サーシャ親父の独りよがり日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年4月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/21 平安時代以前j
2010/04/13 コスプレ
2010/03/27 ジャズ
2010/03/17 歌垣の王女
2010/03/13 奈良時代以前

直接移動: 20104 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 月 

2007/04/28(土) サッカーとかラクビーとか
サッカーとラグビーが親戚のスポーツなのは結構知られてる話しで、確かイングランドでサッカーの試合中にボールを持って走り出したのが、ラグビーの始まりのように記憶しています。

どちらのスポーツも、「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」、「one for all、all for one」が、共通の言葉です。
サッカーというゲームは1点をあげる為に、全員が協力して試合をします。
テレビでは、ボールのある場面しか映しませんが、スタジアムに
行くと、いろいろな見方、楽しみ方があります。

FW(フォワード)のオフ・ザ・ボール(ボールがない時)の動きを中心に見たり、キーパーのポジショニング(位置取り)、DF(ディフェンダー)、MF(ミッドフィルダー)のオフ・ザ・ボールや、パスをだした後の動き、バックスの攻撃参加の仕方、時には審判の動き方など、観戦する人間の見方によって、いろいろな楽しみ方があります。

1点の取り方にも、いろいろな場面があります。
バックからパスをつないでの美しいゴール、キーパがぼけて、スローインを後方にしてのオウンゴール。
お、お、お、お、こりゃあ1点になるなという1点から、あっというまの1点まで、点の入り方は千差万別。

人間の人生のようです。

ボールを前に運ぶ場合でも、いったん後ろに戻してからの方がいい場合がたくさんあります。
考える時間がたくさんあるスポーツ、それがサッカーです。

そして、ラグビーなんかは、ボールを前に運ぶためには、後ろに投げならが前に運ぶ、なんと人間らしいスポーツでしょうか。
後ろに、後ろに、一個のボールを仲間に渡しながら、前に進んでいく。

無駄をたくさんする。
汗をたくさんかく。
効率、効率を求めない。
これが、サッカーであり、ラグビー。

役に立つこと、役に立つことと、効率、結果ばかりを求めすぎるのは、なんか心が殺伐とするような気がします。
役に立たないこと、無駄をたくさんすることが、人生を、心を豊かにするような気がします。

ほんだから、サッカー、やめられまへんなーあ。
こんど、5月6日、鹿島スタジアム、うちのチーム、試合前にピッチでゲームをさせてもらえることになりました。
はだしで、芝のピッチにおります。
5月6日、アントラーズ、勝ちます。

2007/04/24(火) いい加減
いい加減には、二つの意味があるそうです。
一つは、そう、わしの事。
物事を中途半端で終わらせ、ちゃんとしないことの、いい加減。

用例:サーシャって、ほんといい加減な奴だよなーあ。しょうがない奴だなーあ、みたいに使います。

もう一つが、ちょうどいいことの、いい加減。多くも少なくもなく、中間のちょうどよいことです。

用例:サーシャが、焼けたよ。いい加減に焼けたから、早く食べようよ、みたいに使います。(サーシャがうまいとか、まずいとかは別の問題です)

お釈迦様は、人に道を説く時に、その人のいい加減をみて、お話をしたそうです。
曰く、頑張ってるなーあという人には、あんまり頑張りすぎないでねと。
曰く、怠けているような人には、ちゃんと頑張らなくちゃあきませんよと。

人が、何か決め事をする時、立派な人は別として、わしみたいな「いい加減」な奴は、気持ちが極端に走る。
まったく、「いい加減」じゃない。
極端な方に気持ちがいって、それでちゃんとできなくて、落ち込む。
で、今度は、落ち込んだんで、その決め事を全然しない。で、また落ち込む。
なかなか、「いい加減」の加減が分からない。

で、分かったつもりでも、残念んんんんんんんん。
人間は忘れる動物。
その加減を忘れちゃう。
ちゅうわけで、娑婆は修行の場所じゃぞと、おばあちゃん達は教えてくれる。

2007/04/16(月) びっくり
最近、笑ふとの掲示板で久しぶりの皆様の声を聞かせてもらえました。
嬉しいんだど、でもそれをダイレクトに嬉しいことって言うのは、ちょっと気が引けます。
けど、わしゃあ、それを嬉しいよーんって言うことにします。

自分の実生活でも、そんなことが起きました。
学生時に在籍していた会社の社長と、それこそ、20数年ぶりにあうことになりました。
社長の弟さんが専務で、その専務とは、何年かに一度連絡を取り合わせていただいていましたが、一昨年お亡くなりになりました。

お兄さんの社長とは、接点もなかったんですが、先日電話をくれました。
どうして俺の電話番号がわかったのか、不思議です。
こんな俺に、気をかけてくれて、わざわざ電話してきてくれて、心配してくれていて、会おうなんて言ってくれました。
ものすごく、ものすごく嬉しかったです。

俺は、嘘はつかないと心に誓って、それでも嘘を言うような人間だし、自堕落だし、自分勝手だし、説教オヤジだし、適当だし、仕事落伍者だし、格好いいし、素敵だし、元20歳だし、きゃあああああだけど。
20年をはるかに過ぎても、気にかけて下さった方がいることが、とてもとても嬉しいです。

はなみずきという歌で、かなりメジャーになった一青窈の歌に、「ありがとう」という歌があります。
その中の歌詞の一部から、
『ありがとうとう、ありがとう、千回も一万回の、ありがとうとう、ありがとう』
みたいな気分です。

以上、変化球的自慢話でした。

2007/04/14(土) 新学期
新学期が始まり、幼稚園からチームに入りたくて、入りたくて、うずうずしていた新しい一年生が、入団してきました。
今年は、どんな子が入ってくるのか、楽しみです。
毎年毎年ですが、学年があがるにつれ、みんなが成長のあとをみせてくれます。
春の季節です。

思います。
自然は、毎年毎年、新しい春を運んでくれる。
春になって、夏になって、秋になって、冬になって、そしてまた春になって。
その繰り返しを、地球開闢以来ずっと続けている。
同じようにみえて、同じじゃない新しい春。

とすると、毎日毎日来る同じような朝も、やっぱり、比べようもないたった一回のかけがえのない朝なんかなって。
同じような一日も、そんな風に考えたら、自分の人生の中で二度と来ない大切な一日なんかなって。

ま、頭じゃ理解できるんだけど、そこが、凡人の悲しさ。
また朝は来るわ、また一日は来るわって、朝を、一日を大切にしない。
しゃーないなーあ。
それを大切し、朝を、一日、一日を二度と来ることのない、かけがえのないものをの実践をしてたら、わし、大社長になっちゃったもんなーあ。

あーあ、よかった、大社長にならなくてえええええええ。
大社長になってたら、サッカーコーチ、やれなかったもんねーえ。小学生と遊べなかったもんねーえ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・、け、け、けっして、負け惜しみとかじゃありゃせんぞおおおおおおおお)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.