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2008/09/03(水)
価値があるとか
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私は、自分勝手な考え方が得意中の得意です。 そんでも、そりゃあやっぱしあかんなーあと、そうでない考え方をしようとはします。 でも、俺がああしたのに、こうしたのにと、つねに自分目線で物を考えてしまいます。
思えば、お天気とかもそうで、晴れがいいといっても、それが何日も続けば、雨が降ってくれませんかねーえとかの会話になるし、雨が振れば降ったで、うっとうしい雨ですねーえとかの会話になる。 晴れだって、雨だって、雪だって、曇りだって、嵐だって、雷だって、不必要なものはひとつもない。 それを人間は、自分の都合で、ああだこうだ。 砂漠地帯に住む人は、晴れに価値を見いださず、雨に大きな価値を見いだすだろうし、地域地域で価値が違ってくる。
人間にとっても、価値ある事って、やっぱり相対的なもののような気がする。 いわゆる勝ち組、負け組、そう分けるの簡単だし、芽に見える部分で差をつけるやり方は、誰にも分かりやすかったりする。 でもそれで、本当に人間の価値とかが計れるのだろうか? 相田みつを先生の言葉にある。 「幸せはいつも自分の心が決める。」 古典とか、宗教とかでもそういう主旨のことは必ず共通している。 比べることには、際限がない。 上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。
やはり、結果に価値があるのではなく、いつもその過程に価値がある。 そんな気がします。 だから、うちらの場合、成し遂げた成果を誇るのではなく、その過程、成し遂げようとしたその気持ち、その努力、その過程にこそ、価値を見いだす。 目に見えない世界、それこそが大切なもののような気がします。
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