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2006/07/30(日)
コミュニケーション
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わし、自分で、これやったらあかんなーあってことを、たまにしたりします。 こうやったほうがええのにってことが、できなかったりします。
ええ話やええ事を、見たり、聞いたり、読んだり、ま、たいして頭の中に残ってないだろうけど、たくさん知っています。 でも、現実には、その1000分の1もできません。
そんな中、まれに、何かができて、新しい自分を発見することがあります。 そんな時、おおおおって、ちょっぴり嬉しくなります。
人間は、いくつになっても、自分のことが分からないような気がします。 うちらの目は、外を見るように出来てます。 鼻も耳も、外のものへの構えです。 そして、鏡に映る自分は、あくまでも、鏡に映る自分であって、どこまでいっても、自分そのものではありません。 その鏡自体にも、なんか、いろんな種類があるような気がします。
そんな私たちは、他の人との意思疎通の為の手段が、いくつかあります。 言葉、文字、表情。 わし、これに、見える気持ち、見えない気持ちを加えたいと思ってます。
で、サーシャが何言いたいかってえと、自分のこともわかることも出来ず、コントロールもできない。 そんな人間に、たとえ、親や子といった身近な人間でも、他人様のことを分かることができるだろうか、ってことなんです。
だからって、わし、分からないんだって、虚無的なことを言いたいわけじゃないんです。
「分からない」、このことを「分かること」が、出発点じゃないのかなって、思うんです。 言葉だけじゃ、分かれない。 言葉だけじゃ、伝えられない。
分からないことが、分かってる、だから、表情が、見える気持ちが、見えない気持ちが、伝えようとする言葉に、文字に、表情に、力を与える。
だから、わし、内容なんかどうでもええ、伝えようとする気持ちこそが、大切なんだって、言いたいんです。
私は、何も知らない。 だから、知ろうとする。
私は、分からない。 だからこそ、分かろうとする。
私は、伝えられない。 だから、一生懸命伝えようとする。
あきらめたら、あっち側にいっちゃう。 知ってます、分かりますの、あっち側。 あっち側に行ったら、おもろない、つまらんって。 だから、わしの知り合いには、あっち側に行かせん。 ずぇったいいいいいいいに、行かせん。
行かせんんんんんんんん。
ちなみに、サーシャさんは、できがいい人間なので、あっち側の知ってる人間です。うーーーーーん、サーシャチックううううううう。
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