サーシャ親父の独りよがり日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年8月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/21 平安時代以前j
2010/04/13 コスプレ
2010/03/27 ジャズ
2010/03/17 歌垣の王女
2010/03/13 奈良時代以前

直接移動: 20104 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 月 

2007/08/06(月) 入れ物
学びとか心の問題をお話される方が、入れ物のお話をされることがあります。
水で一杯なったグラスに、さらに水と注ぐとこぼれてしまう。
いつも心を空っぽにしておけば、素直になれば、学んだことがグラスにちゃんと溜まる。
素直であること、謙虚であることの大切さの例に出されます。

考えてみると、私の心は、いつも、色々なもので一杯です。
生老病死、四苦八苦、ちゃんとすべてのものが揃っています。
そんな私ですが、ちょっとの経験をして、100の大きさのものが98くらい、2個くらいは小さくなったかなと思ったりもします。
そして、色々なものを抱えているのが、人間のような気がします。

私は、今、あることで実感したことがあります。
見えるものと見えないものことです。
心の入れ物に入っている色々なものは、表に表れているものもあるでしょうが、それ以上に見えていないものあると思うのです。

その見えていないものを、私はどれくらい見えることができるのでしょうか?
声にならない声、言葉にならない言葉。
表にださず、ひっそりとしまいこんでいる辛さ、悲しみを、私はどれだけ見ることができるのでしょうか?

人間は氷山。
見える部分が10%。
90%が見えない部分。
自分でも、知らない自分をもっているのが人間。
そんな気がします。

私は、自分の心の入れ物の大きさを、大きくなんかできないけれど、入っているものをちょっとだけ小さくすることなら、できる気がします。
そうすれば、入れ物にちょっと余裕ができる。
そうすれば、見えなかったものも少しは、・・・・・・。

などど、思ったりしながら、今日もブルベリーの錠剤をがぶ飲みするサーシャでした。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.