サーシャ親父の独りよがり日記
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2006/06/30(金) 素晴らしい方々から
「道徳教育については、”自分にはその資格なし”と知ることが根本です。
しかし、現実には立場上、教師としてせざるを得ないという考えをもって全力的に取り組む他ないところに、幽かな微光が射しそめる。」
と、森信三先生は述べられています。

そして、このことに関しては、わしの大好きな東井義雄先生は、こうおっしゃっています。

  「ほんものでない自分に対して
   言わなければならないことを
   わたしは教師顔して
   他人に言い続けてきました。」

そして、学校に関して、
「川は岸のために流れているのではない
川のために岸ができているのである
子供は学校のために来ているのではない
子供のために学校があるのである」
と、おっしゃっています。

東井義雄先生は、「魂の教育者」として、長きにわたり教育界で尽力なされました。

2006/06/29(木) 藤本幸邦さんの詩
『はきものをそろえる』

はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の
人の心もそろうでしょう

『おそうじをする』
きれいにおそうじをすると
貧しくても美しく生きられる
きれいにおそうじをして
お客様をむかえよう
見えないところをきれいにすると
自分をみがくことができる
すてられたごみをかたずけると
日本を美しくすることができる
みんなでおそうじをして
青い地球をきれいにしよう

*藤本幸邦さん
現在90歳、長野県曹洞宗のお寺、円福寺のご住職として、戦後孤児達を救う為、円福寺愛育園を設立。
現在も多方面で、元気にご活躍中。

いつでも、どこでも、どんな時も、「はきものをそろえる」が、自分の一つのテーマです。
そうじは、これから挑戦です。

2006/06/22(木) 覚悟
孔子が、弟子に克己の方法を聞かれ、こう答えた。

礼にかなっていないものは、視ない。
礼にかなっていないものは、聴かない。
礼にかなっていないものは、言わない。
礼にかなっていないものは、行わない。
(見るではなく、視る。聞くではなく、聴く。)

すると、それに対して、影から大きな声が飛ぶ。
弱者の方法論だ。
現実的ではない。
食い物にされる。

しかし、覚悟を決めて、そうする時、もしかすると自分は迫害にあうかもしれない。
でも、泥棒にあおうが、詐欺にあおうが、それを黙って甘受する。

邪悪なものを繁殖させないと覚悟を決めた時、自分をその邪悪の最後の場所とする。
そんな覚悟を出来る人間。
それは、けっして弱い人間にできる覚悟ではない。

古典は、数百数千年の間、検証され、何万何十万、いやそれ以上の人間から、正しさが証明されている。
それを、批判する人間の素晴らしい愚かさ。
だから、人間って、面白いんだって思う。

今は、正面から古典かぶれのサーシャでした。

2006/06/13(火) 言葉の力
アメリカかどっかで、こんな実験をしたそうです。

試験グループを二つに分け、片方には、不平、不満、愚痴、悪口、憎しみ、怒り、みたいな言葉を使って文章を作ってくださいと依頼する。
もう一つのグループには、嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる、みたいな言葉を使って文章を作ってくださいと依頼する。

そして、この二つのグループを部屋に通して、ちょっと待っていてくださいねと言って、何もさせずに、ただ待たせる。

10分、20分、30分とただ待たせます。
すると、必ず、100%の確率で、不平、不満グループから、何時まで待たせるんだと、クレームがきたそうです。
何十グループのその結果に、実験者側が驚いたそうです。

言葉の持つ力、馬鹿になりませんね。

『嬉しい』『楽しい』『幸せ』『愛してる』『大好き』『ありがとう』『ついてる』。
『悲しめば、悲しみが、悲しみながら、悲しみを連れてくる。喜べば、喜びが、喜びながら、喜びを連れてくる』。

かもんんんんん、喜びいいいいいいいいいいいい。

2006/06/09(金) 古典より、サーシャさんへ
「昔の人は言った。「何事も度を越すと害がある。」と。雨の降るのはよいことだけれど、多すぎれば洪水になって、害となることは、日照りの害と同じである。
今ここに、善を行おうとする人がいて、自分勝手な振る舞いをして得意然としているような者は、すべて雨のおしめりが多きに過ぎて洪水になるようなものだ。
よく、このような人を見かけるが、これは他人事ではない。自戒すべきことである。」と。

「君子は中庸す、小人は中庸に反す」

収穫をあせって、早く種をまく。
寒さでその種を枯らす。
肥料を多く与えれば、よく実るかなと思って、たくさん与える。
幹は太るが、実はならない。
どれくらい育ったなと思って、根っこを引っこ抜いて、しょっちゅう調べる。
そうして自分が成長を阻害してるのに、気がつかない。

サーシャさんにジャストフィットおおおおおおおおおおおおお。

2006/06/08(木) 見たり、聞いたり(古典から)
「孔子は川上にいては水の流れを見、「行く者はかくの如し」といって嘆き、そうろう川を過ぎて、子供が「水澄めば冠を洗い、にごらば足を洗わん」と歌っているのを聞いて感心し、・・・・・・このように聖人の遊びは、いずれも学問でないものはない。」

志のある、感度の高い人は、どんなことにも学びを発見するらしい。
歌を聴いては、その素晴らしさに涙したり、食べ物に自然のありがたさを感じたり、五感に触れるものすべてから学ぶらしい。

小話から、
「主人が小僧に、わしはでかけるから金魚を見張っていろと命じた。そして、主人が帰ってきたが、金魚はいない。
わけを聞くと、見張っていたら、隣の猫がきて、金魚をくわえて行ってしまったという。
見張れと、といわれたが追えとは言われていなかった。と、小僧は言った。」

ちょっと昔の話として、こんなことがある文の中にあった。
「○○さんが、私は苦労したので、今でもゴマ粒一つ落としても拾って食べないと気がすまない、と言った。
すると、それを聞いていた人の一人が、「○○という人は年はとっても目は丈夫だったのですね」と言った。

見たり、聞いたり。
その人の心持で、見かた、聞き方は、変わるみたいです。

2006/06/02(金) お子への対処法、親の心構えとか
うちらさ、苦難に出会うとさ、すぐに、本屋に走る。
んで、解決マニュアルを書いてある本探しをする。
で、それらしいのが見つかったりすると、やって見たりする。
本の安いとか高いに関係なく、効果は出ることもあれば、出ないこともある。

で、体験者が語る対処方には、結構説得力があって、だって、本当の話だから、素晴らしいことが多い。
でも、その対処法はあくまでも、その人個人のもの。

自分勝手に、わしは思う。
その対処法を真似して有効な場合とは、その対処法の「心の向け方」が腑に落ちた場合なんだと。
やり方を真似することじゃなく、なぜ、そのやり方をするのかの、「心の向け方」。

そんな風に思います。

道は近くにあり、しかるに、人はそれを遠くに求む。
いつでも、解決法は、その方が持っているのだと、思うのです。

親の心構えのことは、親の心構えはどうしたらいいのでしょうかと質問する、その方の気持ちを考えてみます。
なにしろ独り言のわからんちんの考えなんで、あほんだらああああってんで、よろしくです。

そりゃあ、悩んでたら、何かの確固たるサンマが欲しい。(サンマ→あかし、ですねえええええ)
その確固たるものは、不安を消してくれるから。
だから、この間のオフ会でも、新興宗教の話がでて、それから、いわしの頭にだって、わらにだって、すがりたくなる。
しまつが悪いのは、その新興宗教やいわしの頭、わらで、悩みが解決することもある。

でも、本人だって分かってるんだけど、大体において、答えは落ちてない。
答えは落ちてないのは、知ってるんだけど、それでも、不安から逃れたい気持ちを押さえつけることはできない。

で、親の心構えをたずねることは、どこかに正しい親道ちゅうのがあって、自分の現在を、親としての自分を肯定できてないのかな、なんて思ったりしちゃう。

で、サーシャの叫びいきますううううううう。
誰も悪くないんだってばあああああああああああああああ。
親も悪くないよおおおおおおおおおおおお。
もちろん、お子だって、悪くないよおおおおおおおおお。
正しい事なんか、ほっとこうよオオオオオオオオ。
かっこ悪いかーちゃんで、ええじゃんかよおおおおおおおおおお。
みんな、みんな、違うんだよおおおおおおおおおおお。
ええじゃんかよおおおおおおおおおおお。
10うん歳のお子と親には、10うん年の、世界にたった一つの
経験があるんだよおおおおおおおおお。

かけがえのない、10うん年の、大切な体験がよおおおおお。
人は、誰かの為に生きてるんじゃないぞおおおおおおお。
かーちゃんだってさ、誰かの母親以外に、誰かの妻だったり、そうじゃなかったり、100%誰かの子で、誰かの友人で、誰かの仕事仲間だったり、そうじゃなかったりで、色々な顔をもって、色々な大切なものがあるんだって、思うんだ。

どうか、どうか、正しい、正しいを求めないで欲しい。
求めるならば、楽しい、楽しい、かーちゃん道を求めて欲しい。
そして、かーちゃんじゃくて、一人の人間としての、生きて欲しい。

自分を大切にして欲しい。

では、サーシャ流お祈りです。
天の神様、ありがとうございました。
みんなが、自分を大切にしてくれました。
ありがとうございました。


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