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2008/01/30(水)
大石順教尼のこと
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幾つになっても知らないことはたくさんあるもんだなーあと、感動するたびに思います。 ご存じの方もきっといらっしゃるでしょうが、大石順教尼さんの最近知りました。 16才の時に両腕を義父に切られて、九死に一生を得た方です。その後、波乱の人生を過ごされ、得度して尼僧になります。
まだ、障害者への行政の対応が遅れている時代、一人で施設的なものを立ち上げました。 その時の、ある出来事です。
大石順教尼が、足に障害のある若いお弟子さんが転んだ時に言った。 『西野、おまえ片足が悪いくらいで何や。ちゃんと歩けぬか、よく転ぶなア』 『よく転ぶなあって、転ばぬで歩けゆうても無理ですよ。ようご存じじゃないですか。』 『そうか。転ばぬと歩けぬか。それはかわいそうだ。悲しいか。』 『もちろん悲しいですよ。ちゃんと歩けたら、どんなに楽しいかわかりません。』 『よし西野。転ばぬで歩ける方法を方法を教えてあげよう。』 『えツ。先生もお人が悪い。そんないい方法があるなら、何で早ように教えて下さらなかったんですか。早くいうて下さい。』 『西野、いまいうてやるから、耳の穴をほじってよう聞いておきなさい。それはなア、悪い足を隠さないことだよ。』 と、静かにおっしゃった。
私たちは、隠すこととか困るものがあるから、人生が狭い。 人に知れたら困ると、隠そうとするから転んでしまう。 足の悪い者は足の悪いままを素直に受け止めて、その上でどう生きていくか考える。 それが人生の土台だと思う。 (一燈園法話、石川洋著より)
同じ石川洋さんの本、「無いから出来る、大石順教尼の生涯」を機会があれば、呼んでみて下さい。 感動の涙、間違いなしです。 星、三つですううううううううう。
人間って、すごいなーあ。
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