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2006/04/20(木)
前のカキコ(今と同じ)、、、、サーシャさん進歩なし
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日曜のテレビのうるるんで、見た人いるかもしれないけど、タイの森で暮らしている部族の事やっていた。 その森は、今は食料が取れなくなり、政府の作った村で、その部族は、定住生活をし始めていた。そのリーダーらしき人が、こう言っていた。 『楽しさは心の中にある、だから、どこで暮らそうと、変わらない、楽しさが心の中にある事を、忘れなければと』
学校は、変わり始めているような気がする。今苦しんでいる子供たちが、制度を突き動かしているように思う。 文科省が、文部省だった頃、ま、今もあまり変わらんかもしれんが、その言い分は、・・・してなならないの連続だった。それが、学校を営利法人が経営できるようになった。 常に、大変化は、小さい一歩から生まれる。
子供達の今の苦しみは、けっして無駄な苦しみではない。 何度でも言いたい、学校は、単なる行政の教育サービスの一つ。 教育を身に付ける方法は、国のそれを利用しなくても、充分身につく。 人と違っていて何が悪い、時には、それを個性といい、賞賛の対象とする。
色々な方法で、自分が楽しく生きていける事を模索すればいい。それには、なんの制約のない。 声を大にして言いたい。
楽しさは、らくさとは、全然違う。 楽しさを追い求めていくと、自然といわゆるまともな方にどんどん近づいていく。
例えば、働くとする、楽しくする為にはどうしたらいい? いやいや言われた事をやるのと、自分からやるの、どっちが楽しい? 勉強するのは何の為? 日本に住んでて、英語なんか出来なくても楽しく暮らせる。でも、外国、外人に興味がある人は? 算数は、買い物できる程度できりゃ、問題なし。 国語は、俺、本って、その人と知り合うことだと思ってるんだ。100年前に死んでる人でも、本を通じて知り合うことが出来る。 でも、それが楽しくない人だっている。
学校を思っていると、勉強は、学校を、嫌な事を思い出させる、だから、勉強が楽しくなる事なんかない。 やりたくて、楽しく、お家好きしてる子なんかいない。みんな、みんな、躓いている子達は、自分を肯定できない、ダメな奴だって、自分を好きになれない。
だから、百回でも千回でも、言いたい、お前のどこが悪いんだよ、学校行かなくて、何が悪いんだよ、人と違っててどこがいけないんだよ。 そのままでいいんだ。 君達は、国の制度を突き動かしているんだ。君達の苦しみは、決して無駄な事じゃないんだ。 明治以来延々と続く、立派な兵隊、勤労な労働者育成教育システムの崩壊を作り出したのは、感受性の鋭い君達なんだ。
誰が、君達を認めなくても、わしや、ここにいる数十人、数百人の大人達は、君達の素晴らしさを知っている。学校行かない宣言をした子、かーちゃんに手紙を書いた子 、俺、あほだからすぐ忘れるんだけど、一人一人に聞いたら、みんな素晴らしい子供たちばっかりだ。
さあ、ほら、そこのかーちゃん、目え見開いて、ちゃんと子供見てみい、学校の事なんか忘れて、その子見てみい。 それぞれの方法で、つまずきに立ち向かう子供達の姿が見えないか? そのそれぞれの方法が、時には、親には、辛いものであるかもしれない。そんな時は、笑える不登校クラブ員が、みんなで、支えあうぞ。
俺、今、自分が不安定で、毎日ここを見る余裕がない。だから、一人一人に、ちゃんとレスできなくて、本人としてはそれが余計につらい。ま、これも、自画自賛野郎の勝手な思い込みなんでけど。 だから、オフ会で、みんなを励ましてやりたい。そうすっと、自分が元気づくんだ。 それに、みんなどうしてんだか、話が聞きたい。
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