サーシャ親父の独りよがり日記
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2007/03/20(火) 6年生を送る会
日曜日に、チームの6年生を送る会がありました。
いわば、私達サッカーチームの卒業式です。
親にチームの子、その弟、妹、全部で150人も集まってくれました。

これで、蛍のひかるうううなんて流れちゃったら、まじやばで、目からじゃんじゃん水がでちゃいます。(笑)

お子たちを見ると、いつも思います。
みんな、ほんとうに1分の1の存在なんだなーあって。
世界のだれとも似ていない、たった一つのかけがえのない存在。

そんな素晴らしい君達と時間を共有させてもらって、ほんとうに、ありがとうな。

どうか、嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてると、言い続けてください。
そしてら、この世に漂っている、夢ややりがいが、もちろん、楽しいことなんかも、きっとやってくるから。

夢さんややりがいさん、そして楽しいさんは、行き場所を探してるんだ。
で、嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる、なんていい続けてる人を見つけると、めっけえええええ、ここは居心地がよさそうだからって、やってくれくれるんだ。

もちろん、その反対もありで、不平不満愚痴悪口を言ってばかりの人のところには、やっぱり、居心地がいいからって、デビル、不平不満愚痴悪口さんが集まるんだ。

わし、不平不満愚痴悪口、右のポケットにも左のポケットにもいっぱい入ってるんだけど、こんなこと知ってても、やっぱし、いつもポケットいっぱいなんだけど、それでも、トライしてみるんだ。

嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてるって。

6年生のみんな、大好きだぞおおおおおおおおおお。
みんなのこと、ずっと忘れないからな。
みんな1分の1のみんなだからなああああああ。

2007/03/17(土) ひよこの家
昨日、ひよこの家のお母さん、お父さんたちと交流させて頂きました。
本当に、栃木県高根沢町の「ひよこの家」は、素晴らしいです。
行政が、こんな風に関わってくれたらって、思います。

でも、それも、やはり個人の力、町役場の○○○さんの力がおっきいんですよね。
それと、高根沢の町長に関係者のみなさん。
個人の思いが、形になるんだよね。

いっぱい、いっぱい、元気を、そして、可能性をもらっちゃいました。
ひよこのみなさん、ありがとうございました。

スタートは、いつも小さい一歩からなんだよね。
最初から、大きな一歩なんかないんだよね。
わかっちゃいるんだけど、頭でわかってるのと、ほんとに分かってるのは、やっぱし違うんだよね。
まだまだ、修行が必要なんだな。

何事だって、ホップ、ステップ、そんでもって、ジャンプなんだよね。
明日は、6年生を送る会。6年なんてあっという間。
よっしゃあああああああ。
いくどおおおおお、ホップううう、ステップうううう、ジャンプううううううううう。

2007/03/09(金) 子供らしさ
うちのチームは大所帯です。
練習開始と終了時に、全員がそろって監督、コーチの指導者に挨拶をします。
子供達も私達も、大きな声をだして、お願いしますと声をかけあいます。
そして、その整列の時は毎回必ず、何度も何度もおしゃべりをやめろおおおおおおの声を子供達にかけます。

それでも、子供達はざわつきをやめません。
おしゃべりをしたり、ふざけあったりで、北朝鮮の子供達とは大違いです。(笑)

以前の俺は、こういう時、自分の言うことを聞かない子に対して、だめな子らだなという感情を持ったような気がします。

でも今は、これが子供らしいってことなんかなーあと思います。
子供だからこそ、その内なる衝動が体を動かし、口を動かす。
子供(小学生)がたくさん集まって、大人が望むようにお行儀よくしてたら、やっぱし不自然なんじゃないかなーあと、今は思います。

昨日も今日も子供は騒ぎ、大人はそれを注意する。
明日も明後日も子供達は騒ぎ、また大人がそれを注意する。
でも、その大人は、昨日も言ったのに、何でお前達は、ちゃんとできないんだ、なんて注意はしない。
昨日の話を今日まで持ち込まない。
今起こったことを、今注意する。
誰の子供なんて関係ない。
悪いことをしたら、それをしちゃだめだと注意する。

子供だって、その感情は複雑。
天使の顔から悪魔の顔、その間のいろいろな顔を持っている気がする。
そんな色々な顔が分かる人間になれたら、ええなーあ。

ほんだから、おしゃべりをやめろおおおおおおおおと、俺達が怒鳴る、子供達はそれを物ともせずにざわざわしながら整列をする。
うううううううう、負けんぞおおおおおおおおおおおおおおおお。

2007/03/03(土) 灰谷健次郎さんからのメッセージ
「こころ」  よしかわ かよこ 6歳
せんせいは
なんのこころをもっているのですか
それを おしえてください
わたしは
なんのこころをもっているのですか
それをおしえてください

サーシャ・・・俺は、自分の心の中にある悪しか、しらない。

「いぬ」  さくだ みほ  6歳
いぬは
わるい
めつきはしない

サー・・・大好きな詩です。ただただ、みほちゃんの感受性の鋭さに脱帽です。

「べろ」  こんの かずひと 6歳
べろは
あわてんぼうのなめくじです
そのなめくじは
おっちょこちょいで
いつも はしりまわっています

サー・・・まるで、俺の事を見られているようです。(汗)

「望遠鏡」   菅原 政春  5年
足を見ると なんと大きな
足だろう。
足を見ると なんと小さな
足だろう。
山を 見たら そこにあり
山を 見たら 遠く続いている。
道を 通る自転車の 大きなペダルよ
道は 小さく ずっと続いている。

サー・・・この詩の作者は、耳の不自由な子で、この望遠鏡は彼が拾ってきたレンズとボール紙を丸めて作ったものだったそうです。

「わたし」  山口 雅代 
おにんぎょうは
ひゃっかてんで
いくらでも うっているけど
わたしは どこにも
うっていない
せかいじゅうに
わたしは たったひとりだけ
それに かあちゃんは
わたしを しかる

サー・・・この作者は、体にハンディを持つ子。「世界にたった一つだけの花」の唄が、すでにここにあった。

「しごと」   前田 鈴与 4年
だいくさん
おとうちゃん一ばんや
りょうり
おばあちゃん一ばんや
ごはんたき
おかあちゃん一ばんや
おひゃくしょう
おじいちゃん一ばんや
ぬいもん
おねえちゃん一ばんや
とりのえさやり
おにいちゃん一ばんや
おかねためんの
わたし一ばんや
おとうとと
いもうとは
あそぶんが一ばんや

サー・・・ただただ感動、「できないこと探しから、できること探しへ」、俺のモットーですが、4年生の女の子にやられました。(T T)

サーシャの感想、じゃまあああああああああって、言うなああああああああああああああああああ。

2007/03/02(金) チューインガム一つ(灰谷健次郎の本から)
「チューインガム一つ」  村井 安子  3年
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいことをした

わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
一年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
きっと かみさん(神様が)
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるねん

わたしが一年生の子に
「とり」いうてん
一年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いややいうた

一年生の子がとった

でも わたしがわるい
その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい

おかあちゃんに
みつからへんとおもとったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見た
ことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」
おかあちゃんはなきながら
そないいうねん

わたし ひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せん
せい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくとこあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかふるえて
なんにも かんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん
けど おかあちゃんは
わたしのかお見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろ

もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしよう

******************::::

この詩の誕生には、素晴らしい教師と子供の壮絶な関係があります。
万引きをして、母親に無理やり連れてこられた安子ちゃんに、教師灰谷は、厳しく向き合います。母親に書かされただろう、「チューインガムを盗んだ。もうしないから、先生、ごめんしてください」という走り書きに対して、「安子ちゃん、ほんとうのこと書こうな」と、無言で長時間、向き合います。

灰谷の言葉・・・盗みという行為と向き合うことは、ほんとうに苦しいわけで、彼女は許しを請うことによってそこから解放されようとしている。
しかし、許しを請う世界からは魂の自立はないわけで、盗みをしたと告げることが、ほんとうのことを言っているということではないという思いが、ぼくにはあるわけです。
盗みという行為で失われた人間性を回復する為には、もう一回盗みというものと向き合うしかないと思いました。

それで、書き始めたのですが、一字書いては泣くし、一行書いては泣く。泣いている時間の方がはるかに多かった。
ここで、普通だったら言葉のやりとりがあると思うでしょうが、このとき、安子ちゃんとぼくとの間で、言葉のやりとりはまったくなかったのです。

これは、非常に容赦のない世界です。
安子ちゃんも辛いだろうけど、僕も辛い。
でも、この時間を中途半端にしたら、安子ちゃんの人間性を回復する道は永久に絶たれてしまう。

いまここで、苦しむことが彼女が強く生きるということにつながると、思うと、どうしてもやめるわけにいかない。
ぼくはすべての感覚を安子ちゃんに集中する。
それが、ともに涙を流すということになり、安子ちゃんはそれをしっかりと受け止めてくれたわけです。

この作品が生まれるまでに、彼女はどれくらいひどい血だらけの格闘をしたか。
それは、同時に僕が血だらけになるということでもあるわけです。


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