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2006/12/11(月)
ラストサムライ
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NHKの「功名が辻」最終回のあと、そのまま「ラストサムライ」を引き続き見たので、なおさらなんですが、あまりのめちゃくちゃぶりにもう笑いが止まらず、あんまり私が笑うので主人に 「静かにみてろ」 と怒られるほど笑えました。
でも見終わった主人も 「いったい誰が監督だったんだ?ありゃひどかった」
といったので
「監督?チャック・ノリスに決まってるじゃん」 と答えたら 「チャック・ノリスが作ったんなら納得できる」 と申しておりましたので、やっぱりあの滅茶苦茶ぶりは主人をしても 「ひどい」 と思ったのでありましょう。爆
1876年前後の日本を舞台に作られてるみたいですが、歴史的にみると、どうやら「西郷隆盛」の「西南戦争」がモデルになってるようです。
士族の大規模反乱っていうのは確かにあったようですが・・・ あんなんじゃないと思います。爆
もともと、士族の大規模反乱のきっかけは、明治政府の政策の「武士の世襲的年金のうちきり」と、「徴兵制度の導入」にありました。まあ今流に言うなら、財政難だったので、公務員の大量リストラをやって、「徴収制度」を導入すれば安くあがる・・・というわけです。
徳川幕府が薩摩藩と長州藩に倒されてから、徳川幕府下の士族が大量失業。それをささえるために、「年金」を出したのを、明治政府が、「打ち切る」方針を出した。 さらに、「武士」っていうのは「世襲の職業軍人」ですから、それを「身分を問わない徴兵制」に切り替えた。 「身分を問わない徴兵制」っていうのは、一般の町人や百姓も困ったわけです。なので各地でお百姓さんたちの不満の一揆が勃発。かなり国内が荒れた時期ではあったようですが・・・・ 士族のほとんどは転職して警察官や鉄道員や新聞社などへ。
あんな鎧つけた士族は徳川時代にすでになくなってたと思います。 むしろ、徳川時代の武士は「文官」としての仕事ばかりしてましたから。要するに「武芸より勉強」読み書きそろばん。外国語の修得。寺子屋を開いて町人の子に読み書きを教えていたのは武士だったではないですか〜。
それにしてもあの「ラスト・サムライ」はひどい・・・爆。 外人の目から見た日本ってのは、どうしてああいつまでもいつまでも「まちがい」が多いんでしょうか。 なんかあれじゃ、「忍者の里」のように「サムライの里」があって、「サムライだけが住んでいて、その里でサムライが暮らしていて、何かあったら借り出されていく」みたいです。爆
しかも「インディアンの部族」と一緒にされてるし。 「サムライ」という「部族」がいたわけじやありませんから。 サムライってのは「身分」ですから〜。
しかもあんな、かやぶき屋根の家にサムライ住んでません。あれじゃ豪農の家です。
小雪が出てましたが、武家の娘があんな屋外で滝で行水なんかしませんから〜。 武家の娘も町人もみんな「日本人はお風呂好き」ですから〜。
だいたい、なんであんなトロピカルな椰子やらシダが生えてるですか?
武家屋敷なのに、柱が丸木のまま使われてるし。爆
あの「全体的に薄汚いイメージ」は「七人のサムライ」の「浪人のサムライ」のせいに違いありません。「サムライ」を世界的に「垢まみれな薄汚いイメージ」にしたのは黒澤監督と「三船敏郎」のせいです。
渡辺謙が監督に教えてあげなきゃ。
「まちがってる」
って。
「聞くは一時の恥じ聞かぬは一生の恥じ」
あれが全米でヒットして、またまちがった「ブシドー」と「日本」が広がったのか・・・と思うとなんか・・・がっくり。
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