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2008/08/01(金)
頑張らないこと
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お釈迦様は、中道の道の大切さをおっしゃっています。 で、その中道とは、左でもない右でもない、頑張るのもだめ、頑張らないのもだめ、真ん中が大切って、ずっと思っていました。 ところが、お釈迦様の唱える本来の仏教では、「がんばること」は、悪いことだと、つい最近知りました。
いや、普段は頑張らないんだけど、ここ一番は大切な所だから、頑張らなきゃいけない。 ここで、頑張らなきゃどこで頑張るんだ。 きっと、そんなことを言う人がいます。 でも、なんで頑張らなきゃいけないんでしょうか? そんな頑張らなきゃいけない状況は、誰が作ったのでしょうか? そこに、自我、我欲は、ないのでしょうか? 頑張ることは、右に行くことや左に行くことではない。 お釈迦様は、頑張らないこと、中道の道をいく事で、大きな悟りをお開きになったそうです。
当初は、お釈迦様も難行苦行をなされ、悟りの道の追及をしていました。 でも、ある時、これは違う。 この道の延長に悟りはないと考えを改められたそうです。 当時の仲間は、そのお釈迦様の考えに反対し、別々の道を行くことになったそうです。 といって、難行苦行をすることで、悟りを得ることを仏教は否定をしてはいません。 それからの悟りによる仏様の存在を、仏典の中でも述べているそうです。 でも、そこの自力だけによる悟りには、自分でやったという傲慢さがどうしてもついてまわり、やさしさにかけることになるそうです。
中道とは、偏らないこと、とらわれないこと。 どちらも、サーシャには、至難の業です。 でも、サーシャには、得意技があります。 フリをすることです。 偏らないフリ、とらわれないフリ、フリのフリ、フリのフリのフリ。 それなら、できるような気がします。
お釈迦様は、中道を悟られたのではなく、中道によって悟られたのです。 さあ、うちらも頑張るのをやめましょう。 もうすぐ、お盆。 サーシャ様にお賽銭を送るなら、今がチャンス。 少ないのもダメ、多いのもダメ。 ???????????????? うーーーーーん、多いのは特別いいことにしましょう。(笑)
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