サーシャ親父の独りよがり日記
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2006/04/25(火) 心ここにあらざれば

『心ここにあらざれば、目で見ゆとも見えず。』

人は、自分の見たいものしか見えない。
そして、聞きたいことしか聞こえない。

自分はどうなんだろうって、考えてみると。
わしの目は、ま、物理的にもそうなんだけど、精神的にもやっぱり、かたちんば。
耳は、後10年したら、補聴器が必要な感じ。

そういえば、松下幸之助さんは、ものすごく聞き上手で、何か相談に彼の所を訪れると、「ふんふん」、「ふんふん、それから」と、相手をずっと喋らせてしまったそうです。

わしゃあ、いつになったら、そんな風に・・・・・・・・・。

って、はいはいはい、サーシャさん、あんたに、松下さんの真似はできないのおおおおお。
第一、松下さん、成功者だよ。
サーシャさん「・・・・・・・・・・・・・」

ちゃー兄ちゃん、こんなん、でましたけどおおおおお。

ほんで、人を判断する時は、言ってることより、やっている事。
そして、判断されたり、評価されたりは、他人様がしてくださること。
お天道様は、いつも見ていて下さる。
例え、曇り空でも、お天道様のおめめは、千里眼。

さすがですううう、やっぱ、じーちゃんは、表現が古いちゅうのおおおお。

2006/04/20(木) 前のカキコ(今と同じ)、、、、サーシャさん進歩なし
日曜のテレビのうるるんで、見た人いるかもしれないけど、タイの森で暮らしている部族の事やっていた。
その森は、今は食料が取れなくなり、政府の作った村で、その部族は、定住生活をし始めていた。そのリーダーらしき人が、こう言っていた。
『楽しさは心の中にある、だから、どこで暮らそうと、変わらない、楽しさが心の中にある事を、忘れなければと』

学校は、変わり始めているような気がする。今苦しんでいる子供たちが、制度を突き動かしているように思う。
文科省が、文部省だった頃、ま、今もあまり変わらんかもしれんが、その言い分は、・・・してなならないの連続だった。それが、学校を営利法人が経営できるようになった。
常に、大変化は、小さい一歩から生まれる。

子供達の今の苦しみは、けっして無駄な苦しみではない。
何度でも言いたい、学校は、単なる行政の教育サービスの一つ。
教育を身に付ける方法は、国のそれを利用しなくても、充分身につく。
人と違っていて何が悪い、時には、それを個性といい、賞賛の対象とする。

色々な方法で、自分が楽しく生きていける事を模索すればいい。それには、なんの制約のない。
声を大にして言いたい。

楽しさは、らくさとは、全然違う。
楽しさを追い求めていくと、自然といわゆるまともな方にどんどん近づいていく。

例えば、働くとする、楽しくする為にはどうしたらいい?
いやいや言われた事をやるのと、自分からやるの、どっちが楽しい?
勉強するのは何の為?
日本に住んでて、英語なんか出来なくても楽しく暮らせる。でも、外国、外人に興味がある人は?
算数は、買い物できる程度できりゃ、問題なし。
国語は、俺、本って、その人と知り合うことだと思ってるんだ。100年前に死んでる人でも、本を通じて知り合うことが出来る。
でも、それが楽しくない人だっている。

学校を思っていると、勉強は、学校を、嫌な事を思い出させる、だから、勉強が楽しくなる事なんかない。
やりたくて、楽しく、お家好きしてる子なんかいない。みんな、みんな、躓いている子達は、自分を肯定できない、ダメな奴だって、自分を好きになれない。

だから、百回でも千回でも、言いたい、お前のどこが悪いんだよ、学校行かなくて、何が悪いんだよ、人と違っててどこがいけないんだよ。
そのままでいいんだ。
君達は、国の制度を突き動かしているんだ。君達の苦しみは、決して無駄な事じゃないんだ。
明治以来延々と続く、立派な兵隊、勤労な労働者育成教育システムの崩壊を作り出したのは、感受性の鋭い君達なんだ。

誰が、君達を認めなくても、わしや、ここにいる数十人、数百人の大人達は、君達の素晴らしさを知っている。学校行かない宣言をした子、かーちゃんに手紙を書いた子
、俺、あほだからすぐ忘れるんだけど、一人一人に聞いたら、みんな素晴らしい子供たちばっかりだ。

さあ、ほら、そこのかーちゃん、目え見開いて、ちゃんと子供見てみい、学校の事なんか忘れて、その子見てみい。
それぞれの方法で、つまずきに立ち向かう子供達の姿が見えないか?
そのそれぞれの方法が、時には、親には、辛いものであるかもしれない。そんな時は、笑える不登校クラブ員が、みんなで、支えあうぞ。

俺、今、自分が不安定で、毎日ここを見る余裕がない。だから、一人一人に、ちゃんとレスできなくて、本人としてはそれが余計につらい。ま、これも、自画自賛野郎の勝手な思い込みなんでけど。
だから、オフ会で、みんなを励ましてやりたい。そうすっと、自分が元気づくんだ。
それに、みんなどうしてんだか、話が聞きたい。

2006/04/17(月) 違い
個性を育む教育。
個性を尊重しましょう。
この文面に、いや、そんなん重要じゃない、違うって、もし言ったら、袋叩きにある。

ほんでも、よくよく考えてみると、この個性ちゅうもんが、なかなかやっかいなもんのように思う。

生物は多様性をもっていると言われる。
そんで、多分、よくはわからんけど、昆虫の世界に目を向ける。
色や形、習性、きっと、いろんなものが違う。

でも、昆虫の世界に関心がない人は、それって、虫だと、一刀両断。
何千、何万種類の昆虫だろうと、ただの、そういう人には
ただの「虫」。

つまり、多様性といっても、こちらがどう見るかのような気がする。

そんで、そうゆう視点から、人間を見ると、やっぱり、どう見るか?
見る側の問題が重要な気がする。

頭がいい、スポーツが出来る、人と比べて○○が優れてる。
比較の中で、順番がつけられる。
世間的評価のある個性の場合は、主観的に見ても、うん、こりゃあ、拍手もらえるなって、問題がない。

ところが、そんなん、ものすごく少数なのに、そのた大勢の方が、少数を見る。
ほんでもって、個性の問題は、やっかいなもんとなる。

だから、もし、わしが文部科学省の大臣なら、詰め込み教育を推進する。
国語を大切に、声を出して、とにかく、本を読む。
身体を使う。
やり持って、火を囲んで、踊る。

虫の問題だけに、無視でしょうううううううううう。
お後がよろしいようでーーーー。

2006/04/14(金) お馬鹿な自分へ
自分は何をしたいのだろう、そして、何をしてきたのだろうと、最近も考えさせられます。

で、何をしたいちゅうのは、めちゃくちゃ簡単で、痛いよーーーって人がいたら、何もできないけど、そばに行く。
ただ、これだけ。

で、何をしてきたのだろうちゅうのも、簡単で、ご縁があった皆様に、助けられてきたなーあ。
誰かに元気だそうーーって言う形で、自分を元気付けてこれたなーあ。
これだけ。

以上2点のことなんだけど、わしのことで、糸がほつれる。

天の神様は、わしに教えてくださるのかな?
サーシャ、あなたが悪い。
貴方の心をいつも、いつも、見つめなおしなさい。
サーシャは、言うよね。

泣いてても、いいんだよ。
笑ってても、いいんだよ。
苦虫を、かみ殺した顔をして暮らすのも、一生。
笑った顔をして暮らすのも、一生。

どの道だって、その人の一生だと。

だとしたら、サーシャに、誰が正しくて、誰が間違ってるかなんて、選ぶ資格なんか、ないでしょうって。

いつも忘れたことの、ないつもりなんだけど、自分の心を見つめなおします。
人様の評価をサーシャさんは、欲しいですか?
天の神様が、見ていてくださるだけではご不満ですか?
ちーーーーーーん。

うーーーーん、評価の分かれるところですねーえ、ムハンマドささん?
ジーザスさん、ゴータマさん、いかがですか?
下座なのか卑下なのか?
謙虚なのか高慢なのか?
不真面目なのか真面目なのか?

ちーーーーーーーーん。

2006/04/05(水) 暗闇の怖さ
暗闇は怖い。
サーシャさんが子供だった頃、夜暗くなって、買い物へ行かされる。
田舎のこと、街灯など所々にしかなく、途中、決して近くにあるわけじゃないのに、墓地のそばを通る時など、怖くて、今でもその怖さを、こうして書いていると、思い出す。

暗いので、こわごわ足を出しながら、一歩一歩、ゆっくりと進む。
これが、もし、真の闇だったら、怖くて一歩の足をだすのも勇気を振り絞る。
手をふりながら、足を恐る恐るだして、なんとかバランスを保ちながら進む。

行く先が見えないことこそ、最大の恐怖なような気がする。
恐怖は、不安を招き、その不安がさらなる恐怖を呼び込む。

真っ暗な夜の道の行く先を照らしてくれるものが、きっと月の明かりのような気がする。
天は、夜の闇にも月光を用意してくれている。
真っ暗闇の夜でも、その黒雲の向こうには、お月様がちゃんといる。

お月様がいることを知っている人と知らない人がいるとする。
その差は、きっと、大きいんだろうなーあって思う。

お月様がいることは知ってんだけど、その暗闇に出会うと、びっくりして俺なんか、お月様のことなんか忘れちゃう。

そんで、俺は、思う。
夜は、出かけんのやめよーーって。
真っ暗は、怖いもん。
行く先が見えない時に、無理して進むのは、無謀かなって。
お月様あるの知ってるけど、いつもお天気じゃないからなーあって。
提灯は、油、すぐなくなっちゃうし。
懐中電灯も、電池切れたりするもんね。
そんで、たいまつ持って歩くのは、熱いかんな。

やっぱ、休憩だな。

2006/04/04(火) 乗り越える
壁を乗り越えてこその成長がある。
苦難を克服することにこそ、大きな喜びがある。
誰も、この言葉にはあらがうことはできません。

そして、誰もが、この言葉を使います。
きっと、何かをトラブルを抱えた本人も、本人自身が、本人へ使います。

わしも、50近くまで、これを確信し、自分へも言い聞かせてきました。
でも、今は、ちょっと違います。

乗り越えられないのは、乗り越えなくても、いいのかなって、思ってます。
なんでも、かんでも乗り越える必要なんかないのかなとも、思います。

全部が全部、言葉どおりにできたら、きっと、全部がJリーガーになって、プロ野球選手になって、全員がオリンピック選手になって、そんで、日本人全員が、株で成功して、フジテレビ買おうとしちゃうんかなって。

出来る人もいれば、出来ない人もいる。
これが、現実の話。
で、だから、全員、フジテレビを買おうとしないわけで。

でも、そうなのに、誰かは、できることを
何かを達成することを要求する。

きっと、自分も、自分へ要求する。
で、苦しくなる。

楽しさがなかったら、乗り越えるもなにもないのに、そんな事無視して、自分の価値観で、誰かの価値観で、乗り越えることが、至上命題とされる。

サッカー好きで、飯より好きだから、楽しいから練習する。
して、練習するから、うまくなる。
うまくなるから、苦しいけど、練習する、楽しいから。
ほんで、プロになる。

好きじゃないのに、楽しくないのに、飯食わないで、練習しろって、言われても。
サッカー好きだけど、飯食わないでは、したくない人もいるわけで。

そこへ、偉いとか、なんとかはないわけで。
好きかどうか?
楽しいかどうか?

わしは、サッカー好きだから、飯食いながら、プロを目指すわけで、ジーコ様、わしを、代表に選んでくれないかなーあ。
したら、日本国民、絶対に、全員敵にまわすなーあ。
走れない、蹴れない、スタミナない。
3つの宝の持ち腐れだなーあ。


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