サーシャ親父の独りよがり日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年1月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/21 平安時代以前j
2010/04/13 コスプレ
2010/03/27 ジャズ
2010/03/17 歌垣の王女
2010/03/13 奈良時代以前

直接移動: 20104 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 月 

2007/01/28(日) 山田うどん
最近、昼食に、山田うどん、すき屋、そんな所を頻繁に利用させていただきます。

で、某山田うどん店に素晴らしい人を発見しました。
昼食時の混雑している店内で、広い店内、ホールの人間はたった二人です。
でも、一人の方、素晴らしい目配り、気配りで、見事にお客様をコントロール。
まーあ、それはそれは、次から次から来るお客様への素晴らしい声かけともう一人の方への指示、ほんとうにびっくりしました。

で、会計時に、そのことを伝えさせていただきました。
「素晴らしい気配り、目配りですね。」と、そしたら、とても喜んでくれました。

仕事って、ま、仕事だけじゃないんだろうけど、自分の心をどうむけるかで、伝わるか伝わらないか。
伝わる、伝わらないで仕事するわけじゃないんだろうけど、学ばせていただきました。

昔、わし、それはそれは尊大な奴で(今もじゃろうがあああああああ)、金を払ってるんだから、客なんだと、サービスをうける、それに対して金銭という対価を払っている。
だから、サービスと金銭の交換なんだ。
客には、客の権利、サービス側(店)にはサービス側(店)の権利と、感謝の気持ちなどなく、権利の交換という立場で、消費行動を考えていました。
だから、感謝の気持ちなんかありません。
でかい態度をとる、そのかわり、よけいにお金を払う。
だから、いばる、わがままを言うのは、自分の権利だと。

で、昨晩、俺の尊大な態度を、子供に話していたら、その態度の根底にある、権利の交換の話を話していたら、ふーーーん、アメリカ人みたいだねと、尊敬されました。(笑)

というわけで、サーシャがどうして、おフランス系アメリカ人かが、ここでも照明されたわけですううう。
(照明????、さ、つっこみ、同情おおおおおおおおおお)

2007/01/18(木) 孫を見ていて
もうすぐ3歳になるボーイと、1歳を少し過ぎたガールの娘の子ども達が、平日は家にいることになりました。
帰宅すると、ちびっこのにぎやかな声が、聞こえて嬉しくなります。

二人ともそれぞれの個性があり、それはそれは面白いです。
ずっとうるさいのに、ちょっと静かになったなーあと、思っていると、いたずらが始まっています。

この時期、周囲の大人たちは、チビたちのできないことなんか数えませんよね。
ママって言えるようになったんだよ、○○と言えるようになったんだよと、できたことを喜びます。

うちでも、おんなじです。
少し大げさな言い方になりますが、日々できることが増えています。
このまま、できないことを数えないで、できることを数える練習を、チビたちから教えてもらおうと思っています。

ガールは、ちゅううううをしてくれるから、嬉しいです。
ぐふふふふ。

2007/01/03(水) 新年の覚悟とか
新年あけましておめでとうございます。
昔、正月になると必ず心に期したことがありました。
「一年の計は元旦にあり。」
それは、日記を書くということでした。
小学校、中学校にかけて、よーし、今年こそは日記を書くぞと、何度も何度も何度も何度も、何度も心に誓いました。
でも、もちろんそんなことをちゃんとできる私であろうはずもなく、毎年買う日記帳は、最初の数ページでその一年が終わってしまいました。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
そして、私の辞書からは「一年の計は元旦にあり。」という言葉は、削除されました。
そうして毎年、何を誓うこともなく、だらだらと正月を過ごします。

でも今年は、ある本を読んでいて、見事にジャストタイミングで、ええ言葉に出会ってしまいます。
「中道」(ちゅうどう)という言葉です。
その本によると、大乗仏教には在家信者の修行法として、六波羅蜜(ろくはらみつ)という修行法があると書かれています。
その修行法の一つに、「精進」(しょうじん)があり、その「精進」とは、ただ単に努力するという事でなく、ただしく努力するという意味とあります。
また、それはゆったりと努力することであり、「中道」の精神の上になされるものであると。

今、日本では成果主事が世の中を覆い、努力がすべてであり、努力すればなんでもできるという努力教の信者の方が多いような気がします。
残念ながら、そういう努力主義者教の方には、狭量な人が多いような気がします。
成功しないのは努力が足りないからだと、失敗者を許してくれません。

しかし、「中道」は、そういう努力とは一線を期します。

「中道」は、そういった意味で、仏教の実践論の基本であると書かれていました。
あまりしつこくしないで、ほどほどにすると。

そんな訳で、新年から見事に怠け者に都合の良い言葉に出会ってしまいました。
「中道」。
心が狭くなりがちな、がちがちの努力主義者よりは、どうでしょう?
今年は、いい加減に、それぞれの人に相応しいいい加減で、やっていきませんか?


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.