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2006/05/06(土)
謙虚
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最近つくづく思うことがあります。
わたしはよほど自信があることでないと「自分は〜が出来る」と他人にいいません。
むしろ・・・
「出来ません」
といっておく。
じゃないと、もしかしたら相手のほうが全然上手(うわて)だったり先輩だったりして、自分が恥じをかいたり、差し出た真似をすることで相手を不快な気分にしてしまったりするかもしれない・・・とおもうからです。
まあ「相手の力量を探る」っていうのも多分に含まれてたりします。
だから「わたしは何々が出来ます。」とかは滅多に言わない。
私が人前で堂々と「出来ます」といえるのは、この水墨画の仕事と「洋裁」と「いけばな」と「占い」くらいなもんでしょうか。 いずれも仕事としてやってたので「やれます」といえるわけです。 洋裁の場合はコ−トなんかは手が出せませんが、20代の頃などはよく自分の服も子供の服も作っていましたし、リフォ−ムのお仕事も仕立て屋さんの下請けアルバイトでやらせてもらっていた時期がありましたからズボンやスカ−トのサイズ直しなんかは「出来ます」とはっきりいえます。
が・・・・
この「控えめ」さというのは、アメリカ社会とかでは「よろしくない」らしい。そしてビジネスシ−ンではとにかく自分はこれだけやれる人間であるとあくまでもポジティブに売り込む性格っていうのが良しとされるらしい・・・
そうした風潮が今から20年前くらいのバブルの頃に日本にやってきて・・・
今すっかり「根付いた」ようで、おかげで「謙虚」って言葉を知らない人たちがほんとに多くなった気がします。
まあそれで実力が伴ってれば問題ないんですが、やっぱり実力はともなってなかったりする。
またこちらが「謙虚」に振舞っていると、言葉を100パ−セント真に受けてくる。
これも困る。
こちらが「出来ません」と謙虚目にいっていると「出来ないのか」と100パ−セント言葉どおりにとられてしまう。
といって「出来ます!!」とこちらから言うのも面映い。
そう・・・「面映い」のであります。
相手の言葉を鵜呑みにする・・・「謙虚」が通用しなくなっていく世の中・・・そして「自信満々に間違えてたり、めちゃくちゃなことをやっていて平気な人たち」を前にして、それを「咎めたり間違いを指摘してあげること」をわたしはやりません。だまって見てます。
なぜならそれは私の仕事ではないから・・・。
ジェネレ−ション・ギャップに戸惑うことの多いわたくしです。
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