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2007/11/13(火)
見えない世界
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見えない世界なんていうと、今流行のスピリッチュアルだなんだかなだで、怪しげな世界の住人とかと思われていますことがある。 ましてや、サーシャなんて名前だ、そりゃあもう確実にあっち側の人間だと思われるのも無理はない。
多分、昔のマスコミだったら、それなりの常識というか見識というものがあって、それがテレビの番組になるようなことは、なかったような気がする。
私は、「見えない世界」をまっこうから信じている人間なのだけれど(やっぱ怪しい???)、守護神がだれだ、霊がこう言っているなんてのは、そりゃあ、ちゃうでしょうと言いたくなってしまう。 「見えない世界」は、見えないから見えない世界なのであって、霊が見えるだなんてのは、見える世界のことになるような気がする。 ましてや、その手の類(たぐい)のことを言う方々からは、金偏の臭いが漂ってくるのは、貧乏人サーシャのひがみだけではないような気がする。
でも、「見えない世界」は、そういう捕らえ方をされるところに、またよさがあるのかもしれない、なんて思っていまう。 誰がどうだろうと関係ない。 天の神様と自分。 そういう関係性を信じているなら、マスコミがどうの、誰がそれを利用してお金持ちになろうとも、関係ない。 それを、試されてるのかもしれないとも、思う。
目に見える世界は、物や数字で評価される。 ちょっと前にちやほやされた、ホリエモンは、いみじくも言った。 過程は関係ない、やったもん勝ち。 結果がすべて。 お子達の世界でも、物や数字。 だから、ブランド物がこうして根強く人気があるのも、この「目に見える世界」信仰のまさに、ある種の御札なのかもしれない。
わしも、以前はアルマーニだ、ダンヒルだ、デュポンだなんだかんだのブランド親父。 ま、サーシャ親父の場合、「目に見えない世界」を大事にするだなんだのまえに、貧乏で、ブランド物買えなくなったちゅうのが、真相らしい。
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