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2006/05/06(土)
ヘレン・ケラーさんから思う事
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もし、人がヘレン・ケラーのように、目が見えない、耳が聞こえないという状況下で、人間と出会ったとする。 人間ってのは、どんなだろうなーあって、分かろうとする時、自分の手で触って判別するしかない。
髪の毛があって、目が二つで、鼻があって、耳があって、口があって、手が二本で、足も二本。 黒人だろうが、白人だろうが、黄色人種だろうが、みんな同じだなーあって、間違いなく思う。
で、次は、耳は聞こえないけど、目がみえるようになったとする。 すると、きっと、髪の毛の色の、質の違い、肌の色の違い、目の、鼻の、色々な違いに気がつく。 おんなじだったものが、目が見えるようになったでけど、全然違うように見えてくる。
そして、耳が聞こえるようになる。 すると、白人で、同じだと思っていた人間の言葉の違いに、アジア人の同じ顔に見えたのに、中国語や、韓国語や、日本語なんかを喋ってる人間の違いに、気がつく。
もともと、違っていたのに、目が見えない、耳が聞こえない時は、同じに見える。 こちらが、目が見えたら、相手の違いが見えてくる。 耳が聞こえたら、もっと違いが見えてくる。 違いを分からなかったのは、自分の方にその責任があったのではないだろうか。
そして思う。 自分は、ヘレン・ケラーさんと、どうなんだろうーって。 片目だけど、目は見えてるし。 耳は、遠いけど、聞こえてる。 でも、ほんとうに、見えて、聞こえているのだろうか? 心が、見える方に、聞こえる方に、向いているのだろうか?
目薬、がんがんつけてーーーーーー、耳掃除しよーーーー、 って、思いました。
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