|
2005/11/21(月)
スパイダー
|
|
|
モーガン・フリーマンの『クロス捜査官』シリーズは大好きなんですが・・・
かなり楽しめました。
犯人に「頭脳合戦」を挑まれるモーガン・フリーマン。
誘拐されたのが、なぜ「その子」なのか。 なぜ「謎解き」を挑まれるのがフリーマンでなくてはいけないのか・・・
犯人の心理を見る側も推理していく面白みがありました。
ネタバレですが・・・
映画に一貫して流れるテーマは「ジェラシー」・・・・。
『知能』が高く勤勉である素質を持ちながら、一方は「周囲に認められない」一方は「周囲に認められてその素質が伸びることのできる環境を与えられる」・・・・。
犯人側は『幼少時』にその『資質』を親に認められなかったし、伸ばしてもらう環境が貧困さゆえか与えられないと本人たちは思っている。 一方一流小学校に入れてもらえる上院議員の娘・・・・。
そして・・・犯人たちがしかける、最後の最後の罠・・・・。
ラストシーンで、わたしはその罠にフリーマン自身も落ちるのか!?とゾクリとしました。
犯人を射殺したあと・・・・人質だったミーガンちゃんに「おじさんは誰なの?」と聞かれて・・・
ほんの数秒・・・彼は沈黙する。
その後
「おまわりさんだよ」
と答えてミーガンちゃんを保護する。
この「数秒の沈黙」・・・・もし彼が「おまわりさん」としてではなくて「心理捜査官」としてミーガンちゃんを見たとき・・・これから伸びていくだろうミーガンちゃんの『聡明さ』に彼も『嫉妬』したかもしれない。 犯人たちはそこに『期待』しながら「死んだ」。 犯人たちの真のねらいはフリーマン自身を『犯罪者』にすることだった気がする。
状況としては、相棒のふりをしていた女性の捜査官が、すでにミーガンちゃんを殺していた・・・と報告できる立場に「彼」はいたのだから。
なぜフリーマンがミーガンちゃんを『殺そう』という『誘惑に負けるだろう』と『犯人たちは期待したか』・・・・ それは『頭脳の優秀さ』を「競う人間」の陥る「嫉妬心」というひとつの地獄。その地獄にフリーマンを落とし入れようとしたのだ・・・とわたしは思いました。 スパイダーの巣に絡めとられたのは『誘拐された子』でしたが、最後の最後に彼自身が『蜘蛛』になってミーガンちゃんを食い殺す可能性に犯人たちは賭けた・・・・そんな「罠」だったように思えました。
冒頭で・・・犯人はなぜ『フリーマン』を選んだのか・・・がキーになっているのですが・・・
フリーマンは『黒人』だからであるとわたしは思いました。 犯人たちは勝手にフリーマンも「自分たちのようなコンプレックスをかかえる人間だ」と思いこんだからだとわたしは考えました。
金髪〔金髪碧眼は優秀な人間であるという白人社会の迷信。日本でもおでこ広い子は頭がいいなんてよくいわれましたが・・・〕の裕福な白人で頭脳明晰な一流学校に通う女の子を目の前にして、黒人のフリーマンも必ず嫉妬するにちがいない・・・そして殺すにちがいない・・・犯人たちのしかけていった細大の罠。このギリギリの状況下のなかで「警察官という立場」を自ら奮い立たせるかのように警察のバッチをミーガンちゃんに渡して安心させるラストシーン。スゴイなぁ・・・と思ったです。
優秀な人間が『組織の中に入って任務を果たしていけるかいけないか』の「ふるい」は「競争心〔ジェラシー〕を抑えることが出来る人間か否か」な気がしました。 『優秀な人間が入ってきた。足をひっぱてやろう。」とする人間性。 「優秀な人間が入ってきた。協力しよう」とする人間性。
このキーワードも、冒頭に犯人からFBIの捜査官に連絡がなく、一介の警察官に連絡があった・・・というところで、一瞬FBIの捜査官とフリーマンが敵対しそうになるシーンがありますが、FBIの捜査官は主導権争いを控えて『犯人が選んだ』というところに重要性を見つけ出してフリーマンとすぐに『協力関係』を築きます。そうした『切り替え』のできる人間と出来ない人間・・・
これが最終的に、せっかく『優秀な頭脳』をもっていても「犯罪者側」になってしまうか「正義のために尽くす側」になるか・・・・の違いなのかもしれない・・・・
と考えさせられる映画でした。
一緒に見てた主人が・・・ 「なんで女性の捜査官を射殺しちゃったの?右肩を撃てばよかったじゃない?」 といっていましたが・・・ここも重要なポイントで 射殺されるまえに、女性捜査官はフリーマンにむかって 「わたしは相棒でしょ?」 といいます。
そしてフリーマンは 「相棒じゃない」 といって心臓を一打ちします。
『相棒』とは冒頭でフリーマンの過失で死なせてしまう『相棒』とその死からくる犯罪者への恨みを思い出させるキーワード。 ここでフリーマンは『私情』を絡めて射殺してしまうのだと思いました。 なので、その直後のラストシーンが、より「怖い」シーンになったのかもしれません。 でも彼は犯人によって一気に噴出させられた『私情』を、やはり一気にクールダウンさせます。 「私情」を抑えて「公僕」としての『警察官』に返ります。
つまるところ・・・ 『正義』とは『抑制』であると思いました。
一瞬の沈黙はあったけれど・・・・。
そして・・・映画のなかでの「終わらない物語」の意味は・・・・ 「本は閉じられても自分が死んでも物語は終わらない」という犯人たちからのメッセージ・・・
それは・・・ この映画の「謎かけ」を解いた人間に対する解けなかった人間の『嫉妬』。 競争心と嫉妬の連鎖・・・・。
本がとじられても・・・・映画が終わっても・・・終わらない。
|
|
|