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2005/12/03(土)
姉歯建築士で思い出したこと・・・・
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今、耐震設計の手抜きで一躍有名になった姉歯さんで思い出したことがあります。
大昔・・・今から20年ほど前、わたしはある設計関係の会社のOLをしていました。 そこに幕田貞夫というおじいさんがいらして、あの当時90歳ちかくだったと思うんですが、ラーメン工法という工法を考案した方〔だと思う。〕がいらっしゃいました。でもって勲章をいただいていたそうで、紫綬褒章だったとおもうんですが、勲章を見せていただいたのを記憶してます。
その方は会社のある一室にいつもひとりでいらして、わたしはその方にお茶をお出ししたりすると、いろんな昔ばなしをしてくれる方でした。 お若い頃に現場の指揮をするポジジョンにつくことになって、自分より年上のものが部下になったので、皆言う事を聴いてくれない。だから貫禄を出すために髭を生やしたのだ・・・と当時の古いセピア色の写真を見せてくれたことがありました。カイザー髭のような口ひげをはやして、100人以上の現場の人達と一緒にうつっている写真でした。
当時ハレー彗星か接近するとかで、にぎわっていたころ、「ボクは2度目だ」とおっしゃってらしたのも印象的でした。〔一生にいっぺん来るかどうかのスパンなのに2度目っていうのがスゴイ・・・〕
ある日・・・その方のお部屋に、大昔の医院とかにあるような「医療用のつい立て」みたいな「つい立」が置いてあって、大昔の医院にあるようなつい立というのは、1メートル幅くらいの、鉄パイプを曲げて、中心に白い布がはってあるだけ・・・というごくシンプルで無機質なタイプなんですが、その布の部分が古くなったせいかボロボロになっていたのを 「君、これ・・・直してくれないか?」 とおっしゃるので、サテンの薄いブルーの布を見繕って寸法を測って自宅のミシンでこしらえてさしあげ、その痛んだ布を張り替えてさしあげたことがありました。
先生は大層喜ばれて、 あとでアザレアのピンクの花が咲いた鉢植えをわたしにプレゼントしてくれました。 その日が・・・ちょうどわたしの誕生日だったのも不思議な偶然・・・でした。
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