サーシャ親父の独りよがり日記
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2008/04/30(水) 今頃かよ??パート2
谷川俊太郎さんの詩に、「成人の日に」という素晴らしい詩があります。
つい、この間知りました。

「成人の日に」
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で

人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を恐れ 人は人を求める
子供とおとなの区別がどこにあるのか
子供は生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生小さな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

**************************

この詩をすでのご存じの方、そしてもう5月というタイミングから、まさに二つの意味で、今頃かよパート2に相応しいですばい。
でも、「成人とは人に成ること もしそうなら 私たちはみな日々成人の日と生きている・・・」なんだから、今日だって「成人の日」かもしれない。
つうことは、わしは20歳ということになるわけで、ぐふふふふ、そんなに若くはないよーお、つて、少し照れちゃうわけで。

よし、明日も成人の日にすると、心に誓うサーシャであった。(これで、明日もこう覚えてればいいんだけど、なかなかそうなならないわけで、んで、それがじっちゃんの証明なわけで、いやーーーーーん)

2008/04/23(水) ワーキングプアー
最近たまにテレビとかで、ネットカフェ難民とかの言葉を聞きます。それには、最近の働き方の問題があるみたいですね。
驚いたことに、博士号を取得した高学歴の人たちにも、このワーキングプアーの問題は切実なものがあるみたいだという文章も読みました。

まったくのわしの偏見なんですが、派遣の仕事ちゅうのは、昔は人寄せ、ピンハネといい、ある稼業の人たちの仕事で、堅気の人が手を出すような仕事じゃなかった気がします。
それが、大手をふって派遣とか、口当たりのいい呼び名に変わっている。
もちろん、需要と供給の問題があるんで、派遣業の人たちばかりが悪い訳じゃなくて、利益の為にそういう働き方を是とする企業の存在もあるわけです。

これも勝手な思いこみなんですが、これって、日本社会が長年培ってきた日本文化の崩壊があるような気がします。
いじめ、不登校、家庭内暴力、引きこもり、虐待等の教育の諸問題、ニート、大人のうつ、自殺者の増大の問題。
これらすべては、同じねっこをもつ問題のような気がします。

目に見えるものよりも、目に見えないものを大切にする。
「物をして物たらしむる物は、物にあらず」という荘子の言葉を、なんとなく分かる空気が充満していた日本社会、日本文化。

そんなものの崩壊にこそ、すべての原因があるような気がします。
日本には、日本の政治システム、民主主義、宗教、日本なりの資本主義が必要な気がします。
んなこと、凡人のわしが言ってもしょうがないわけで、わしは、わしにできることを、一つひとつゆっくりとやっていきます。

口先おやじのわしは、100言って、10しかできません。
で、わしの場合、言わんと、1しかできません。
100やって、10言うなんて離れ業、それが最高だと知ることだけは知ってるんですがあああああああ。

2008/04/16(水) 金子みすず
この間、本の整理をしていたら、以前にご縁を頂きた大空社さんからいただいた本が出てきた。
薄いパラフィンのカバーのある詩集。
金子みすず童謡集、「繭と墓」と題名にあった。

一ページ、一ページ、ゆっくり読んでみた。
とてもいい詩の連続だった。
でも、どこかもの悲しい詩。
彼女の未来を予測したような詩だった。
この本の中にある詩ではないけれど、今のところ、一番好きな詩です。

「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
字面(じべた)を早くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私。
みんなちがって、みんないい。

「お魚」
海の魚(さかな)はかわいそう。

お米は人につくられる
牛は牧場で飼われてる
鯉もお池で麩(ふ)を貰う。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。

「露」
誰にも云わずにおきましょう。

朝のお庭の隅っこで
花がほろりと泣いたこと

もしも噂がひろがって
蜂のお耳にはいったら
悪いことでもしたように
密を返しに行くでしょう。

ほかにもの悲しい詩がいっぱいです。
是非、読んでみて下さい。


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