サーシャ親父の独りよがり日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年3月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/21 平安時代以前j
2010/04/13 コスプレ
2010/03/27 ジャズ
2010/03/17 歌垣の王女
2010/03/13 奈良時代以前

直接移動: 20104 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 月 

2006/03/11(土) ある方からの手紙
サーシャが、ある所で、お話をさせていただき、ご縁をもらった人からの手紙です。ご本人の了解をもらって、目にはぼかしを、声には、変声機をかぶせて、ご紹介します。

(前略)、私自身が塾をやっていた頃の出来事を、色々思い出しました。
お父さんを早くに亡くした○○君は、お母さん、姉、妹の四人家族。
中1の2学期から不登校となり、結局卒業まで学校に行くことはありませんでした。

でも塾で、○△君というやんちゃな子と仲良くなり、塾の授業がない日も二人で来ては、私のアパートに泊まっていったりしていました。
鉄道に対する興味知識は、並外れていて、かばんの中には、もうボロボロになった時刻表が入っていて、暇さえあればそれを「読んで」いるのです。

彼のお母さんは、青森県のりんご農家の生まれ。
中2の冬休み時期、○○君は鉄道を乗り継いで、駅から一歩も出ずに、東日本を一周するという計画をたてて、それを実行しました。
青森を通過する時には、叔母さんにホームで出会い、励ましの差し入れを頂いたそうです。

なにしろ、塾にくる以外は、ほとんど部屋にこもりっきりの生活が続いていましたから、お母さんは彼を旅に行かせることを、何度もためらいましたが、一日一回は必ず電話連絡をする約束をして、送り出しました。

途中、風邪をひいたとの報告には、ハラハラしましたが、1週間後、彼は私たちの前に、元気な、そして、たくましい姿で、帰って来ました。
照れくさそうに、しかし、やり遂げた自信と満足感にあふれた、あの笑顔。
私は、今でもはっきり覚えています。

それから、○○君は鉄道マンになる夢に向かって、猛然と勉強を始めました。
そして、まさにドラマを見ている思いでした。
いや、○○○○君主演の、そのドラマの端役として、その感動に立ち会えたと言った方が、いいかもしれません。

塾を閉じるまでのたった6年間のうちに、少なくとも、テレビドラマで言えば、1クールや2クール分くらいのノンフィクションが、こんなふうに、私のなかに貯まっていきました。
お金では買えない、私の貴重な財産です。

めぐみちゃんという子の自宅が、火事で全焼したことがありました。
駆けつけたものの、どう声をかけてあげることもできず、その場に立ち尽くしていました。
2〜3日後、めぐみちゃんが塾に来て、笑顔で私にこう言うのです。
『火事の時、先生、来てくれたでしょ。私よりも悲しそうな顔をして、震えながら立っていたの、分かったよ。心配しなくて、いいって。塾だって、これからもちゃんと来るからさぁ・・・。』
私は、この時、笑顔のめぐみちゃんを前に、声を上げて泣いてしまいました。
ほんと、情けなかったです。
、以上です。

うんがあああああああああああああああああ、手紙を書き写しながら、何度も、何度も、目から、水が、たくさんの水があふれてきます。(T T)

俺、こんな時、思うんです。
生きてて、よかったああああ、死ななくてよかったああああああって。
んで、俺、人の何十倍も感動を味あわさせてもらえるんだ、したら、少しくらいの災いは、喜んで、受けなくちゃいけねえよなーあって。(サーシャさんの少しの災いとは、100円落としちまったあああああです、101円からは、大きな災いとなります。)

素晴らしいご縁を、ありがとうございます。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.