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2006/11/08(水)
おなじみ「セクシ―心理学メルマガ」で
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また「異議あり」になってしまいました。セクシ―心理学。
今号は★第333色〜それ、気持ちよくない。楽観性の心理テストというやつで・・・・・
ゆうきゆう先生いわく
『「楽観的な人は、不快なものから目をそらす」 「悲観的な人は、不快なものを見つめ続ける」
ということ。
これは逆に、
「不快なものから目をそらし続けているからこそ、楽観的な気持ちでいられる」 「不快なものを見続けているからこそ、悲観的な気持ちになる」
と考えてもいいかもしれません。』
という説なんですが・・・まあ精神科医でもなんでもないわたしが独断と偏見で異議を唱えるので、「おばさんのたわごと」だと思って読んでくださいませ。
『「楽観的な人は、不快なものから目をそらす」 「悲観的な人は、不快なものを見つめ続ける」』
ここまでは問題ないです。
が・・・・
『これは逆に、
「不快なものから目をそらし続けているからこそ、楽観的な気持ちでいられる」 「不快なものを見続けているからこそ、悲観的な気持ちになる」
と考えてもいいかもしれません。』
の部分。これに異議あリ。
この「不快なものを見続けているからこそ、悲観的な気持ちになる」というのは、すくなくともわたしの場合違います。
「不快なものを見つづける」というのは「不安要素を取り除くべく観察している」ことに他ならないのであります。
事実が恐ろしくて「不快」なものであるからといって、それから目をそむけるともっと「心配が高じて結果的に不快になる」それを回避すべく 「あえて不快なものをみつづける」「見つづける」だけではなくて 「観察・分析」を伴うわけです。
確かに『悲観的性格』だから、そういう行動にでるんであって、「不快」なものを見ているうちに「悲観的になる」わけじゃないと思うんですね。 「観察・分析」をしながら「不快なものをみつづけているとき」というのは、悲観的になっているというより、むしろ、猛烈に「アグレッシブ」で「行動的」で「ポジティブ」です。
二次災害を回避できる人間は『悲観的』な性格のひとで、悲観的観測のまま 「もうだめだ」 となるんではなくて 「最悪の状態を想定しつつ、いかにそうならないようにできるかを分析する」
悲観的でかつポジティブ。相反するようですが、そういうもんだとおもうです。
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