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2007/08/06(月)
入れ物
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学びとか心の問題をお話される方が、入れ物のお話をされることがあります。 水で一杯なったグラスに、さらに水と注ぐとこぼれてしまう。 いつも心を空っぽにしておけば、素直になれば、学んだことがグラスにちゃんと溜まる。 素直であること、謙虚であることの大切さの例に出されます。
考えてみると、私の心は、いつも、色々なもので一杯です。 生老病死、四苦八苦、ちゃんとすべてのものが揃っています。 そんな私ですが、ちょっとの経験をして、100の大きさのものが98くらい、2個くらいは小さくなったかなと思ったりもします。 そして、色々なものを抱えているのが、人間のような気がします。
私は、今、あることで実感したことがあります。 見えるものと見えないものことです。 心の入れ物に入っている色々なものは、表に表れているものもあるでしょうが、それ以上に見えていないものあると思うのです。
その見えていないものを、私はどれくらい見えることができるのでしょうか? 声にならない声、言葉にならない言葉。 表にださず、ひっそりとしまいこんでいる辛さ、悲しみを、私はどれだけ見ることができるのでしょうか?
人間は氷山。 見える部分が10%。 90%が見えない部分。 自分でも、知らない自分をもっているのが人間。 そんな気がします。
私は、自分の心の入れ物の大きさを、大きくなんかできないけれど、入っているものをちょっとだけ小さくすることなら、できる気がします。 そうすれば、入れ物にちょっと余裕ができる。 そうすれば、見えなかったものも少しは、・・・・・・。
などど、思ったりしながら、今日もブルベリーの錠剤をがぶ飲みするサーシャでした。
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