サーシャ親父の独りよがり日記
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2007/01/03(水) 新年の覚悟とか
新年あけましておめでとうございます。
昔、正月になると必ず心に期したことがありました。
「一年の計は元旦にあり。」
それは、日記を書くということでした。
小学校、中学校にかけて、よーし、今年こそは日記を書くぞと、何度も何度も何度も何度も、何度も心に誓いました。
でも、もちろんそんなことをちゃんとできる私であろうはずもなく、毎年買う日記帳は、最初の数ページでその一年が終わってしまいました。
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そして、私の辞書からは「一年の計は元旦にあり。」という言葉は、削除されました。
そうして毎年、何を誓うこともなく、だらだらと正月を過ごします。

でも今年は、ある本を読んでいて、見事にジャストタイミングで、ええ言葉に出会ってしまいます。
「中道」(ちゅうどう)という言葉です。
その本によると、大乗仏教には在家信者の修行法として、六波羅蜜(ろくはらみつ)という修行法があると書かれています。
その修行法の一つに、「精進」(しょうじん)があり、その「精進」とは、ただ単に努力するという事でなく、ただしく努力するという意味とあります。
また、それはゆったりと努力することであり、「中道」の精神の上になされるものであると。

今、日本では成果主事が世の中を覆い、努力がすべてであり、努力すればなんでもできるという努力教の信者の方が多いような気がします。
残念ながら、そういう努力主義者教の方には、狭量な人が多いような気がします。
成功しないのは努力が足りないからだと、失敗者を許してくれません。

しかし、「中道」は、そういう努力とは一線を期します。

「中道」は、そういった意味で、仏教の実践論の基本であると書かれていました。
あまりしつこくしないで、ほどほどにすると。

そんな訳で、新年から見事に怠け者に都合の良い言葉に出会ってしまいました。
「中道」。
心が狭くなりがちな、がちがちの努力主義者よりは、どうでしょう?
今年は、いい加減に、それぞれの人に相応しいいい加減で、やっていきませんか?


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