サーシャ親父の独りよがり日記
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2007/05/21(月) 生命
最近、ものすごく生命科学に凝っていて、その方面の本を乱読しています。
読めば読むほど、人間のすごさ、不思議さを思い知らされます。

ぼーとしているなんて表現があるけど、そのぼーっとしてるのは、脳みそさんだけなんだよね。
しかも、その脳みそさんだって、実際にぼーっとしているかどうか、分からない。
うちらを生かす為に、それはそれは、いろいろな細胞さんが、休みなく働いている。

生物の繁栄の為には、その種の多様性が問われる。
ホモサピエンスの多様性といったら、一つの種というよりは、その数だけ、種があるような、多様性があるような気がする。

人は、価値無価値を、その人が達成したことで図ろうとするけれど、はたしてそうなのか、私は疑問に思う。
達成したことには、個人よりもむしろ歴史が大きく、その時代というものが大きく関与しているのではないかと思ってします。
エジソンがいなくても、きっと誰かがエジソンになっただろうし、アインシュタインがいなくても誰かがアインシュタインになったような気がする。

個人の個人的偉業よりも、そこに横たわる永遠の真実こそ、称賛されるべきものなのかって、思う。
例えば、エジソンがその失敗に対して、あーあよかったこうゆう風にやると失敗するんだって、また分かったと、その失敗を喜んだように。

よきかな、よきかな。

今がいい、これがいい。

はい、喜んでえええええええええええ。
(って、どこかの居酒屋ちゃうぞおおおおお)

2007/05/15(火)
人生はよく、山登りに喩えられたりします。
足元をちゃんと見て歩かないと、転んじゃう、とか。

ずっと足元を見て歩いてばかりだと、疲れちゃう、だから、時には自分が登っている山の頂上を見て、そこでの素晴らしい眺望を思い浮かべるんだ、とか。

あたいの場合、ふと気が付いたら、平坦なお花畑を歩いていて、あら、俺、山登りしてたんじゃないかということを、しばらく忘れていたわけで。
でも、やっぱし、平坦な道はやっぱし、ふと気が付くと、いつの間には山道になっていて、もうあそこに次の山が見えてんだよね。

で、なんだよ、またかよって文句の一つも言いたくなるんだ。
つうか、不平不満を言い出すわけで。

そうすると、だんだんに思うわけで。
人生に山や谷ってあるんだろうかって。
自分がそう思うから、山だったり、谷だったりするわけで、歩けてるんだから、生きてるんだから、もうそれは、それで100点満点なわけで。

生きていることは、限りなく普通に見えるんだけど、よくよく考えてみると、心臓さんはじめ、腎臓、肝臓、脾臓、休むことなく働いてくれている。
お目目さんだって、へんてこな俺のお目目さんだって、何かを見る時は、あっというまに、ピントを合わせてくれる。

すべて、そんなもんで、体のすみからすみまで、頭のてっぺんから、足の先まで、俺を生かすために、みなさんが休み無く働いてくれている。
とーちゃんとかーちゃんから、そのまたとーちゃんとかーちゃんから、そのまたのまたとーちゃんとかーちゃんから、ずっと続く命のリレー。

感謝しなくちゃ。

って、そうできれば、わしもたいしたもんなんだけど、これがなかなか。
しゃーないから、感謝するふり、思うことからはじめよーーーーーっと。


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