癖がなくなりましたーーあ。
天の神様、ありがとうです。

(うちのにーちゃん、絶対に言うな。浅いなーあって、で、そん時のわしの決まり文句、わしゃあ、浅いさ、○○だもんんんんん)(○○には、サーシャの地球上での苗字が入ります。まじ、うぜえええええええ)


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